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5 高まる期待(4)

「どちらへ」と尋ねるタクシードライバーに、
「山地へ」と答えた。
「山地はもう雪になっているかも知れませんね」との答えに黙ってうなずき、フロントガラス越しに降る氷雨を見つめた。僕はもう、何だって受け入れることができる。
対向車もない街路をしばらく走り、見慣れた山に挟まれた渓谷沿いの道路まで行くと、運転手の予報通り、雨は雪に変わった。
うっすらと雪の積もった道で、家へと曲がる指示がちょっと遅れた。
急ハンドルを切ったタクシーのテールがすっと横に流れる。谷へと向かう車体を立て直そうと逆ハンドルを入れた車は、大きく左右に揺れ、そのまま反対車線まで一直線に滑り、山側の縁石に凄い衝撃で乗り上げてしまった。

エンジンが止まった静かな車内に、タクシードライバーの緊張しきった震え声が響いた。
「すみませんね。けがはなかったですか」
「いや、大丈夫です。車は動きますか」
僕の答えで、落ち着きを取り戻したタクシードライバーは、何回かセルモーターを泣かせてから、やっとエンジンを復活させた。しかし前輪を縁石の向こう側まで出してしまった車は、どのようにハンドルを切っても走り出せはしない。
しばらく虚しい努力を重ね、額の辺りに汗がにじみ出てきた運転手に声を掛けた。

「僕が降りて前から押しますよ」
「そんなのだめですよ。病院から乗せたお客さんにそんなことさせては、私がくびになっちゃいますよ。今、無線で代わりの車を呼びますから、ちょっと待っていてください」
「いや、僕は病気ではないし、家はすぐ近くですから心配要りません」
言い終わらないうちにドアを開け、車外に降り立つ。温まっていた身体全体を寒気が包み、やけにべと付く雪が頬に降り掛かって来た。
僕は車の前に回り、窓から顔を突き出しているタクシードライバーとタイミングを取り合いながら、力一杯タクシーを押した。五回目でやっと前輪が縁石の淵を噛み、大きくバウンドして凄い速さでバックしたタクシーは、久しぶりの路上で、ボンネットからうれしそうに大量の白い息を出した。

「ありがとうお客さん。早く乗ってください。風邪を引きますよ」
本当にうれしそうなタクシードライバーの言い方がなぜかおかしく、思わず、にこやかに笑ってしまった。そう、僕はお客さんなんだ。
客からボランティアに変身し、十分喜ばれたことに満足しきった僕は、晴れやかに大きな声で答えた。
「いいんです。びしょ濡れになってしまったから、歩いて帰ります。おいくらですか」
「そんなのだめですよ。料金なんか受け取れませんよ。無料ですから乗ってください。ぜひ、送らせてくださいよ」
「本当にいいんです。ただでここまで来れたと思えば、なんてことないですよ。気にしないでください」と言って歩き出した僕の隣に、タクシーが並ぶ。
運転席の窓から、雪でびしょびしょになった顔を突き出したタクシードライバーが恨めしそうに声を出す。

「ねー、乗ってってよ。意地悪しないで。このままでは、私の気が済まないですよ」
僕がいい気分なのだから、それでいい。今更、シートをびしょびしょにすることはなかった。
僕は谷側へと進み、車の通れない農道へ降りてしまった。
「ありがとう」と振り返って言うと、タクシーから降りたドライバーが深々と頭を下げた。僕の背中に大きな声の「ありがとう」
天気と同じように本当に変な日だと、僕は思った。しかし気分はいい。看護婦もタクシードライバーも、今朝出会った人は皆、僕の気分を浮き立たせてくれた。これで、メインイベントのMとの出会いがご機嫌なら、最高の気分になれると僕は踏んだ。
びっしょり濡れてしまった服も、気にならなかった。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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