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9 崩壊(4)

たとえ下着姿でも、豪奢な気分になった私は、全く新しい舞台に立つ、選ばれたばかりのプリマのように誇らしい気分で、後ろにかしずく彼に言ってしまった。

「あの少女を、何処に乗せようと思っているの。この車は残念なことに二人乗りなのよ」
「もちろん、あなたの隣には私が座ります。置いていってもいいのだけれど、やはり可哀想かも知れませんね。私たちのために彼女は、精一杯の事をしてくれたのですから。できることなら、どうしても一緒に連れて行ってやりたいと、あなたも思いませんか。実に可哀想な少女でしたからね」

いつの間にか彼は、二人称を使いだしていた。意識しているのか、いないのか、落ち着いたバリトンからは推し量ることはできなかったが、矛盾した物言いの中に再び、大人の狂おしい時間が還って来たような感じがした。
そして、全てを打ち捨ててすぐ車に乗り込むこともできたのに、彼に話し掛けてしまった私自身、少女を殺したのは私たち二人の仕業ではなかったかとの思いが、脳裏にこびり付いていたのかも知れなかった。更に、ひょっとしたら私のために少女の死が用意されたとさえ自惚れる気持ちが、不気味に頭をもたげて来るのだった。
まさかそれほど、あんな変態男にいまさら惹かれるのかと、自分を罵って冷静になろうとすると、足元をすくうように彼が言葉を落とした。

「このトランクに入れてあげるわけにはいかないのだろうか。できることならやはり、彼女を連れて行ってあげたいのですがね」
「ご覧の通りトランクも狭いのですよ。何故、そんなに彼女に執着しなければいけないんですか」
彼女の屍と言えなかった事に舌打ちしたが、彼女を生身に扱ったことでもう勝負は付いていた。工具箱からレンチを出して、スペアタイヤを外しだしたのは私だった。

「これでご要望に応えられるかも知れませんよ」
「ありがとう。あなたは実に頼りになる。難問を解決してもらって本当に感謝しているのですよ。しかし、こんな狭いスペースに彼女を乗せることができるのだろうか。ちょっと心配になりませんか」
少女が乗れなかったら私が残るまでのことであり、むしろ、冷静に考えればその方がいいに決まっている。
「先ず、やってみることでしょう。あなたのお望みなのだから、あなたが責任を持って試してみなくては分からないことでしょう」
「別に私が強く望んだ訳ではないのです。あなたが解決方法を見付けてくれたのがありがたいだけなんですよ」
あいかわらず無責任な言葉だけを演出する彼をおいて、私は母屋へと向かった。当たり前のように彼は、私に付いて一緒に歩を進める。

9 崩壊(3)

私は彼との出会いが再び場面を変え、新たに始まったかのような不気味な情緒が生まれるのを感じ、そんな情感に抗うため素裸の身体を見下ろした。
突き出した両の乳房には、鞭打たれた名残りのミミズ腫れが見える。歩みを進める脚の付け根のデルタには、彼に剃られた後の陰毛が、いがぐり頭のように滑稽に生え出して来ている。何より、歩く度にきりきりと痛む肛門の裂傷と、全身を覆う鈍い痛みが、彼との陰惨な出来事を忘れさせるはずもない。

しかし母屋の引き戸を開け、晩秋の凛とした日差しを全身に浴びると、一切の出来事がまるで、なかったことのように思われ、肌を刺す冷たい外気が私に、新しい舞台の到来をさえ予感させるのだった。

そこまで私は、彼に執着しているのか。

一人の少女の死にも関わらず私は、隣で発せられる彼のバリトンを、清々しい日差しの中で新鮮に、しかも心地よく聞いたのだった。

先ほど彼が「スケベ女」と何度も罵った言葉が再び、間近に見えるやけに澄明な山並みの奥から聞こえたようにも思えたのだが、それももう、古い芝居の台詞みたいに気にならなかった。
ロードスターの背後に回りトランクを開けた私は、紙袋に用意してあった下着とストッキングを取り出し、鮮烈な日差しの中で身に着けた。いずれも、何かのときのために用意して置いたシルク製のものだ。下半身にこびりついた排泄物がいくらか気になったが、なんと言ってもシルクの下着なのだ。たいがいのことは十分隠し通せると私は踏んだ。

9 崩壊(2)

