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6.八木節(3)

「この由来のとおり、沢田さんの芝居は史実にものっとってますよ。お雪という女郎も、いわゆる飯盛り女郎だったに違いない。しかしですよ、沢田さん。縛られ女郎というのは初耳です。私には突拍子もないとしか言えません。それに、あの睦月さんという人は素人じゃないですか。いやいや、それより何よりヒロインが縛られ女郎では、八木節の情緒が損なわれてしまいますよ。もう一度考え直してくれませんか」
昨年まで図書館長をしていた支配人は、まるで故郷の歴史が汚されてしまうといった表情をしている。
「いや、違いますよ。由来くどきを支配人に見せてもらったお陰で、想像していた以上に時間の凝縮が必要だと理解できたのです。郭で泣き暮らす悲運の女郎が、若くて力強い馬子に、自由の世界に連れ出されるだけではいかにも冗漫です。由来にあるとおり、いつか明るい盆歌音頭になってしまった八木節が、芝居のバックに流れ続けるのですよ。長い時間の流れが凍り付くような舞台を創造するには、縛られ女郎に限ります。それに、あのアブストラクトな自縛ショーに私を誘ってくれたのは支配人じゃないですか。煉瓦蔵の中に作る舞台と、外の広場に作る舞台の間を、素っ裸で後ろ手に縛られた女郎のイメージが巡り歩くのです。間違いなく異数の世界が開かれるでしょう。最高のイメージですよ。いくら支配人が初耳でも、郭の客に縛られ弄ばれることを業とした女郎も、きっといたはずです。やはり脚本は直しますよ。Mさん、どうだろう」

話が突然、またMに振られた。どちらでも大差がないと答えたかったが、睦月がからんでいては話しは別だった。温くなった麦茶を一息に飲み干し、じっと手元の紙片を見つめた。古ぼけた八木節由来くどきの文字の影から、高島田に結い上げた髪が崩れ、伏し目がちに内股で歩む睦月の裸身が浮かび上がった。妖艶だが、みずみずしいほど新鮮な白い裸身だ。先日クラブ・ペインクリニックで見た猥雑なイメージはなく、楚々として哀れな美しい姿だった。

荒廃してしまった睦月の心が変わるかも知れない、と急に思った。何よりも睦月は芸術に憧れているのだ。そして、M自身の評価はともかく、沢田の演劇が国際コンクールのグランプリを狙える水準にあることも事実だった。そして今、一つのチャンスが足元に落ちてきたのだ。睦月が変わって欲しいとMは願った。虐待に耐えている進太のためにも絶好の機会だと思った。

「睦月のショーに目が止まるなんて、さすがは沢田さんね。磨き上げれば、睦月は十二分に輝くわ」
心にもないことを言って、Mは沢田の目を見つめた。沢田の目が無邪気に輝き出す。早口のバスが興奮に震えた。
「Mさん、すぐ睦月ちゃんの家に案内してくれ。僕が直接出演を依頼する。きっと、すごい芝居になるよ」
まだ何か言いたそうな支配人に目もくれず、立ち上がった沢田がいち早く管理事務所の戸を開け放った。暑い外気が室内に押し寄せ、引いたばかりの汗がまたMの首筋に滲み出した。煉瓦蔵の扉の奥からチャカポコ、チャカポコと、八木節のリズムが聞こえてくる。沢田に続いてMも外の広場に出た。全身が焼け付くように暑い。
「まだ稽古を初めて三日目だからね、役者には好きに踊ってもらっている。キャストを決め、脚本読みを済ませてから、ここに乗り込んできたからね。八木節の風土の中にどっぷり浸かり、土俗の雰囲気を身に染み込ませることが大切だと、全員がわきまえている。時間差を付けて同じ芝居が二つの舞台で進行するんだ。すべては肉体でリズムを刻めるようになってからだよ。立ち稽古は来週からでいいんだ」
沢田が薄暗い蔵の中に目をやって、問わず語りに稽古のスケジュールを説明した。正午の日射しを浴びて精悍な目が輝き続けている。一緒に外に出てきた支配人が目をしょぼつかせ、肩をすくめてから管理事務所に戻っていった。脚本の行方はすでに決まってしまったのだ。

Mは腕の時計に目を走らせる。やっと睦月が起きだした時刻に思われたが、寝入っているはずはない。
「睦月の家は、ここから歩いて二十分の距離です。どうします。この暑さであの車だけど、私の車で行きましょうか」
裏口の駐車場で直射日光を浴びている、オープンにしたMG・Fに目をやりながら、Mがうんざりした声で尋ねた。
「Mさん、せっかく自転車を持ってきてもらったんだ。自転車で行きましょうよ。女性と一緒のサイクリングなんて何年振りだろう。この街は本当に楽しい」
沢田がはしゃぎ回って青い自転車にまたがった。オフホワイトのパンツも紺の綿シャツも、すでに汗が滲んでいる。Mも諦めて緑色の自転車にまたがる。黒いジーンズのウエストに巻いたバックから、レイバンのサングラスを取り出す。自転車に乗るのは恐らく二十年振りのことだ。今さら乗れるだろうかといぶかり、不安が掠める。まぶしい空を仰ぐと、オレンジ色のサングラス越しに巨大な積乱雲が見えた。雲は赤黒い煉瓦壁の上の黒い瓦屋根の上に、覆い被さるように膨れ上がっている。八木節のリズムに隠れて小さく遠雷が聞こえた。短かった梅雨が明け、熱い夏が始まったのだ。
「さあ、行こう」
元気な声が響き、方向も分からないまま沢田が自転車をこぎ出す。猛暑の街は一面の蝉時雨だ。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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