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8 改めての招待(3)

「それでは、バイクはじき帰れるのね」
背後で組んだ手を戻して、祐子が明るい声で言った。
「帰れないわ。施設でショートステーすることになる。ケースワーカーの天田さんが、お婆さんの埋葬の手続きをするから、葬儀の日まで帰らないわ」
今度は祐子の肩が落ちた。

「お葬式はいつ」
「明日か、その次の日」
Mが答えた後、長い沈黙が部屋に流れた。居たたまれなくなった祐子が、トイレに行くと言って席を立った。
祐子が戻ったときにはもう、Mの姿はリビングになかった。窓辺によって通りを見下ろすと、オープンにしたMG・Fが凄い速度で走り去って行くのが見えた。
Mが去って行ったのだと、改めて祐子は思った。小さな悲しみが心の端に湧いた。しかし、後戻りはできない。


Mの涙に霞んだ目に、天満宮の大きな鳥居がぼやけて見えた。織姫通りが途切れるのだ。タイヤを鳴らして鋭く右に曲がった。ミドシップのエンジンが吼え、心地よいほどの切れ込みで車体がカーブを切る。強い横風が涙を吹き飛ばしていった。しかし涙は次から次にMの頬を伝った。

祐子が、バイクが、死んだバイクのお婆さんが、すべてが悲しかった。未熟な人たちが皆、思いも掛けぬ方向に流されていく。
死者の眠る家で、寒々とした裸身をからませ、意味のない官能を追う祐子とバイクの姿が脳裏に浮かぶ。悲惨だった。

「ウワー」
オープンのMG・FからMの叫びが、熱射に焼かれた古い町並みに流れた。
急ブレーキに車体が振動し、タイヤが泣く。道端でエンジンが切れたまま止まったMG・Fの小さなハンドルに突っ伏し、Mは号泣した。

何の用意もなく官能の世界に飛び出して行った祐子を、どうして引き留められなかったのかと、Mは悔やむ。祐子とバイクにセックスなど、初めから必要でなかったのだ。何故、二人の置かれた位置を、二人とも冷静に見つめることをしなかったのか。どう考えても、祐子とバイクは、プラトニックラブで十分だった。これからの苦しい数年間を、共に生き抜ける道標にはなったはずだ。腹立たしさと情けなさがMの全身を交錯し、こぼれた涙が白いパンツに数え切れない染みを作った。

あってはならない性の仕組みを作り、誘蛾灯のようにバイクと祐子を誘ったクラブ・ペインクリニックの情景が目に浮かんだ。人の持つ苦悩のすべてを、性に帰結させようとする邪悪な仕組みだと思う。蟻地獄の底で待ちかまえている悪霊たちが演出した舞台だった。決して許せるものでなかった。
高ぶりに任せたMの感情の底で、凄い速度で落下していくバイクと祐子の幻影が救いを求める。

しかし、二人を押し止めることができるだろうか。
自由落下を始めた無重力の状態を、いつまでも続く自由と勘違いした二人が、必ずやってくる激突の時を認識できるかどうか不安だった。時間の問題だとMは思わざるを得ない。
滅びの時は、以外に近いと確信した。そして恐らく、私は二人に何もしてやれないまま、その時と立ち会うだろう。
いつしか涙も涸れきり、頭を焦がす熱射を浴びて、Mはいつまでもハンドルに突っ伏していた。

8 改めての招待(2)

大きくドアを開けて、外の熱気と共にMが入って来る。颯爽とした態度に頭が下がるが、ほんの少しのデリカシーに欠けると祐子は思う。だって私は裸なのだから、ドアは細目に開けて欲しい。もう、小学生ではないのだ。
そんな祐子の気持ちにはお構いなく、Mは勝手にリビングに通り、広いテーブルの前のソファーに座った。

「祐子も座りなさい。ちょっと話があるの」
素っ裸のままソファーの横に立った祐子に、Mが前の椅子を勧める。ここは私の家だと思い、ちょっと臍が曲がった。
「こんな格好でMに失礼だから、服を着ます」
「いいの。そのままでいて。もし裸が恥ずかしいのなら、私も脱ぐわ」
もう、抗う術はなかった。Mの前に、股間に両手を置いて浅く座った祐子の裸身を、じっとMが見つめる。

