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11 海へ(6)

手に触れる手錠の感触が痛々しかったが、ちょうどデルタの真上にある僕の手に、彼女の陰部から立ちこめる温気と、しっとりとした湿気が触れ、汗が滲み出しそうになる。汗は恐らく、微かに触れる上を向いた陰毛を伝い、彼女の体内に吸い取られるのだ。僕は時が止まってもいいと思った。いい気なものだ。

「どうするんだい」
精気のない父の声が車内に響く。
「予定通りよ」
無感情な声で母が応え、月が落ちた漆黒の闇の中をベンツが発進した。
予定通りと言う母の声が、もう一つのMの予言の正当性を認めるようで不吉だった。しかし、今日の僕はボデーガードなのだ。依頼者の利益は守らねばと、映画のケビン・コスナーみたいに眉間に皺を寄せようと頑張ってみた。だが、隣のMからは「すてきよ」と言う声は掛からず、微かに震えている股間が不吉な印象をさらに高める。

ひょっとして彼女は、本当に怖がっているのかも知れない。そう思うと射精しそうなまでに固く張り切っていたペニスまでが、急速に萎んでしまう。その時、僕の手を握った両手にぐっと力がこもった。なんて事はない、やはり僕が彼女に励まされていた。

春の夜明けが、西に向かって走る車を追い掛けて来る。
東の空が漆黒から紺、そして紫に変わり、山の端にたなびく雲が紅と灰色に交互に彩られるころには、目を上げて見る天空は一切が蒼天に変わり、巨大な青い屋根となっていた。短時間に繰り広げられた色彩の魔術は、行く末分からぬ僕たちの旅路を彩る花火のように、僕らを歓迎しつつ、どこかで拒絶しているように思われた。

沈黙が支配した車内に、V八エンジンの眠くなる振動だけが低く響く。
いつしか高速道路に乗り入れたベンツは、さりげなくスピードを上げて西に向かった。もう放っておいても時間の問題で、日本海に達して道が果てるはずだった。

Mの言った方角もまた、当たっていた。
やはり両親は、淫らに憔悴しきった生活にピリオドを打つため、Mを日本海に突き落とすつもりなのか。それとも、僕が彼女を守り通すことができるのか。
父と母が万一、Mを海に突き落とそうとしたとき、僕は本当に止めることができるのだろうか。
ボデーガードを気取ったつもりの僕に、様々な疑念が押し寄せて来る。
そんな不安にはお構いなく、時は瞬く間に流れ、車内に入り込む空気が北の海の香りを伝えてきた。
また負けるのだ。こうして僕は負け続けていくのだと、なぜか思った。特に自分の考えがあるわけでもないのに、思うにまかせぬ無力感に身を焦がした。救いを求めるようにMと握り合った手に力を込めた。
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