2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

9.祖父(3)

Mは織姫通りの歩道に沿ってMG・Fを駐車した。幸い、真夏の土曜日の昼下がりは極端に交通量が少ない。幌をかけて冷房を効かせた車内から路上に降り立つ。猛暑の夏はスポーツ車にとっては地獄だ。せっかくのオープンカーも形無しだった。急いでエレベーターホールに向かう。午前中いっぱい、四つの商店連盟の理事長の店を巡り歩いたMの服装は、白いショートパンツに紺の祭り半纏姿だった。傍目には涼しそうに見えるが、これが結構暑苦しい。半纏を脱いだTシャツ一枚の格好が、やはり真夏の定番だった。

玄関に出迎えた祐子に従ってリビングに通る。白いスニーカーを脱ぐとき横目にした、登山靴のような黒い革靴がMに違和感を与えた。いくら陶芸屋が山深い鉱山の町から下りて来たといっても、いささか大仰すぎる。
リビング正面の白いソファーに、針のように痩せた男が疲れ切った表情で座っていた。固く曲げた右手を胸の前で握り締め、男はまぶしそうな目でMを見上げている。前頭部の髪が大きく後退した広い額の下で、見覚えのある大きな目が苦しそうに笑った。

「M、久しぶりだね。相変わらずきれいだ」
語尾を震わせて挨拶の言葉を口にした陶芸屋が、硬直した右足を引きずって立ち上がろうとする。祐子が素早く駆け寄って肩を貸す。Mは小さく口を開いたまま声がでない。全身が冷気に触れたように寒い。熱い悲しみが徐々に胸に込み上げてくる。
「十六年振りに会ったんだ。M、何か言ってくれないか。あまりに無様な姿を見て声も出ないのかい。俺もまだ五十二歳だが、こんな様になってしまった。でも昔のよしみだ、何か言ってくれないと涙がでるよ」
すねた声で陶芸屋が答えを促した。Mの目に大粒の涙が溢れる。涙は頬を伝い、小さく開いた口に流れた。塩辛い海の味が舌を刺す。ピアニストの骨の味が甦り、遠くで陶芸屋の精液の味がした。Mの顔が泣き笑いにゆがむ。

「そうね。しおたれた格好に度肝を抜かれた。七十二歳には見えるわ。陶芸屋さん、お久しぶりね」
「相変わらずMは元気だ。憎まれ口を聞いて俺も安心したよ。だが、俺はもう陶芸屋じゃない。陶芸は二年前にやめたよ。そんなことより明後日から市は祭りだってな。Mの祭り半纏を見て、あの時の裸祭りを思い出したよ。懐かしいな」
相変わらず泣き出しそうな声で陶芸屋が言葉を続けた。十六年前の猛暑の鉱山の町の、廃社となった神社の境内で繰り広げられた裸祭り。素っ裸で後ろ手に緊縛されたMが御輿の上に直立していた。その御輿を担ぐ陶芸屋に緑化屋、村木の三人。大うちわを持って御輿の周りで囃し立てる修太、光男、祐子の三人の子供。全員が素っ裸だった。遠い夏の日を大勢の家族で祝った祭りが今、歳月を越えて三人の脳裏をそれぞれに横切っていく。今は亡い修太と光男の幼い顔が、部屋中に広がっていった。
祐子の啜り泣く声が流れ、陶芸屋の目から涙が滴り落ちた。Mの涙腺も堰を切って開く。大粒の涙で霞むMの視界で死者たちが嗤った。感傷に浸る生者の驕りを高らかに嗤う。Mの喉元にまた熱い悲しみが込み上げてきた。

「違うわ、みんな違う。陶芸屋は今でも陶芸屋よ。何が陶芸はやめたよ。聞いてあきれるわ。手足で作れなければ口で作ればいい。泣き言をいっている暇があったら長い時間をかけて土をこねたらいい」
うつむいていた顔を振り上げ、鋭い声でMが叫んだ。涙の滴が飛び散り陶芸屋の頬を打った。
「M、残念ながら俺は病気だ。こうしているうちに、いつ脳の血管が詰まっても不思議じゃないんだ」
陶芸屋の惨めな弁解の声がMの耳元を弱々しく掠めた。
「私だって毎日車を運転している。事故死する可能性は陶芸屋より、よっぽど高いわ。でも、そんなことは考えたこともない。陶芸屋も私も同じよ。過ぎ去ったことばかりしのんでいても未来は開けないわ。希望を持ってやり遂げるのよ。人は誰でもいつかは死ぬ。動けなくなるのが怖いのなら、その時は私が陶芸屋を殺してやる」
殺気をはらんだMの声が陶芸屋の耳を打った。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

最新記事
カレンダー
11 | 2011/12 | 01
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
free area
人気ブログランキングへ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR