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7.稽古(3)

「ダメダ、ダメッ、何度やったら分かるんだ。そこで身体をよろけさせるまでに十五秒も遅い。出になってまだ二分だよ。十五秒も遅れたら芝居が滅茶苦茶だ。やり直しだ」
激しくなってきた雷鳴を縫って厳しい叱声が飛んだ。重いバスの響きが睦月の背筋をむず痒くする。これでもう十回目のやり直しだった。睦月は振り返って暗闇の中に立つ沢田の黒い影を見上げた。沢田は大きく開け広げられた煉瓦蔵の側面の扉をバックに、両足を広げて仁王立ちしている。蔵の中から漏れる微かな明かりが、コンクリートの広場をぼんやりと灰色に照らし出している。煉瓦蔵の広い構内には沢田と睦月の他に人影はない。他の劇団員たちは七時半に引き上げ、すでにそれぞれの宿舎に帰ってしまっていた。睦月のための特別稽古が始まってから一時間になる。睦月の耳にも沢田のいらだちが伝わってきた。

枝葉を広げたクスノキの下で、地面に片膝をついた睦月は素っ裸だ。厳しく後ろ手に縛られている。それも両手を後ろに回して合掌した過酷なポーズだ。身体の柔軟さには自信がある睦月だったが、背面合掌縛りの強烈な責めが三十分も続いていては、さすがに痛みが両肩を襲う。だが、本番では延べ二時間の間、様々な縛りに耐えて演技をしなくてはならない。弱音を言っているときではなかった。沢田の芝居の中で、私は重要な役を担った役者なのだ。期待に応えなければ明日は開けないと思い、睦月は歯を食いしばる。

背中に突き上げてきたプライドに胸を張って、睦月は立ち上がった。ふっくらした乳房の上下を走る二条の縄が無惨だ。顔に流れる汗を拭うこともできず、目に入る汗を顔を振って飛ばした。
「いいよ、いい、その動作は自然だ。芝居が流れる時間に乗って、さり気なく演技を入れていくんだ。周りを見ながら演技しようという日和見が一番だめだ。いいね、芝居の時間は身体で覚えるんだ。僕が決めた時間の流れの中では、どんなアドリブをやってもいい」
ほめられた睦月の顔に他愛なく笑顔が浮かぶ。悪びれぬ態度で素早く沢田の所に戻った。背の高い沢田から半歩下がって睦月が並ぶ。後ろ手に緊縛された小さな裸身を引き連れ、沢田は薄暗い煉瓦蔵の中に入っていった。

「よし、もう一回やろう。何と言ったってクライマックスなんだ。できるようになるまで特訓する。いいね、中の舞台から外の舞台への出だ。二つの舞台では二分三十秒の間隔を置いて、縛られ女郎が馬子に救出される場が進行している。睦月はこれまでの出の中で一番過酷な、背面合掌縛りに緊縛されて二つの舞台を巡礼する。イメージとしての縛られ女郎が将来への夢も希望もなくし、悄然として折檻部屋に曳かれて行くんだ。いいかい睦月、これが最後の出だぞ。芝居も終わる。睦月は迫真の演技で、中の舞台を見ている客のすべてを外の舞台に誘導して来るんだ。つまり、屋内の舞台で演じている役者を完全に食わなくてはならない。凄惨な美しさで百人からの客の先頭に立ち、客と同じ地平を歩いて外の舞台に連れ出すんだ。外の舞台は中の舞台に二分三十秒遅れて芝居が進行している。連れ出された客には何の違和感もない。外にいた客と混じり合って全員がラストシーンに熱狂するんだ。ああ、本当の馬が使えないのが悔しくてならないよ。立ち稽古が始まれば、最終幕では織姫通りに面した正面の鉄扉を開け放す。本来はイメージとしての馬子が馬に乗って現れ、イメージとしての縛られ女郎を別世界に連れ出すんだ。だが芝居は映画と違う。馬に演技はさせられない。縄を解かれた睦月が鉄扉の外に駆け出して行くだけで終わりだ。同時に舞台も終わる。メルボルンの本番でも仕掛けはまったく同じだ。さあ睦月、本番の気持ちでやってみよう」

黒々とした煉瓦壁に囲まれた空間に、熱のこもったバスが反響した。睦月の背筋を今度は熱い快感が駆け抜ける。大きくうなずいて見上げた沢田の目はギラギラと熱く燃え上がっていた。
二人は並んで暗く細長い空間を歩く。照明は天井から落ちるピンスポットが一灯あるだけだ。閉じられた正面入口寄りのコンクリートの床に、屋内舞台の位置が白いチョークで印されている。睦月の興奮が否応もなく高まる。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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