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11.祭り(1)

ついに毒薬は手に入らなかった。
進太は浅い微睡みの中で歯を食いしばり、寝返りを打った。天井の巨大なガラスのドームから差し込む夏の光が一瞬目にまぶしい。朝の九時近くになっているに違いなかった。だが、昨日までのように暑苦しさを感じることもない。エアコンの風が素肌を優しく撫で回していく。エアコンのノイズに混じって、微かに音楽が聞こえる。軽やかな小太鼓の響きに乗ってオーボエが心地よく歌っている。耳を澄ますと同じメロディーが何度も繰り返されていた。音楽は壁一つ離れた隣の部屋から聞こえてくる。チハルがCDをかけたのだと、進太はぼんやりした頭で思う。三拍子のリズムは進太の微睡みの中に入り込み、徐々にクレッシェンドしながら気分を高揚させていく。ラヴェル作曲の管弦楽曲「ボレロ」が進太をもう一度夢に誘った。「ボレロ」の調べに乗って真っ青な空を白い天馬が舞っている。高く低く天馬は舞い、大空を駆けて進太を宙に誘う。だが進太は空に舞い上がることができず、天馬の背に乗ることもできない。たまらない焦りが込み上げてきて、進太は慌てた。

「サクタロウ待ってよ。ぼくを乗せてよ」
大声で叫んだ瞬間、進太は完全に目覚めた。足で綿毛布を蹴ってベッドの上に起き上がる。高まる「ボレロ」の調べが、全聴覚を満たした。そっと目をつむると、キリンのサクタロウの背に乗って疾走する自分の姿がありありと見えた。夢で見た天馬よりスリリングでさっそうとした姿だ。進太はベッドの上でリズムに合わせて全身を揺すった。足を投げ出し、まるで手綱を取るように両手を胸の前に突き出し「ボレロ」の調べと一体になる。ひときわ高くシンバルが鳴り響き、管と弦が吼えた。曲のエンディングと共に進太は立ち上がり、真っ直ぐ背を伸ばし大きく伸びをした。今日は八月一日、八木節祭りの初日だ。母の睦月が芝居に出演する日だ。
進太はサクタロウに乗って、煉瓦蔵から母を連れ去る自分の姿を思い描いた。あの巨大なサクタロウと一緒なら何だってできる気がする。

「よーし、やってやるぞ」
大声で言ってベッドから飛び降りた。途端にドアが開けられ、驚いた顔でチハルが部屋に入ってくる。
「どうしたの進太、大声が聞こえたよ。祐子のベッドで怖い夢でも見たのかい。それにしては元気そうだね。小さいくせに、今にも立ち上がりそうなオチンチンだよ」
面白そうに進太を構う言葉を無視し、進太は床に正座して深々とチハルに頭を下げた。

「お願いがあります。今日の夕方、僕を市の動物園へ連れていって下さい。頼みます」
素っ裸のまま神妙な顔で頭を下げる進太を見下ろし、チハルがまた面食らった顔になる。
「市は今日から祭りでしょう。何でわざわざ動物園なんかに行くの」
「僕はサクタロウに乗るんだ。サクタロウに乗って、ママをここに連れてくる。邪魔をする奴はみんな、蹴散らしてやる」
最後の言葉に鋭い殺気が籠もった。チハルの背筋を冷たいものが掠める。同時に面白いこと、この上なかった。最近にない痛快な気分になる。昨夜、進太の語るたどたどしい話を聞いて、ある程度の事情も理解できた。だが母の睦月は、進太が邪魔者を蹴散らしてまで連れ戻す価値があるとは思えない。六年前に山地の奥で見ているはずの睦月の顔を、どうしてもチハルは思い出せない。それなりの人物としか思えなかった。でも、母を慕う進太の気持ちはチハルにも分からなくはない。都会の兄の元に行ったチハルの母も三年前に死んだ。アメリカにいたチハルは死に顔も見ていない。急いで帰ってきたときはもう骨になっていたのだ。

「サクタロウって誰さ」
浮かび上がってきた母の面影を振り払うように、チハルが尋ねた。
「キリンだよ。背が四メートルもあるお父さんキリン。僕の友達。きっと背中に乗せてくれるよ」
喜々とした声で進太が答えた。即座にチハルが大声で笑い転げる。
「ハハハハハハ、最高だよ。進太は最高に面白い。いいよ、一緒に動物園に行ってやる。私もキリンに乗った進太が見たい。最高だよ。参ったね。本当に参った。ハッハハハ」
いつまでもチハルの笑いは続いた。八木節祭りなどより、よっぽど楽しいイベントになると思う。もしかしたら進太は、本当にキリンに乗れるかも知れないと思った。チハルの笑いが消え、真剣な表情が戻る。小さな夢に立ち会う喜びが、久しぶりにチハルの下半身を熱くさせた。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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