「祐子、昨夜付けていた素敵なネックチェーンはどうしたの」
思わず右手を首にやった祐子の負けだった。いつ取れたのか記憶もない。初めて付けたチェーンだったので、無くなっても違和感がなかったのだ。
「これでしょう。変わったチェーンだと思ったから、すぐ祐子のだと分かったわ。ストッパーが外れやすいのね」
Mが差し出したチェーンは、確かに祐子の物だった。

「ありがとう。Mの会社で落としたのね」
「いいえ。バイクの家の庭の植え込みに引っかかっていたわ」
見る間に祐子の裸身が赤く染まった。失語症になったように言葉が出ない。バイクの前で裸身を晒したとき、胸元で揺れていたネックチェーンの感触を思い出した。抗弁できることは、無くなっていた。今更しらは切れない。目の前に証拠があるのだ。

「私がマンションの前まで送った後、祐子はバイクの家に行ったのね」
Mが静かに言葉を続けた。恐ろしかった。受け取ったチェーンを握って股間に置いた手が、微かに震えるのが分かる。
「まさか、庭まで行って帰って来たとは言わないでしょうね」
下を向いたまま祐子は小さく頷く。陰毛の剃り跡が惨めに見えた。
「そう、それじゃあ聞かせて。両手首と乳房に出来た縄の痕のことも聞かせて欲しいの」
見下ろした両手首に、確かに赤い縄目の跡が残っていた。バイクにあれほど厳しく緊縛されたのだ。見ることはできないが、乳房の上にも当然縄目の跡が残っているに違いない。

急に目から涙がこぼれた。警察官に曳かれて行ったバイクの、悲しそうな視線が頭をよぎる。祐子は号泣した。泣き続けながら途切れ途切れに、昨夜のことをすべて話した。
話し終わったとき、涙が止んだ。止むというより、涸れたといった方がよかった。洗いざらい話しきった後の爽快感が、鈍い痛みと共に下半身全体を被い、全身に伝わっていく。私は変わったはずなんだと、その時思った。バイクも一緒に変わった。下半身に残る痛みが二人の旅立ちの証だった。

祐子は股間に置いた手を上げ、金のネックチェーンを再び首に飾った。
両手を昨夜のように後ろ手にして胸を張った。突き出た乳首がキュッと固くなる。股間に力を込めると、陰毛の剃り跡が太股を鋭く刺した。小さな勇気が湧いてきた。勇気はバイクと祐子の二人のものだ。今更、有ったことを無かったことにはできない。
祐子は泣き腫らした赤い目で、正面からじっとMの目を見つめた。
Mの瞳の奥に、悲しみが宿ったと思った。

「私は後悔していない」
はっきりと、Mの瞳に言った。
Mの肩が落ちるのが分かった。
「そう。バイクは警察に調書を作りに行ったわ。警視官は犯罪は無かったと断定した。後は連絡が遅れたことを申し開きするだけ。バイクは身障者だし、ピアニストが付き添って行ったから問題はないわ」
Mは淡々と取材したことを話した。死後二週間の間、放置されていた老婆のことは記事に出来ない。地域の新聞は、猟奇を追う週刊誌とは違う。

8 改めての招待(1)

薄く開いた目を眩しい光が打った。

祐子は綿毛布を頭まで被り、寝返りを打ってベットにうつ伏せになった。全身が気だるかった。特に、股間に鈍い痛みを感じる。
昨夜の記憶がすべて、一瞬のうちに甦った。あれほど様々なことがあったのに、今頭に浮かんでいるのは、なぜか風呂に浸かっている画像だった。

バイクと二人、広い木の湯舟に浸かっている。不思議なことに画像は、湯舟を真上から見下ろした画だ。ちょうど祐子の両の乳首のところまで湯がある。微かに波打つ湯面が、赤く染まった乳首を洗う。バイクの右手が伸び、左の乳首を摘んだ。耐えきれない疼きが下半身を襲い、祐子の裸身が震えた。

