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12.物語の始まり(2)

「ほら見ろ、糞坊主は答えられまい」
突然、金切り声が響き渡りました。
ぎょっとして声がした方を見ると、仏壇の裏の暗がりから白い影が躍り出てきました。振り袖姿の道子さんが素早く木魚を叩く棒を拾い上げます。そのまま振りかぶって二発、義寛師の禿頭を、当然といった仕草で叩きました。深閑とした本堂に響く乾いた音が、なぜかユーモラスです。
「欺瞞と偽善に満ちた寺は燃してやりたい。でも、Mは寺を焼かずに生家を焼いた。もう私に行き場はない。糞坊主め、今日という今日は是が非でも死ぬ。死んで私も、お祖父さんの所に行くのだ。お前はMとつるんで娘を産ませろ。隠し子の私が生まれ変われる絶好のチャンスだ。さあ、進太。弟ならば、私の死ぬところを目を見開いてきっちり見ろ」
立ちはだかった道子さんが、棒を振りかぶったまま大声で叫びました。大柄な身体から放射される狂ったエネルギーが、僕に向かってきたのです。背筋を寒気が掠めました。道子さんが振りかぶった手を一閃しました。僕の肩先に痛みが走ります。木魚の棒が畳に落ちて転がっていきます。

「ハハハッッッハハハハハ」
長く尾を引いた笑いを発して、道子さんが跳び上がりました。
「死んでやる。死んでやる。死んでやる」
呪文のように唱え続けながら、本堂を練り歩きます。突然、向きを変え、境内の方に向かいました。すっくと立ち上がった義寛師が押しとどめようとしますが、いっこうに聞き入れません。踊るような歩みにつれて着物の裾が乱れました。露になった白いふくらはぎが、またしても僕の視覚を悩ませます。Mの幻影が脳裏に浮かび上がってきました。

「道子、いい加減に目を覚ませ」
境内に下りるきざはしのすぐ手前で、仁王立ちになった義寛師が絶叫しました。道子さんを外に出すまいとする気迫が伝わってきます。さすがに、跳び歩いていた道子さんの足が止まりました。怒らせていた肩が落ち、しょんぼりした足取りで義寛師に近寄っていきます。

聞き分けたような仕草に全員がホッとした瞬間、道子さんは振り袖の裾を翻して、義寛師に向かって突進しました。不意をつかれた義寛師が、道子さんと重なって後ろに倒れていきます。
二人の身体が高さ二メートルのきざはしから、境内に投げ出されました。紫の僧衣と白い振り袖が重なって落下します。真っ逆さまになった義寛師の禿頭が敷石に激突しました。頭蓋が砕ける凄まじい響きと、肉体が着地する鈍い音が耳を打ちます。

よろよろと義寛師の身体の上から起き上がった道子さんが、無惨に砕けた義寛師の頭部を見下ろしました。満面に恐怖の色を浮かべて笑い出します。
「ハハッハハハハハ、糞坊主が死んだ。Mが復讐に来たんだ。次はきっと私の番だ」
憎々しく叫んだ後、ぼう然と見下ろしている僕たちを睨み付けます。全身が激しく震えていました。
「負けだ、私の負けだ。Mに殺される前に自分で死んでやる。進太、歴代の墓所に行って姉の死を見守れ」
厳しい声で命令した道子さんが、墓地の方向に走り出します。野獣のようにエネルギッシュな走りが妄想の昂進を証していました。

「放って置いていいのかい。少しやばそうだよ」
晋介がのんきな声で呼び掛けてきました。僕は事態の陰惨な展開と、真実を知る義寛師の死のショックで口もきけません。かろうじて晋介の声で道子さんの危機を理解しました。人の死はもう懲り懲りです。晋介と一緒に裸足のまま、道子さんの後を追って、歴代の墓所を探しに走り出しました。
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