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1.解放(2)

三月中旬とはいえ、夜明け前の底冷えはきつい。フロントガラスの周囲が白く曇ってくる。MG・Fを止めたコンビニエンス・ストアの駐車場からは斜めに刑務所の正門が見通せた。門を隔てた四車線のバイパスをヘッドライトがまぶしく行き交う。思ったより交通量が多い。漆黒の空がほんのりと白み、ライトのまぶしさが気にならなくなったころ、東の空に日が昇った。朝日は刑務所の真っ黒のコンクリート建築の端から顔を出し、アスファルトの路面を赤く染め上げた。ちっぽけな太陽だった。横断歩道の先にそびえる巨大な鉄扉の隅で小さな潜り戸が開いた。黒い制服を着た刑務官に従って大柄の女性が出てくる。短い髪型だったが、端正な横顔と長く伸びた脚が祐子の目に飛び込んできた。慌てて車のドアを開けて冷たい地面に降り立つ。

「Mッ」
大声で道路の向こう側に呼び掛けた。横断歩道の信号はあいにく赤だ。行き来する車両が途切れる様子もない。もどかしく手を振ってみたが、門前に立ったMは応えようとしない。背中から朝日を浴びた真っ黒な人影が、全身で祐子を拒絶しているように見えた。

「Mッ」
もう一度かん高い声で叫んだ。黒い影が一瞬動揺したように揺れたが足早に歩き出す。信号が青に変わった。祐子は凄いスピードで駆け出し、四車線のバイパスを渡りきった。

「Mッ」
息を弾ませて三度目を呼び掛けると、二メートル前の後ろ姿がゆっくり振り返った。

「やっぱり来たのね。一人にはさせてくれないの」
三年振りに聞いた声は冷たかった。誰が面会に行っても会おうとはしなかったMだ。予期していた答えだった。
「私が来なければ、Mは黙って姿を消すわ。私たちの記憶を消してしまいたいMはいいけれど、消される私たちは耐えられない。置き去りにされるのはもう懲り懲りよ。ねえ、お願い。一緒に市に帰って。私はMを求めているの」
身体を振り絞って訴える祐子の言葉に見開かれたMの目が曇る。落ち着いた表情に苦悩が掠めた。

「祐子は、私が迷惑するとは思わないの」
刑務所前の寒い空気に乾いた声が落ちた。祐子の肩が震える。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。Mを放してしまえば自分の生涯もなくなるような気がした。
「思うわ。でも、見捨てて欲しくないの」
祈るように祐子が言った。
「祐子はもう一人前の女よ。独りで十分生きられるわ。私も祐子と同じように独りで生きさせてもらいたいのよ」
断固とした声で答えたMが背を向けて歩き出す。

「逃がさないわよ。裸になってどこまでもついていく。これがMに学んだ私の生き方」
拒絶した背に叫んでアイボリーのコートとグリーンのワンピースのファスナーを下ろした。両手に力を込めて二枚の服を脱ぎ捨てる。白い裸身が朝日を浴びて真っ赤に染まった。陰毛を剃り上げた股間を冷気がなぶる。引き締まった裸身を躍らせて後ろ姿を追い、Mの背中にきつく抱き付く。振り切ろうとする胸元に両手を回して紺のスーツの上着をはぎ取る。スカートを膝まで引きずり下ろすとMの歩みが止まった。すかさず白いタートルネックのセーターの裾をつまんで力いっぱい引き上げた。Mはセーターで顔を隠したのっぺらぼうの裸身を晒す。刑務所の規則正しい過酷な暮らしに耐えた引き締まった身体だ。肌の白さが目にまぶしい。黒々とした陰毛が股間に燃え上がっていた。

「祐子ッ」
振り返ったMが感極まった声で祐子を呼んだ。膝まで下りたスカートが足元に落ちる。刑務所の正門から十メートルの所で、高い塀をバックに素っ裸の女が抱き合っている。行き交う車のクラクションの音が響き渡った。正門の潜り戸が開き、数人の刑務官が慌てて二人の方に駆け寄っていった。希望に満ちた祐子の目から喜びの涙がこぼれ落ちた。

「百歩譲ってもドーム館で祐子と暮らすわけにはいかないわ」
MG・Fの助手席で心地よく車の揺れに身をまかしている祐子の耳にMの声が響いた。
「Mは疲れているはずよ。落ち着くまでは一緒に暮らして欲しいの」
「私は疲れていない」
媚びるような祐子の頼みに、にべもなくMが答えた。
「だってMは、お金もないし職もない」
言ってしまってから祐子の頬が赤く染まった。Mが気にしたかと思って横顔をうかがう。真っ直ぐ前を見て運転するMの口元はほころんでいた。

「お金持ちの祐子が心配してくれるのはありがたいけれど、私はお金を持っているの。働いた分には見合わないけど、刑務所ではお金をくれるのよ。当座の心配は要らないわ」
「いくらあるの」
「三十万円もあるわ」
「一か月しか持たない」
「とにかく一か月持てばいいのよ。正直な気持ちを言うと、今でも市に戻りたくない」
「ごめんなさい」
「気持ちはどうあれ、私が市に戻ることを決めたんだから祐子が謝ることはないわ。とにかくアパートを探す。月五千円くらいの安い部屋がいいな。トイレも風呂も、キッチンだって共用で構わない。刑務所の雑居房で三年も暮らしたんだから十分すぎるくらいよ。個室が持てるのは大した出世よ」
楽しそうに話す横顔に見入った祐子の目がまん丸になる。小さく開いた口から溜息が漏れた。数回まばたきを繰り返すと涙がこぼれ落ちた。

「三年間は辛かったんでしょうね。ごめんなさい。私はMの気持ちを少しも考えていなかったわ」
「辛くなんかなかったわ」
ポツンと答えて首を振った。確かに辛い三年間だったとMは思う。毎日の暮らしのすべてが強制され監視されているのだ。人格さえ否定される。当然のことに自由はない。呼吸することだけが唯一、囚人に許された自由だった。その自由さえ奪われる者もいる。地獄より辛い所だ。
「そう、Mは心身共に鍛えてあるもの。股間の毛を剃ってしまえば勇気も湧くし、どんなところでも自分の責任と人格で生きられるわね」
祐子が啜り上げて邪気のないことを言った。Mは思わず笑ってしまう。刑務所で剃刀など持っていられるはずがない。鉄格子の中で隠匿物を疑われれば、それこそ毎日のように素っ裸にされ、尻の穴まで検査されるのだ。股間を剃るなど論外のことだった。裸にされることはあっても、勝手に裸になることなど許されない。自由はないのだ。だが、たわいない祐子の話が解放された自分を再確認させてくれる。うれしかった。

「そうだわ。アパート探しは天田さんに頼もう。ねえ、いいでしょう。月五千円の部屋なんて、不動産屋では見付からないわ」
祐子がはしゃいだ声で言って、バッグから携帯電話を取り出す。ケースワーカーの天田なら安アパートに詳しいはずだ。
「いいわ、お願いして。できれば今日中に入居したい」
答える声が弾んでいた。三年間、国の施設にホームステイしていたのだ。すぐにも自分の部屋が欲しいと思った。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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