「バイクッ」
大きく声を出して、祐子は綿毛布から顔を出した。眩しさを我慢して目を細く開ける。ずいぶん日が高くなっている様子だった。タイマーでエアコンも止まり、暑い。
寝過ごしてしまったと、まだ覚め切らぬ頭で悔やみ、裸のまま飛び起きた。ベッドサイドの時計を見ると、もう十時を回っている。

慌てて窓辺に駆け寄り、カーテンを開けた。八月の暑い光が全身を打つ。
目を細めたまま織姫通りを見下ろす。道行く人もいない日曜日の路上に、二台のパトカーと、ワゴン車が止まっている。白と黒に染め分けた車体が不吉だった。急いで煉瓦蔵の隣の路地に目をやる。狭い路地を制して、黄色のロープが張られていた。

バイクの家に警官が来たのだ。
裸の背筋が冷たく震え、剥き出しの股間がキュッと締まった。一晩で伸びた陰毛が太股をチクリと刺した。
祐子は眉を寄せて、日陰になった路地の入り口を見つめ続けた。十分も見続けただろうか、不安な気持ちが募り、尿意が襲ったとき、路地から出て来た制服警官が黄色いロープを外した。続いて、車椅子に乗ったバイクが見えた。
バイクは背筋を伸ばし、正面を見ている。顔が影になっていたが凛とした瞳が光った。スポーツシャツを着た屈強な男が、車椅子を押している。後から数人の男が続く。男たちの中にピアニストの顔があった。

路上に出たバイクは、二人の男に担がれて、大きく開いたワゴン車の後部ドアへと持ち上げられた。宙に浮いたバイクが顔を上げて祐子の窓を見た。一瞬だったが、悲しそうな視線を捉えることができた。きっとバイクが見た祐子の目も悲しそうだったはずだ。
バイクがワゴン車に消えると、ピアニストも同じ車に乗り込んだ。パトカーに先導されて、バイクの乗った車が去って行く。音の聞こえぬ路上の無言劇は、祐子の神経を痛め付けた。

フッと溜息をついて目を落とすと、真下の路上にオープンにしたMG・Fが止まっている。ぎょっとして煉瓦蔵を見る。路地からちょうど、紺のシャツに白いパンツ姿のMが出て来たところだった。立ち止まって祐子の窓を見上げる。反射的に身を反らせたが、多分Mに見られたと祐子は思った。全身が熱くなり、昨夜の官能の記憶が脳裏を走っていった。しかし、別に見られたからといって気にすることもない。Mは昨夜のことは何も知らない。

Mは記者なのだから、警察と一緒にいても不思議ではない。なにより、バイクのお婆さんは病死なのだ。警察が事情を理解してくれるのは時間の問題だと思った。
少し気持ちが楽になり、トイレに行こうとドアを開けてリビングに出る。突然脅迫するようにインターホンが鳴った。
バイクが連れて行かれてしまった今、訪ねて来る者はMしか思い当たらなかった。

予期したとおり、取り上げた受話器からMの声が響く。
「祐子、Mよ。ドアを開けて」
珍しく気ぜわしい声が、耳に飛び込んできた。窓越しに見られてしまったことを改めて後悔した。しかし、素知らぬ声で一応答えてみる。
「お早う、M。起きたばかりで、まだ着替えてないの」
「通りから見て知っているわ。裸のままでしょう。構わないから開けなさい。私しかいないから大丈夫」
何が大丈夫なのか分からないが、いつもの強引さに叶う術はない。裸のままドアの前まで行って、錠とドアチェーンを外した。

7 煉瓦蔵の裏で(6)

真っ直ぐバイクの部屋に入ろうとすると「待って」と押し止められた。
「祐子、このまま廊下の先まで行ってくれないか。お婆さんに会って欲しいんだ」
非常識なバイクの言葉に、祐子の裸身が怒りに震えた。たとえセックスをしたからといって、素っ裸のまま家族に会わせようという心理が理解できなかった。
「いやよ。どんな格好か見てから言って」
「お婆さんは分かりはしない。むしろこの格好がいいんだ」
動じる風もなく、かえって真剣な声でバイクが答えた。
「そんなに、お婆さんは良くないの。駄目よ、びっくりして死んでしまうわ」
「もう、死んでいるんだ。死体に会うのはいやかい」

