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11.祭り(6)

「進太が来ない」
Mの耳元で陶芸屋が情けない声でつぶやく。もう何度聞いたか忘れてしまうほど聞いたつぶやきだ。お陰で目の前の芝居に集中できない。しかし、あれほどの風雨が嘘のように通り過ぎた後、定刻通り始められた芝居は大成功と言えた。200人の観衆は固唾を呑んで芝居を見つめ、今、最後の幕間の喧噪が煉瓦蔵を包んでいた。Mは広場の舞台の前にいる。空気は蒸し暑かったが、雨上がりの涼しい風が広場を通り抜ける。時折頭上のクスノキの枝葉から水滴が落ちた。観衆は約半数の百人が外の舞台を取り巻いている。最終幕が始まれば、煉瓦蔵の中から百人の観衆が外に移動してくるはずだ。それも、すべてが睦月の演技にかかっている。

煉瓦蔵の前の織姫通りからは、絶え間なく八木節のリズムが響いてくる。各町会の櫓を囲んだ八木節踊りも、今や最高潮を迎えようとしていた。
「M、進太は遅い。本当に来るだろうか」
不安に満ちた声で、横に立った陶芸屋がまたつぶやく。
「大丈夫ですよ。必ず来ます」
極月がMの代わりに確かな声で答えた。極月は紺地に朱の波頭をあしらった浴衣を着ている。帯は鮮やかな銀だ。初めて見る浴衣姿だが、しなやかな姿態によく似合う。優雅な手つきで団扇を使う様は、どこから見ても機屋のお嬢さんに見える。Mはふと、チハルのことが気に掛かった。この織物の街の祭りを伝えてきたのはチハルの先祖たちなのだ。アメリカにいるチハルが、祭りを見るために毎年帰省すると話していた祐子の言葉も思い出された。その祭りを今年はMがコーディネートしている。チハルが目を剥く様が目の前を掠めた。慌てて周囲に視線を巡らす。しかし、いなせに浴衣を着こなしたチハルの姿はなく、相変わらず着古したブルージーンズに白いTシャツ姿の祐子の背が見えた。横に立つ大久保玲の長身に、寄り添うようにして立っている。これで進太がいれば、最高に幸せな気分になれるとMは思う。

「ほらM。最終幕が始まるわよ。ぽかんとしていたら、睦月の熱演を見逃すわよ」
直ぐ前から声を掛けられ、ぎょっとして目の焦点を合わせる。涼しそうな白い麻のパンツルックに身を固めたチーフが笑っている。隣でチーフと手を繋いだ天田が意地悪そうに片目をつむった。他愛ない幸せがMの周りを取り巻く。
「進太は、きっと来るよな」
不幸せを一身に背負ったように、陶芸屋がまたつぶやく。
煉瓦蔵の中から八木節の音色が聞こえてきた。広場の舞台にも再び鮮やかな照明が輝きだす。劇団スタッフの手で織姫通りに面した鉄扉が大きく開かれ、街の賑わいが目に飛び込んできた。幕間も終わり、いよいよ沢田正二率いる劇団・真球の国際演劇祭応募作品「ヤギブシ」の最終幕が上がった。


動物園で生まれ育ったキリンは、やはり野生と違う。進太が時間をかけて話し掛け足を撫でた甲斐があって、やっと警戒心を解いた。だが、チハルが大きく開け放した扉から外の道路に出ようとはしない。

「さあ、サクタロウおいで。一緒に外に出よう。自由に街が走れるんだぞ」
いくら進太が呼び掛けても、長い首を外に突き出すだけで出ようとはしない。まるで天気をうかがっているようにも見える。しかし、時折遠雷が響くだけで、空はもう、すっかり晴れ上がっている。雨で洗われた夜空には星も瞬いている。暑くもなく寒くもない、素っ裸でいるのが似合いなほどすがすがしい夜だ。

「おいでよ、さあおいで」
肌にへばりつく濡れたTシャツを脱いで、素っ裸になった進太が疲れ果てた声を出した。
「餌で釣るしかないね。食べるかどうか分からないけど、冷蔵庫にはこれしかなかった」
開け放した鉄扉の横に立ったチハルが、黒いデイバッグからバナナを出して進太に投げた。進太は面食らった顔で、手にしたバナナを見る。猿ではあるまいし、キリンがバナナを食べるなんて飼育員の梅田さんからも聞いたことはない。だが、このままでは朝になってしまいそうな恐怖が湧く。進太はバナナの皮を剥いて高々と頭上に掲げた。甘いバナナの香りがにおい立つ。好奇心の強いサクタロウが長い首を伸ばし、巨大な顔をバナナに近付ける。進太が素早くバナナを背に隠すと、ザラザラした舌で進太の顔を舐めた。バナナが欲しくて甘えている様子がありありしている。進太は急いで五メートル離れ、またバナナを頭上にかざした。今度はサクタロウが躊躇無く歩みを進めた。蹄の音が響き、黒と黄の網目模様に覆われた巨体が、扉を通り抜けて戸外に出た。進太の顔がうれしさに歪む。泣き笑いをしながら、なおも先に進む。サクタロウはバナナを追ってアスファルトの道路を歩き、飼育舎から十メートル以上離れた。キサラギとキリタロウも後に続いている。高い石垣の横まで出てから、進太はサクタロウに三等分したバナナを与えた。サクタロウは太い涎を流し、おいしそうにバナナを噛む。進太は後からついてきたキサラギとキリタロウにも、同じようにバナナをやった。二頭ともおいしそうに食べた。進太の気分は最高度に高揚する。キリン使いになったような気がして大きく胸を張った。黒いデイバッグを提げて近寄ってきたチハルが、房になった四本のバナナと長いスカーフをバッグから取り出す。
「このスカーフは祐子の織った品だよ。柔らかいシルクだからキリンの首に巻いても興奮しないかも知れない。手綱替わりになる」
チハルが言って、バナナとスカーフを手渡す。進太にはチハルの裸身が輝くようにまぶしい。ぞんざいな口調も、天の声のように優雅に聞こえた。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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