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7.結婚(3)

三十日の朝、朝食の席に下りていくと、お菊さんの姿がなかった。四人の婆さんがそろわないのは初めてのことだった。
「お菊さんは借金の申し込みに飛び回っているぞ。できの悪い息子と孫を持つと、あの歳になってまで所帯苦労だ。足手まといの係累ならいない方がいい。わしらはさばさばしたもんだよ」
Mが事情を尋ねる前に、お米さんがとくとくとして留守の理由を説明した。四人の婆さんの中で子供がいるのはお菊さんだけだ。言葉の端に羨ましさが含まれているようで聞くのがつらい。急いで朝食を食べて大屋の店に向かった。だが、シャッターは下りたままで、相変わらず貧相な張り紙が貼ってある。借金を返してもらうどころか、工事現場までの交通を心配しなければならない予感がした。今日の現場の近くには福祉バスの路線はない。イライラしながら古い家並みの立て込んだ市道の先に目を凝らした。高架のガードをくぐって現れた大屋の姿を見たときは、さすがにほっとした気持ちになった。ガードマンの制服のままいつものバイクに乗っている。疲れ切った様子でMのすぐ前に停車した。黒ずんだ顔を目深に被ったヘルメットで隠していたが、左の目の下に黒い痣が見えた。誰かに殴られたに違いなかった。

「大屋さん、その格好で都会に行ったの。まさかバイクで行ったんじゃないでしょうね」
Mの問いに答えるのもつらそうに、大屋はうんざりした素振りで両肩をすくめた。
「この格好で都会に行ったのさ。もう電車賃もない。息子の下宿で雑魚寝だよ。情けないったらありゃしない。M、後十万円貸してくれって言ったって無理だよね」
「当然でしょう。今朝だって十万円を返して欲しくて待っていたんだから」
大屋の図々しい申し出に腹を立て、Mの声が尖った。
「分かっているんだが散々だよ。もう親子で心中するしかない。連休明けまでに四十万つくらないと息子は退学になる」
「だって、その四十万のために私は十万円貸したのよ」
訳の分からない大屋の答えがMの怒りに油を注いだ。
「甘かったんだ」
大屋は嘆息してうなだれてしまう。
「都会で何があったの。何が甘かったのよ」
「学費を全額払いたくて、息子の学費を押さえた金融業者の所に行ったんだ。やっとつくった四十万円を見せ金にして、息子の学費を返してくれるように交渉したんだ。鬼のような奴らだった。利息が高くなってもいいという俺の申し出を鼻で笑い。今までの利息だと言って全部取り上げたんだ。見てくれ、暴力金融だよ」
目深に被っていたヘルメットを上げて、大屋は殴られた後の痣を見せた。黒く内出血した肌にうっすらと血が滲んでいる。Mは大きく溜息を付いた。大屋はなけなしの金を四十万円も捨ててきたのだ。最低の男だった。後は息子を中退させて稼がせるしかない。Mの十万円は今日返るどころか返済も怪しそうだ。このままでは指輪どころか刑務所までの電車賃も出ない。最悪の朝だった。

惨憺たる気持ちでMと大屋は一日の仕事を終えた。満足に食事をとらない大屋の身体は仕事中にも危なげに震えた。その分Mに負担がかかる。全身が疲労に浸かってしまったような気がした。お互いに無言のままバイクに乗って帰路に着いた。途中で市役所に寄ってくれるよう大声で頼む。大屋の返事はない。返事のない様子から交通費を請求される予感がした。考えてみれば、毎日バイクに乗せてもらっているのだ。だが、最後のプライドが大屋に交通費のことを言わせないようだった。Mとのコンビを解消されれば、今の大屋ではきっと会社をやめさせられるに違いなかった。バイクは市役所の構内に滑り込んだ。大屋を待たせて宿直窓口に向かった。用意してあった新しい戸籍謄本を二通、七百円と引き替えに受け取る。そのまま一通を準備した封筒に入れ、大屋に郵便局に向かってもらった。受付窓口で速達の手続きを終えると、やっと肩の荷が下りた気がした。借金に回るという大屋に礼を言って織姫通りでバイクを降りた。トラッドショップに寄ってみたい誘惑に駆られたが、まず電車賃の捻出が先だと思って真っ直ぐ帰る。あいにく富士見荘の玄関先でお菊さんと鉢合わせしてしまった。お菊さんの焦燥も思いの外深そうだ。

「M、千円貸してくれろ」
暗がりで目が合うなり、些細な借金を申し込まれた。
「千円でいいんだ。知人に借金を申し込むのに菓子折がいる。貸してくれろ」
財布からまた千円が消えた。お菊さんの方が数倍も上手だった。身体がぐったりして風呂に入る気力もなくして部屋に上がった。だが、親切な桜さんが風呂の時間を告げに部屋を訪ねてくれた。婆さんたちは一番風呂に入るのがどうしても嫌らしい。桜さんは風呂を勧めた後もおずおずと言葉を続ける。
「Mは現金で持っているからお菊さんに借りられるのよ。お金は全部郵便局に預けなさい。手元に現金がなければ、たやすく貸すこともできないでしょう。どうしても貸したいときは郵便局まで同行して貸すの。必ず局員の見ている前でね。そうすれば局員が証人になると借りた人も思う。貸したお金が帰ってくる確率も上がるわ」
Mに返す言葉はなかった。うなだれたまま何回も首を縦に振った。肉食獣の集まる草原に放り出された子ウサギのような惨めな気分になった。暮らしの奥は本当に深いと思って大きく溜息を付いた。
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