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- 2011/12/12/Mon 15:00
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- 第8章 -祭り-
着替えに思わぬ時間をとり、慌てて外に飛び出す。素肌に張り付いてくるような蒸し暑さに眉をしかめる。オープンにしたMG・Fに乗り込んだ瞬間、キーを持ってこなかったことに気付いた。仕方なく車から降り、銀色の自転車を引き出す。祐子のマンションまでなら自動車と大差ない時間で行ける。プレスの効いた服につくに違いない、サドルの跡が気に掛かる。だが、今さらデートに出掛ける小娘のような気になるのも情けない。よっぽど見栄っ張りなんだと、心の中で笑ってからペダルをこぎ出す。相変わらずゴロゴロと響く遠雷の音が耳につく。織姫通りの方角からは、八木節の陽気なリズムが響いていた。
煉瓦蔵の前に建つマンションの六階でエレベーターを降り、Mは祐子のフラットに向かう。よっぽど煉瓦蔵に寄って、特別稽古をしているはずの睦月を引っ張って来ようかと思ったが、情緒が不安定な今の祐子を交えた会話では、話がどこへ飛んでいくか分からないと思い直して断念する。
玄関のブザーを押すと、待っていたように祐子がドアを開けた。左手首のホイヤーを見ると、約束したとおり二十分が経過していた。何となく気詰まりな空気を感じ、改めて祐子の顔を見る。明るい玄関灯の光を浴びて、祐子はじっとMの服装に見入っている。祐子は相変わらずブルージーンズにTシャツといった飾らない格好だ。祐子の顔に寂しい笑いが浮かぶ。
「M、いらっしゃい。夜分ご迷惑を掛けます。ごめんなさい。さあ、暑いから早く中に入って」
少々他人行儀な言い振りが気になったが、Mにとって祐子も他人には違いない。案内されるまま広いリビングに通った。寒いほどエアコンの効いた室内の白いソファーに痩せた青年が座っている。長く伸ばした髪を黒いサマーセーターの後ろで束ねている。Mの姿を見て優雅な仕草で立ち上がった。クラブ・ペインクリニックで見たはずだったが、記憶より端整な顔立ちだった。
「こんばんわ。大久保玲です。どうぞ、ゆっくりしていって下さい。僕はもうすぐ帰ります。祐子が、独りになるのは嫌だと言うものですから、Mさんが来るまで待っていたんです」
一言一言はっきり発音する、落ち着いた口振りだった。いつの間にか大久保の横に立った祐子の頬が赤く染まり、泣き出しそうな顔になった。
「玲の作った舞台衣装を見せてもらっていたの。生地はみんな、私の織った物よ。Mも見ていって」
取って付けたように祐子が言って、椅子を勧めた。卓球台ほどもあるテーブルの上にカラフルな衣装が広げられている。Mは祐子が勧めてくれた、ゆったりとした椅子に浅く座る。Mが座るのを待っていたように、向かいのソファーに祐子と大久保が並んで座った。三人の目の前に華麗な衣装が広げられている。
「沢田さんの芝居によく似合いそうな衣装ね。色の使い方が落ち着いている。でも、デザインは大胆ね。とても女郎や、馬子が着る服には見えない」
豪奢な衣装を目の前にして、Mが仕方なく感想を口にした。一瞬脳裏に、私は何をしに来たのだろうかと疑問が掠める。
「Mさんは、八木節の法被や和服のイメージが頭に染みついてるんですよ。まあ、一般的にはそうしたものなんですが、沢田さんも僕も、今度の公演では一切の既成概念を払拭することが狙いなんです。芝居の筋は思い切ってレトロにして、仕掛けで前衛を走るのです。面白いですよ。今から胸がときめきます。でも、これ、これならMさんもイメージできるでしょう。睦月さんが使う衣装です。SMショーで使うような、ただの縄じゃないんですよ。四色のステンレス・ファイバーの糸を祐子が縄に撚り上げたんです。照明の加減でシルバー、ブラウン、パープル、ゴールドの四色に光ります。それも金属の糸だから、重々しく沈んだ色で光を反射する。そりゃあもう凄惨な緊縛美が演出できます。睦月さんは芝居がうまいから今から楽しみですよ」
大久保が質感のある直径八ミリほどの金属の縄を手に持って、熱心に説明する。横に座った祐子の頬がまた赤く染まる。手製の縄で緊縛された睦月を想像したのかも知れない。ひょっとするとMをモデルにしたのかも知れなかった。これまで祐子は、あまりにもMの身近に居すぎたのだと、不当なことを承知でMは思った。