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- 2010/10/27/Wed 15:00
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- 第2章 -ピアノ-
しかし寒い。農道の上には白く、うっすらと雪が積もっている。僕の周りを濃密に、包み込むようにして降る雪もいつしか、軽く、舞うように、深々と降る。
少し前のびしょびしょと重い、身体を濡らすシャーベット状の雪ではなかった。身体に積もっても身震いすれば払い落とせそうな、固く締まった冷たい粉雪になっていた。
きっと、車を押していたときが最悪の状態だったのだ。やはり僕は、それほど付きまくっていたわけではないようだった。寒い。
今歩く農道は、一段高くなっている僕の家を回り込むようにして裏口へと続いていた。ちょうど母屋と蔵屋敷の、真ん中あたりに上って行く道だ。
雪に霞んで視界の効かない目に、ぼんやりと庭のケヤキが見えてきた。寒い。僕は早足になり、足元を何回となく雪に取られた。
農道から庭に上がって行くと視界が開け、白く雪化粧した風景の中に特異な原色が見えた。
Mの真っ赤なロードスターが、ケヤキの下にちんまりと止まっている。さすがに今日はオープンでなく、幌でもない。ご丁寧に真っ赤なハードトップに付け替えてあった。その姿はどことなくグラマラスで、雪の中の彼女に十分似合いそうな感じだった。
僕は、ふっと白い息を吐き、大きく深呼吸した。
あれほど凍えていた身体に、熱が回って行くのが分かる。まだペニスにまでは熱が行き渡らないが、もう秒単位の時間の問題だった。
雪原の散歩の果てで、Mの真っ赤な車を見たうれしさに「わー」と大声を出し、転びそうになりながら車へと走った。うっすらと白くなったロードスターの広いボンネットの上に大きく「M」と、指で描いた。白い雪の下から現れた真っ赤な文字は、まるで僕の気持ちのように、浮き浮きと鮮やかに踊っていた。
ところでMは、今どこにいるのだろうか。
雪の上に字を描いた凍える指先を舐めながら、しばし凍った頭で考えた。
この家には今まで、父と患者しかいなかったはずだから、やっぱり診療所にいるのだろうと、思い当たり。途端に拍子抜けしてしまった。
何だ彼女は、また歯の治療に来ただけなのかと思ってから、すぐその考えを打ち消す。何と言っても今日は、Mの招待で自分の家を尋ねて来たのだから、たかが歯の治療の立会人を頼まれたとは思いたくもなかった。
とにかく診療所を覗いてみることに決めたが、びしょびしょになった服を着替えようとは思ってもみなかった。それほど思いは熱かったし、今朝の武勇伝を早く、彼女に聞かせたくもあったのだ。
はやる心のままに、誰も見ていないことを幸い。まるで幼児のように小走りに、何回か転びながら雪の中を急ぎ、診療所の前に立つ。もう全身雪まみれだ。
息を切らせて着いた診療所の入り口には、父の漉いた紙に見慣れぬ文字で「本日臨時休診」と書いて張ってあった。
もちろんMの仕業に違いない。
そう思った途端、父と彼女が一緒にいる姿が「もちろんしたわよ」と言う言葉となって、目と耳に成り代わったペニスで響いた。僕は慌ててUターンして蔵屋敷へと走る。もう、寒さも雪も知った事じゃない。三回ほど転び、雪と泥にまみれきって自動ドアの前に立った。
しかし、ドアが開かない。センサーに認めてもらいたくて、創作バレーみたいにいろいろとポーズを取ってみたが、開かない。多分電源が切られているのだと思い、かじかんだ手でドアを押し開こうとしたが虚しく、中からロックされている事が分かった。
ただやみくもに、なりふり構わず固く閉ざされたドアを、凍えて感覚のなくなった両手で打ち叩く。口からは真っ白な息とともに、父を呼び続ける言葉があふれ出した。不思議に彼女の名前は口を突かない。
声が枯れきるかと思うほどに呼び掛けるが、降り積もる雪が音を吸い込み、中からの反応はない。
喉が痛くなってしまい、ドアを叩く手の動きだけを止めず、コンクリートの床に座り込んでしまったとき。すっとドアが開き、薄い絹のケープをまとったMが、目の前に立った。