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1 鉱山の町(2)

「今、車を借りてきますから、ロビーでちょっと待っていてください」
玄関の自動ドアの前で立ち止まった村木がMに小声で言った。もはや助役の目に触れる心配がなくなったためか、再び疲れ切ったようなだるい口調に戻っている。
「いえ、先ほど言ったように私の車で結構です」
「そうはいきません。助役命令ですから、立派な車を借りてきますよ」
「申し訳ないけど、私は急いでいるんです。玄関のすぐ前に車があるのですから同乗してください」
立ち止まっている村木を促すように、Mはドアを開けて外へ出て行く。
「本当に強引な方ですね」と言いながら、仕方なく外に出て来た村木は寒風に肩をすくめた。

三月になったとはいえ、吹きつける風は肌を刺すように冷たい。
ダウンジャケットのファスナーを上げて先を歩くMが、無造作に赤い車のドアを開けた。途端に村木の顔がこわばる。大きくドアが開いた真っ赤な車に屋根はなかった。
オープンにしたユーノス・ロードスターにいち早く乗り込んだMが、村木を振り返って「どうぞ」と、いたずらっぽく笑う。
肩をすくめたまま寒風に吹かれる村木は、ニットのベストにサンダル履きのままだった。
「ちょっと待ってください。この季節にオープンなんですか。風邪をひきますよ」
「慣れれば、あなたも病みつきになるわ。雨の心配のないこの季節は、オープンが一番です。爽快ですよ」
「そんな、ちょっと待ってくださいよ。何か着てきますから」

大きなくしゃみをした村木は辺りを見回し、たまたまトラックから降り立った作業コートを着た男に駆け寄って行った。
「同級生が来てくれて助かりましたよ」
カーキ色のコートのファスナーを引き上げながら助手席に座った村木は、また大きく、くしゃみをした。構わずMはロードスターを発進させる。ひときわ激しく吹きつけた北風が二人の顔をなぶる。フロントガラスで鳴る風が轟々と凄まじい音を立てた。

「次の信号を左。山の方に入って行くんです」
大きくうなずいたMは、黄色に変わりかけた信号に向かってアクセルを踏み込む。タイヤがきしむ音が風の中に響き、一瞬、車体が左側に沈んだ。

「凄い運転ですね」
村木の震える声が風にかき消されていく。
車は家並みの立て込んだ商店街を抜け、細い舗装道路を山の中へと上って行く。しばらく走ると、急に軒を連ねた鉱山住宅が出現した。まさに突然現れたかのように、かつての殷賑さをしのばせることもない灰色の町が目の前に続いている。時折歯の抜けたような空き地があったり、新しいアパートがあったりして、死に絶えてしまったわけではない町の鼓動を、遠慮がちに訴えている。
今にも両側から崩れてくるような廃屋の並木を縫って、ロードスターはくねくねとカーブを曲がっていった。

赤錆びたレールだけが残る廃線となった鉄道の踏切を越え、黒く堂々とした鉄骨で組まれたアーチ橋の下をくぐった。切り立った崖が左右から迫る切り通しをタイヤを鳴らして鋭くカーブする。
突然視界が開け、目の前に深い渓谷が広がっていた。
Mは急に広々としたコンクリートの道路に出たことに驚いたが、渓谷沿いの路側帯のガードレールに寄せて車を止めた。エンジンを切ると静寂が訪れ、幾分弱まった寒風が耳元を冷たく掠めた。

眼前の深い渓谷に落ち込む切り立った山塊は、黒々と煤けた岩肌を露出したままだ。遥かに見上げても一切の緑がない。だが、よく見ると痛々しい岩肌に当てた包帯のように、白いコンクリートのベルトが幾筋も走っている。その上に盛った土に、貧相に植えられた草むらが寒々と見える。褐色の枯れ草は寒風に吹きさらされ、不規則に揺れ動いていた。
そんな満身創痍の山塊に張り付くようにして、不気味な鉄とコンクリートの怪異なフォルムで精錬所は存在していた。まるで、山塊を蝕む寄生虫のようだ。
峨々たる山には負けるが、それでも大きな丘ほどもある凶々しい建築物が、醜悪なペニスのように屹立した煙突を、誇らしく聳えさせている。この巨大な煙突の先から、数十年に渡って亜硫酸ガスが排出されたのだ。風に乗って谷筋を渡り、山肌を駆け上っていった毒ガスは、緑に恵まれた町の山々を無惨な禿げ山に変えてしまった。今はただ、昔の罪業を恥じるかのように静まり返り、廃墟は山裾にたたずんでいる。

Mはハンドルを握りしめたまま、じっと廃墟を見つめた。建築それ自体は何と形容したらいいのだろうか。それはまるで、無数の砲弾を浴びて沈没寸前でのたうち回る戦艦のようでもあったし、無数の鉄材と産業廃棄物で造形したオブジェのようでもあった。しかも奇妙な静寂が荒廃しきった全体を支配しているのだ。今も増殖をやめないガン細胞が発信する邪悪な意志さえ、見る者に伝わってくるような気がする。
Mは小さく身震いしてからドアを開け、路上に立った。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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