なおも話し続ける彼をおいて、私は奇妙な形に捻れて横たわっている少女の屍のそばへ急いだ。まだ暖かさの残っている裸体に手を掛け、捻れた身体を整えたが、後ろ手に緊縛された縄目と、首筋に深く食い込んだ縄が無惨でならない。彼に振り返り、はさみを渡すように言ったが、そっぽを向いたままの彼は、そのままはさみを投げてよこした。全身に熱い怒りがこみ上げたが、少女の姿を整える方が先だ。

苦労して少女の肉体に食い入った縄を全て切り取ったが、透き通る肌の上には赤黒い縄痕が死斑のように、縛されたときのままに残った。
両手で壊れ物を触るように目を閉じさせた少女の顔は、眠るように穏やかだった。縊死したのにも関わらず、体液や排泄物の汚れもない清浄で美しい屍だった。
恐らく、テーブルの端を少女が蹴ったときには、彼女の繊細な心臓は既に停止してしまっていたに違いない。無惨すぎた状況の中でそれは、私にとって唯一の救いに思われた。

私は立ち上がって少女を見下ろした。白く透き通った美しい裸の死体を見ても、特に激しい感情は湧かず、こわばった頬の上を機械的に涙だけが流れた。自ら流す涙の暖かさだけがやけに優しく、この異常な状況の中から私を、部外者であるかのように区別してくれる。

私は、きっぱりとした足取りで部屋の隅に置かれた電話へと向かい、受話器を取り上げ、警察の番号をプッシュした。いつの間にかそばに来た彼が、強い力で通報を押し止める。
「電話はいけませんよ。少女を彼らに渡すわけにはいかないんです。私たちは旅立たなければならないのだから。お願いです」

「旅立ちですって。何を戯言を言っているんですか。一切が終わったんです」
「いや、何も終わってはいません。今、やっと始まったばかりなんです。しかし、それほど時間は残されていません。あなたも、せっかく手伝いに来てくれたのだから早く服を着てください。いつまでも裸でいてもらっては困りますよ」
「あなたは正気でそんなことを言っているの。それとも、これだけのことをしでかしておいて、警察が怖くなったって言うの。とにかく、きちんとした責任を取るのが、あなたに残された常識ってもんでしょう」
「いや、常識以前のことです。しなければならない義務の問題ですよ。せっかく来てくれたのだから、とりあえず車を借りますよ」
彼は私から取り上げていたロードスターのキーをポケットから出した。私は素早く彼の手からキーをひったくった。

何を勘違いしたのか「やっぱりあなたが運転してくれるんですね。これで安心です。またご迷惑を掛けてしまいますね。まるで展示会の初日と同じようです。もっとも、走る方向は逆ですがね」と歌うようなバリトンで言った。

相変わらずの戯言と決め付け、私は素裸の身体に威厳を付けるように豊かな胸を張って屋外へと急いだ。後ろから遅れないように付いて来る彼は、私に並ぶようにして落ち着いた口調で、またしても言葉を紡ぐ。しつこく誘い掛ける言葉の中にいつしか、以前と同じような胸ときめく、あやしいバリトンが甦っていた。

9 崩壊(1)

テーブルのガラス板を踏みしめていた少女の足は、もうガラスの上になく、床から数センチ上のところにぶら下がっている。
黒い縄に首を吊られ、傾いた少女の口の端からは、目を射るほどに鮮やかな赤い血が一筋、滴り落ちていた。
恐らく少女は、尻にヴァイオリンが打ち下ろされる直前に楽器の崩壊を予期し、自らの音楽とともに死に向かって跳んだのだ。

一人相撲の末、取り残された心中者の片割れみたいに悄然とした彼は、やっと舞台の転換に気付いたみたいだった。
絞首されて縄からぶら下がった少女の足下に跪き、形の良い足の指に頬を擦り付けている。
瞬時に駆け抜けたシーンの余りの凄まじさに、私は涙も出ない。不謹慎にも、彼の愚かしい行動を見て、心の中で笑ってさえいたのだった。

ひとしきり少女の足に触れ、唇を這わせていた彼は突然、声を限りに号泣し始めた。高く低く延々と、いつ果てるとも知れずに泣き声は続いた。その間私は白痴のように口を開き、ぼんやりとした焦点の定まらぬ目で、その場の光景を見ていた。
ただ、彼の上げる泣き声だけがうるさく、耳に障った。


