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- 2010/09/17/Fri 16:42
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- 第1章 -M-
テーブルのガラス板を踏みしめていた少女の足は、もうガラスの上になく、床から数センチ上のところにぶら下がっている。
黒い縄に首を吊られ、傾いた少女の口の端からは、目を射るほどに鮮やかな赤い血が一筋、滴り落ちていた。
恐らく少女は、尻にヴァイオリンが打ち下ろされる直前に楽器の崩壊を予期し、自らの音楽とともに死に向かって跳んだのだ。
一人相撲の末、取り残された心中者の片割れみたいに悄然とした彼は、やっと舞台の転換に気付いたみたいだった。
絞首されて縄からぶら下がった少女の足下に跪き、形の良い足の指に頬を擦り付けている。
瞬時に駆け抜けたシーンの余りの凄まじさに、私は涙も出ない。不謹慎にも、彼の愚かしい行動を見て、心の中で笑ってさえいたのだった。
ひとしきり少女の足に触れ、唇を這わせていた彼は突然、声を限りに号泣し始めた。高く低く延々と、いつ果てるとも知れずに泣き声は続いた。その間私は白痴のように口を開き、ぼんやりとした焦点の定まらぬ目で、その場の光景を見ていた。
ただ、彼の上げる泣き声だけがうるさく、耳に障った。
長い時が過ぎ、泣き疲れた彼はよろよろと立ち上がり、肩を落としきった姿勢で部屋の隅へ行き、はさみを持って戻って来た。
彼は、ついさっきまで少女を立たせていたテーブルに登り、左腕を黒縄で緊縛されたままの少女の細いウエストに回し、右手で握ったはさみで絞首した縄を切ろうとした。
少女の体重を残酷に支えていた縄が切れると、とても片腕だけでは、物体となってしまった少女を支えきることはできなかった。大理石の彫像が倒れるように少女の屍がくずおれ、引きずられるように彼の身体が床に落下した。
少女の屍を胸に載せたまま床に横たわった彼の目と私の目が、そのとき合った。一瞬奇妙なものを見るように、しかめられた彼の目が急に懐かしそうに潤む。胸の上に被さった屍を無造作にどけて立ち上がった彼は、素早く私の横まで来て屈み込み、右手に持ったはさみで私を緊縛した黒縄を切り始めたのだ。
「本当に、いいところへ来てくれましたね。弱っていたところなんですよ。ご迷惑をお掛けしますが、いつもあなたには助けてもらってばかりで感謝のしっぱなしですよね」
訳の分からぬ事を呟きながらも、彼は縛り上げていた縄を全部ずたずたに切って私を解放した。
「それにしてもあなたは凄い格好をしていますね。勝手に切らせてもらいましたが、特にいいご趣味とは言えないようです。それに、裸のままでは風邪を引いてしまいますよ。失礼だが、何か変な臭いもしますし、よろしかったら、私の家の浴室で湯をつかってきたらいかがですか」
私は、彼の顔をまじまじと見た。何を言っているのだろうか。彼は記憶を喪失してしまったのか、それとも彼一流の下手な芝居がまた始まったのか、判然としない不気味さを感じた。