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2 カメラマン (1)

秋の気配を、全身で感じられるようになったころ。
私の勤める広告代理店はタウン誌を発行することになった。思い付きのように始められた企画だが、オーナーの一声で現実のものになってしまったようだ。社運を賭けるといった告示が張り出されたことは覚えていたが、そこは零細企業のいい加減なところで、うまくいかなかったら、いつでもやめてしまえといった意図が見え見えだった。その証拠に、満足なスタッフなど集めてはいない。とりあえず手の空いている者が慣れない仕事を進めているようだった。

その日、私の属するデザイン課にも応援の要請があった。
課長と例の件で気まずい関係になっていた私に、当然のように白羽の矢が当たる。即刻支援に出掛けるようにとの指示が飛んだ。おまけに、全社あげてのプロジェクトだからと言ってありがたくも、アシスタントまで付けてくれた。あのアルバイト学生の木村だ。
ふくれっ面でタウン誌編集室に行くと編集長から、早速取材に出掛けるよう命じられた。
一時間後の午後三時から、駅前のデパートの催事場で開催されるプレスレセプションへ行って来いと言うのだ。
提携している新聞社から地域情報としてファックスが入ったので、取材しなければならないのだと言うだけで、定年間近の編集長からは詳細の説明もない。
「なんて事だ」と私は思った。

「取材といったって、誰にでもできる仕事ですよ。初仕事なんだから、まあ気楽にやってきてください。でも、くれぐれも時間には遅れないでくださいね」
「なにが気楽にだ」と喧嘩腰になりそうになったが、ちょうど電話のベルが鳴り、気勢をそがれてしまった。受話器を取りながら顎をしゃくる編集長に舌打ちをし、部屋を出ようとすると後ろから声が掛かった。振り返ると、受話器を手で押さえた編集長が中腰になって高い声を出す。
「新聞社は来られなくなったんだってさ。取材は全てこっちに任せると言っている。できれば新聞社の分までやってきてくれよ。カメラを忘れるな。それから、車はないからね」
私は後ろ手にドアをばたんと閉めた。

最悪の滑り出しだった。こんな体制でタウン誌が発行できるものかと思ったが、それは私が心配することではないと気持ちを落ち着け、苦労していっぱしの取材記者の顔を作る。
デザイン課に寄って木村を連れ社員用の駐車場に向かう。隣を歩く木村は、肩からニコンF4をぶら下げている。社用の借り物とはいえ、いっぱしの写真記者を気取っている様子が面白いが、他人のことは言えない。

私の赤いユーノス・ロードスターを元気よくオープンにして乗り込む。木村がもたもたとシートーベルトを付けているのを尻目にアクセルを吹かし、急発進する。一瞬、シートに背中が押し付けられる快感がたまらない。
ロードスターはスムーズに駐車場を出て車の流れに乗り、しばらく気持ちよく走ったが、目抜き通リに合流する信号のはるか手前で渋滞に巻き込まれてしまった。信号待ちが四回目になり、いらいらしながらダッシュボードの時計を見つめる私の隣で、木村が呑気なことを言った。

「これから行くデパートの催事場では、何をやっているんですか」
「プレスレセプション」
不機嫌な声で私は答えたが、彼も負けてはいない。
「そうじゃあなくて、なんの催しのご招待かってことなんですよ」
「そんなこと知るわけないでしょう。なんの説明も聞いていないんだから」
言ってしまってから、しまったと思った。アルバイトの木村に会社の内情をぼやいても仕方がない。黙ってしまった木村に媚びるように明るい声を装った。
「デパートで何やってるのか、あなた本当に知らないの。今朝の新聞、読まなかったんだ。新聞記事によると、この市に住む郷土の写真家が、あの有名な土門拳賞を獲ったんだって。その受賞記念作品展示会が明日から始まるのよ。だから多分、今日はオープニングレセプションってとこなんじゃあない」
「へー、そうだったんですか。俺はプロのカメラマンの撮った写真を写しに行くんだ。それじゃあ初めから勝負あったって感じですよね」と間の抜けたことを言う。

やっとのことで渋滞を切り抜け、駅前のデパートに着いたときはもう、定刻の午後三時を三十分近く回っていた。
満車に近い駐車場でまたうろうろした後、疲れ切った気持ちでエレベーターに乗った。初仕事から遅刻では先が思いやられる。

