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1.葬儀社(2)

Mは懸命に四年前に別れたきりの光男の姿を思い描こうとした。だが、頭も心も真っ白なままで何の像も浮かび上がろうとしない。雑然として暗い都会の雑踏だけが、頻りに頭の隅をよぎっていった。Mの暮らすこの都会のどこかに光男は移り住み、どれほどかの喜びと悲しみを残してエイズで死んだのだ。真っ白な悲しみがMの全身を覆いつくした。
「どうしたのM、涙なんて流して。ひょっとして故人と知り合いなの。私が代わりに行ってもいいのよ」
涙に霞む目に当惑した専務の顔が映った。事情を話し、専務に代わってもらった方がいいと、冷たく覚めた理性の声がMに告げる。だが声に抗うように、はっきりした言葉が口を突く。
「いいえ、これは私の仕事です」
答えを聞いた専務の顔が更に当惑する。Mの言う仕事の意味がよく捕らえられないのだ。

「確かに故人は私の知人です。でも、私情で仕事はしません。立派な仕事をすることが故人への義務ですものね」
込み上げてくる嗚咽を抑えてMが答えた。
「そう、それほど言うなら予定通りお願いするわ。知り合いがエイズで死ぬなんてショックでしょうね。伝染の怖れもあるし」
「専務、私は闇雲にエイズを恐れてはいない。エイズは感染力の弱い病気です。血液をとおしてしか感染しない」
苛立った声に専務がまた当惑した。
「Mの言う通りね。でも、長い間記者をしていたMと違って、普通の人はエイズに恐怖感があるわ。治療法がないんだものね。確実に死ぬことが分かっている病気はやはり怖い。どうしてMは、記者を辞めてうちに来たの」
とんだところでMは職歴を問われた。人手不足の葬儀社で初めて発せられた問いだった。
「私は転々と職を変えただけで記者をしていたわけではないわ。二年前にここに勤めたのは、給料が良かったから。早速仕事にかかります」
涙で濡れた書類をショルダーバッグに入れてからMが答えた。今さら死者が身近に感じられてきたから転職したと言って、数度目の当惑を専務に感じさせる必要はなかった。
「気を付けて行って来て。これは宿泊費。領収書を忘れないでね」
経営者の顔に戻った専務が金の入った封筒と寝台車の鍵を差し出す。
「行って来ます」
Mの声が深夜の事務室に響いた。


寒そうに星が瞬く夜道を、Mは駐車場へ急いだ。胸を張って大股に歩くが、怒らせた肩が啜り泣きに震える。古ぼけたプレハブ造りの駐車場の前まで来て、大きく息をついた。くずおれてしまいそうになる腰に力を込め、重い鉄扉を小さく開いた。底冷えのする闇が全身を覆う。手探りで壁のスイッチを押すと、高い天井に蛍光灯が灯った。ぼんやりした青い光が巨大な霊柩車と寝台車を照らしだす。Mはマイクロバスほどの大きさがある黒塗りの寝台車の後ろに回った。古ぼけた観音開きの後部ドアを開けて、積んであった折り畳み式の担送車を降ろす。死者を乗せる広々としたスペースに、葬儀に必要な機材を積み込まねばならない。まずガレージの隅に置いてある簡易型の祭壇のコンテナを奥に積み、続いて棺を積み込む。止まっていた涙がこぼれ落ち、白木の棺を濡らした。最後に、降ろしておいた担送車を苦労して棺の横に入れた。死者を包み込む白布が付いたマットをロッカーから出し、そっと担送車の上に載せた。この白いマットに死んだ光男が横たわるのだ。狭苦しい車内の光景が再び涙を誘った。正面のシャッターを大きく開き、寝台車のエンジンをかける。Mはようやく落ち着きを取り戻した。


静まり返った深夜の都会を、漆黒の棺車が光男の遺体を迎えに急ぐ。黒々とそびえる大学病院の古い建物の影を縫うようにして、Mは地階の駐車場入口へ回り込んだ。死者が退院する場所は地下の裏口と決まっているのだ。不可解な病院の定めだった。物に変わってしまった患者に人は冷たいとMは思う。警備員に事情を話し、病棟に向かう許可をもらう。担送車を降ろし白いマスクをする。胸ポケットの上に身分を証明するカードを付けてから、担送車を押して院内へと進んでいった。打ちっ放しのコンクリートの壁に挟まれた迷路のような通路を何度か曲がって、エレベーターの前に出た。コールボタンを押すと、静まり返った通路にエレベーターの下りてくる音が低く響いた。担送車専用の広々としたエレベーターに乗り込み、書類に書かれてあった四階のボタンを押す。再び扉が開くと、病棟を照らす常夜灯のほのかな光がMを迎えた。並んだ病室の間に担送車の車輪の音が響き渡る。
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