信じがたい言葉に全身が鳥肌立った。しかし、嘘ではないだろうと、鮮明になった訪問時の記憶が冷静に答えた。潜り戸を開けて、風呂場を通ったときに嗅いだ変な臭いの記憶だ。水道山の下の老人ホームで、第一ヴァイオリンの老女の死体から漂っていたのと同じ臭いだ。死臭だった。死の臭いがいっぱい、この屋敷に立ちこめていたのだ。知らずに祐子は裸身を晒し、官能を追った。知っていたバイクも同じ性の道を歩み、甦ったペニスから射精さえしたのだった。過ぎたこととはいえ、戦慄しないわけにはいかなかった。

「祐子、そのままの姿をぜひ、死んだお婆さんに見せて欲しいんだ。きっと喜ぶ」
過酷な言葉だった。いくら自分で求めたこととはいえ、これまでの日常と比べ凄まじいほどの変わりようだった。ここまで人は、変わってしまっていいものだろうかと思う。私はまだ、十五歳なんだ。
しかし祐子は、きつく歯を食いしばってから、鳥肌の立った裸身を震わせ、大きく息を吸って廊下の奥へ向かった。忘れることの出来ない、耐え難い死臭が、肺の奥深くまで入り込んでくる。

廊下の突き当たりの座敷の前で、車椅子を止めた。
無造作に手を伸ばしたバイクが、襖を一杯に開いた。強い死臭が鼻孔を打つ。
八畳の和室の中央に布団が敷かれ、薄い夏掛けを被って小さなお婆さんが横たわっているようだった。天井から吊った照明が弱い光を落としている。
バイクの車椅子の後に祐子も続いた。歩く度にチクリと股間を刺す、陰毛の剃り跡が辛うじて勇気を与えてくれる。

布団の横に車椅子を進めたバイクが、祐子を振り返った。
「夏掛けを全部剥がしてやってくれ。お願いだ」
もう躊躇が許される場面ではない。言われるまま祐子は、夏掛けの端を持って一気に足下までめくった。
固く萎びきった、褐色のねじ曲がった死体が眼下にあった。強烈な臭いを別にすれば、人の死体とは見えないような屍だった。異国の神像が安置されているようにさえ見える。裸のまま、手を上に差し招くように延ばしている。肋骨の浮いた薄い胸で、萎みきった風船みたいに張り付いた乳房だけが生々しかった。

祐子は涙も出ない。突きつけられた圧倒的な死が、ただ深い悲しみだけを運んで来る。
「俺を風呂に入れた後、自分が着替えようとしている内に、突然倒れてしまったんだ。昼来たピアニストは心臓の発作らしいと言うが、無念だったと思う。俺のことを不憫がって、先には死ねないといつも言っていたんだ。無念さが死に顔に溢れていた。だから俺は、そのままにしていたんだ。不憫がられないように変われるかも知れなかったんだから。どう足掻いても無理だったが、祐子のお陰で、もう独りでいられる。だからぜひ、お婆さんに会ってもらいたかったんだ。本当にありがとう」

祐子の頬を始めて涙が伝った。懸命に自分の道を求めざるを得なかった、バイクのために流す涙だった。悲しすぎる人たちのために泣いた。

「訪ねて来たピアニストにお婆さんの死体が見付かり、明日、警察に届けることになった。もう会えなくなるかも知れないが、祐子のことは忘れない。俺は独りでいられるんだ」
「そんな勝手は許さない。お婆さんの代わりに毎日私が来る。バイクが自立するためにずっと協力する」
バイクの顔が苦痛に歪んだ。車椅子の肘掛けを両手で握り、力いっぱい身体を持ち上げた。剥き出しの股間で陰毛に埋もれていたペニスがむっくりと頭をもたげ、見る見るうちに固く勃起した。

「勝手な言いぐさだが、いつまでも祐子を素っ裸にして、股間を縛り上げているわけにはいかない」
確かにそうだと祐子も思う。チーフの言っていた協力の内容の陳腐さが今、痛い程良く分かった。
しかし、もう後に引くわけに行かなかった。帰るための橋など、初めから無かったのだ。死体を前にしたバイクは、独りでも生きていけるとは言ってはいない。お婆さんと同じ道を選ぶかもしれなかった。