催事場のある七階のドアが開き、廊下の先に展示場のアーチが見えたが、やはりざわめきも緊張感も伝わって来ない。足早に歩いて行ったが、終わってしまったものを元に戻すことはできない。
展示会場のアーチをくぐり、会場に一歩踏み行った私は素早く周囲を見回した。十数人の男女が、壁面に掲げられた大小の写真やパネルに見入っているだけだった。がっくりと肩を落とした私の視界に正面のパネルが入った。途端に落ちた肩に緊張が走り、目はパネルの上を凝視していた。

私の見つめるパネルには、あの夏の日に見ることの出来なかった情景が鮮やかに写し取られていた。児童公園のケヤキの周りの季節は、夏から秋、秋から冬、そして春へと四季に渡って変わってはいたが、その中央には決まって一人の少女がいた。壮絶なまでに真剣な表情と所作で、悲惨と苦悩、そして無垢の美しさを体現しているかのようにヴァイオリンを操る、まるで天使のような姿があった。
四枚のカラー写真に写し取られた、この世のものとも思われぬ緊張感を持続した天使は、その美しいフォルムから、あの夏の日の魅惑的なバッハの音色を漂わせながら、様々な姿態で私に挑み、誘い掛けて来るのだった。

「またお目に掛かれましたね」
私の耳元で突然、パネルの画面から聞こえて来たようにバリトンが響いた。忘れもしない、あの奇妙な夏の日の朝に聞いたバリトンだった。
「その写真の少女ですよ。あの日あなたのお好きなバッハを弾いていたのは。ご覧の通り素敵な少女なんです。あの美しい音楽のなんぶんの一でもいいから近付けたらと思って撮ったんです」
いつの間にか隣に並んだ彼が、囁くようなバリトンで話し掛ける。
耳をくすぐる声音に私は、背中から下半身にかけてむず痒くなった。たまらなく表情が見たくなって、正面のパネルに合わせたままの視線を、そっと彼のほうに向けたが、視界に入ったのは肩先だけだった。

「どうぞ、ゆっくり見ていってください」
私の返事も待たずにそのまま先に歩いて行く彼の後ろ姿を目で追っていると、すり寄ってきた木村が頓狂な声で話し掛けた。
「受賞者と知り合いだったんですか。ツーショットでいいムードでしたよ。でも変なカメラマンみたいですよ。そこの説明板で見たんですけど、あの人はキチガイばっかり撮るんですってよ。キジルシ専科なんてジャンル、聞いたことないですよね」
しつこく付きまとってくる木村を邪険に追い払いながら、私は会場を回り彼の作品を熱心に見た。

会場内の至る所に、極限にまで張りつめた緊張を湛え、無垢の美しさに満ちた天使たちの姿があった。その天使たちは少女であったり少年であったり、男性や女性、また老人であったりした。それぞれが、歌い、演奏し、描き、踊り、舞い、茶を点て、花を活けたりしている。
私は憑かれたように写真を追い、作品世界の感動に浸りきったまま、いつしかデパートの玄関を出ていた。

隣にいる木村が何事か話していたが、意味は聞き取れなかった。そのとき、背後から数人の荒々しい足音と懐かしいバリトンが聞こえた。

「君たちに、差別呼ばわりされるいわれはない」
「だって、精神障害者を食い物にしているんでしょうが。あんたは芸術家として恥ずかしくないんですか」
「先生、待ってくださいよ。先生がいなくなっちゃったら、オープニングが滅茶苦茶になっちゃいますよ」
興奮した数人の男たちが、私たちの横を足早にすり抜けて行く。三メートルほど行き過ぎてから彼が振り返り、大きな声で言った。
「車があるのなら、乗せてってくれないか」
私に言ったのではないことは十分承知していたが、
「はい。どうぞ乗っていってください」
私もつい大きな声を上げ、彼の方へ二・三歩近付いた。
私の姿を見た彼は、ちょっと怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐ頷いて私と並んで駐車場へと急いだ。

私のロードスターに二人が乗り込んだとき、後を追ってきた木村がやっと追い付き「俺は、どこに乗るんですか」と情けない声を出す。
「この車は二人乗りなんだから仕方ないじゃないの。バスかタクシーで帰ってくれる」
冷たく言って、速い加速でロードスターを発進させた。バックミラーに映る木村の恨めしそうな顔に片目をつむり、駐車場を後にする。目抜き通りの車の流れに強引に割り込み、ギアをトップに入れると「ご迷惑をお掛けします」と、静かなバリトンで彼が言った。
「いえ、とんでもありません。かえって私が勘違いしたのかもしれません」
「いや、遠くに知人が見えたので声を掛けたのですが、あなたに返事をして貰ったときは、正直言ってうれしかったですよ。よろしかったら山地の方へ向かってください」
「ええ」と答えて、私はアクセルを踏む右足に力を加えた。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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