長い時が過ぎ、泣き疲れた彼はよろよろと立ち上がり、肩を落としきった姿勢で部屋の隅へ行き、はさみを持って戻って来た。
彼は、ついさっきまで少女を立たせていたテーブルに登り、左腕を黒縄で緊縛されたままの少女の細いウエストに回し、右手で握ったはさみで絞首した縄を切ろうとした。
少女の体重を残酷に支えていた縄が切れると、とても片腕だけでは、物体となってしまった少女を支えきることはできなかった。大理石の彫像が倒れるように少女の屍がくずおれ、引きずられるように彼の身体が床に落下した。

少女の屍を胸に載せたまま床に横たわった彼の目と私の目が、そのとき合った。一瞬奇妙なものを見るように、しかめられた彼の目が急に懐かしそうに潤む。胸の上に被さった屍を無造作にどけて立ち上がった彼は、素早く私の横まで来て屈み込み、右手に持ったはさみで私を緊縛した黒縄を切り始めたのだ。

「本当に、いいところへ来てくれましたね。弱っていたところなんですよ。ご迷惑をお掛けしますが、いつもあなたには助けてもらってばかりで感謝のしっぱなしですよね」
訳の分からぬ事を呟きながらも、彼は縛り上げていた縄を全部ずたずたに切って私を解放した。
「それにしてもあなたは凄い格好をしていますね。勝手に切らせてもらいましたが、特にいいご趣味とは言えないようです。それに、裸のままでは風邪を引いてしまいますよ。失礼だが、何か変な臭いもしますし、よろしかったら、私の家の浴室で湯をつかってきたらいかがですか」

私は、彼の顔をまじまじと見た。何を言っているのだろうか。彼は記憶を喪失してしまったのか、それとも彼一流の下手な芝居がまた始まったのか、判然としない不気味さを感じた。

8 官能の果て(5)

まず、彼は少女に鞭を振るった。私の肛門に差し込み、強引に引き抜いた凶々しい黒革の鞭が、少女の肌を引き裂く不吉な音を二回聞いた。しかし、少女は悲鳴さえ上げない。ただ、全身を絶えずブルブルと小刻みに震わせているだけだ。その震えも、恐怖によるものか、怒りによるものか判然としない。

また二回、鞭音が響いた。少女の反応に変わりはない。全身の震えだけが高まっていく。恐らく少女は、後ろ手に緊縛された不安定な姿勢で首を吊られ、高いテーブルの上に追いやられ、目隠しまでされて視力を奪われてしまったため、自分の肉体にどんな危害が加えられるか、痛みが襲って来る瞬間まで理解できないのだ。いや、突然我が身を襲ってくる激痛を不安の絶頂の中で、ただ受容するしかないのだった。縄で首を絞首される恐怖と、目隠しをされ視力を奪われたことで、何が肉体に襲い掛かってくるのかを予知できぬ恐怖とが、彼女の全身を悲鳴を上げるいとまさえないほどに緊張させているのだ。
なんという恐ろしい責め苦だろうか。拷問よりも過酷に、責められるものの神経をずたずたに引き裂く悪行を、彼は年端も行かない少女に加えているのだ。怒りに強く奥歯を噛みしめた私の口の端から一滴、血が滴り落ちた。

「責め甲斐のない石のような身体だ」
自分で演出した舞台が全然理解できていないように彼は吐き捨て、鞭の代わりに、先ほど少女が激しく反応したヴァイオリンを拾い上げた。無造作にヴァイオリンを掴もうとした指が弦に触れ、調子の狂ったGの音が高く部屋中に響いた。瞬間、少女の震えがやみ、全身を耳にして我が身に降り掛かることを知ろうとした。

彼が振り上げたヴァイオリンが少女の頭越しに私の目に入った。振り上げるとき、ヴァイオリンの胴に空いた共鳴用の穴に空気が擦れる低く咽ぶような音を、私は確かに聞いたと思った。その音は全身を耳にした少女の聴覚を打ち、音を追い続けていた彼女はそのとき、自分の身に起こることの全てを明確に映像化したはずだった。

ヴァイオリンが猛烈な速度で少女の白い尻に打ち下ろされる瞬間。

「ヤメテッ」と叫ぶ声が、鮮明な発音で猿轡の中から聞こえた。

多分、幻聴ではないと思うが、少女の高く澄みきった声は、その後に続いた、したたかに小さな尻の肉を打つ音と、砕け散るヴァイオリンの音との錯綜狂乱した騒音のラッシュの中でかき消されてしまった。

頂点まで急激に高まった状況に取り乱されてしまったように、彼は手の中に残ったヴァイオリンの竿を振るって二度、なんの反応も示さなくなった少女の尻を打った。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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