後から後から流れる涙は、決して祐子の心を清浄にはしない。決まり切ったことだと心の中で言って、なおも祐子は泣き続けた。

7 煉瓦蔵の裏で(5)

鼻を啜っているバイクに縛った縄を解かせながら、祐子が冷たく言った。
「お風呂に入れるの。バイクの身体は臭かったわ」
全身を小さくしたバイクが黙って頷く。
「外から焚くんでしょう」
「今は大型のボイラーがある」
「じゃあ、毎日入らなくては駄目よ。今夜は私も一緒に入る」
言い捨てて祐子は、バイクをおいて風呂場に向かった。
ボイラーの温度を調節し、蛇口を一杯に開いて大きな湯舟に湯を入れた。もうもうと風呂場を被う白い湯気に包まれた裸身を、突然冷たい感覚が走った。バイクと一緒に暮らしているはずのお婆さんは何処にいるのだろう。湯気の中で白い肌が真っ赤に染まり、続いて全身に鳥肌が立った。襖を開け放したまま、明るい照明を浴びてあられもない姿態を晒したのだ。たとえバイクが、とてつもなく非常識だったとしても、お婆さんが在宅ならばできない行動だと思った。やはり天田が心配したとおり、入院しているのかも知れないと思う。風呂に入っていなかったバイクのことも得心がいく。

祐子はやっと胸をなで下ろした。湯舟の湯ももう、七分ほどになっている。
「ずいぶん早く湯が入るだろう」
背後に声が聞こえ、素っ裸のまま車椅子に乗ったバイクが、照れくさそうな素振りで廊下から渡された板を渡って来た。
車椅子を車止めに乗り上げたが、一人で降りることができない。降りるための台がないのだから当然のことだった。祐子が手を貸して簀の子の上に下ろした。改めて裸身を見るとずいぶん汚れている。嫌な臭いも、また鼻を突いた。

こんな汚い裸身を抱いたのかと思うと、初めての体験が情けなくなるが、初めての体験を理由にきっぱりと無視する。
桶に湯を汲んで何杯も、バイクの頭から浴びせた。
滑らないように気を付けてバイクを支え、そっと湯舟に浸ける。頭全体が湯の上にあることを確かめてから、隣に入った。
二人とも黙ったまま目を瞑って温めの湯に浸かった。全身に沈殿した疲労を、ゆっくりと湯が揉みほぐしてくれる。
祐子は思いきって頭全体を湯に沈めた。髪が濡れてしまっても、家まで二分の距離だ、気にすることはなかった。

「いいな祐子は、思い切ったことができて」
今夜のことで皮肉を言われたと思った祐子は、濡れた髪を振ってバイクを睨んだ。
「俺なんて風呂に入るのは命がけなんだ。頭まで潜ろうものなら浮力でバランスを崩し、溺れてしまうかも知れない」
確かにそうだと思った。人の痛みが分からぬものは救われないと、自らの不明を恥じた。
「バイクも一人で大変ね。お婆さんは入院したの。退院するまで、私が毎日来てもいいのよ」
「いや、お婆さんは家にいるよ。ただ、俺の世話ができなくなった。まあ、風呂が困るくらいなもんだけどね」
湯でほてった祐子の背筋を、また冷たい感覚が掠めた。やはりお婆さんは家にいたのだ。確かめないまま高ぶりに任せ、バイクを誘った自分が、今更ながら恥ずかしくなった。まだまだ未熟なのだ。

悄然としてしまった祐子にバイクが声を掛けた。
「そろそろ上がろうか。二週間振りの風呂で熱くなってしまった」
湯舟の中でバイクを支え、簀の子に上げてから祐子も上がり、造り付けの棚からバスタオルを取ってバイクの全身を拭った。ざっと自分の体を拭いてから、バイクを車椅子に乗せ、廊下に出る。二人とも素っ裸のままだ。祐子は、いつお婆さんに出会うかと思うと、心配でならない。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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