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- 2010/12/25/Sat 15:00
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- 第3章 -廃鉱-
小高い丘を切り開いた風当たりも日当たりも良すぎる平地に、緑化事務所とヘリポートはあった。
プレハブ建ての事務所の窓を震わすジェットヘリの爆音で、ヘリが着陸態勢に入ったことが知れた。整備に手間取り、半日も遅れていたヘリがやっと到着したのだ。
緑化屋は受話器を耳に当てたまま振り返り、やっと飛来したヘリの姿を窓越しに見つめた。ローターの巻き起こす風で、ヘリポート一体に凄まじい砂煙が舞っている。早く舗装をしなければ、ジェットエンジンの消耗を早めるだけだと思う。益々ヘリの整備に時間がかかるようになるだろう。荒廃しきった風景に似つかわしい非効率な事務所だと思った。
室内を圧する爆音でもはや、通話は困難な状態になっていた。
「お世話になります」と、大声で送話口に呼び掛けて受話器を置き、ふっと溜息をついた。
「緑化屋か」
小さく独り言をいったが、その声もヘリの爆音に消され、頭の中でのみ言葉となった。
緑化屋は良くプレスの効いた薄いベージュの作業服の上下に身を固めていた。白いワイシャツの襟元にはモスグリーンにワインレッドのストライプタイをきちんと締めている。幾分白くなった髪は広い額の横できちんと分けられている。知性的で落ち着いた両眼の間の深い皺がひときわ深くなった。先ほどの電話の内容が気に掛かるのだ。
電話は小学校六年生になる娘の担任の先生からだった。娘の祐子がまた、学校からいなくなったと通報してきた。これでもう三度目だった。友人の陶芸屋と元教員の老人が捜しに行ってくれるというので特に不安はなかったが、心の通い合えない自閉症の娘に歯がゆさを感じた。
「緑化屋か」と、また口に出した。
緑の消えた山に草の種をまき、植林をし、再び緑なす山に戻そうとする自分の仕事に情熱と誇りはあったが、家庭を犠牲にしてまでのめり込んだ割に成果は見えてこなかった。五十年、百年をかけての仕事なのだと分かってはいたが、思い通りにならない娘の話を聞いた後では、いつになく空しいもどかしさを感じてしまう。
いつの間にかヘリの爆音がやんだ。
作業員たちが草の種を詰めたコンテナを、ワイヤーで機体に繋ぎ止めている。遅れていた出動の時刻がきたのだ。三途の河原の石積みのように果てしなく続く作業の一つが、またこれから始まる。
緑化屋はデスクの方を振り向き、チカチカと瞬くパソコンのディスプレーをのぞき込んだ。今回の作業の場所と高度を確認した後、引き出しから携帯電話を取り出してベルトに吊った。大きく深呼吸してから歩を進め、ドアの前で立ち止まった。ドアに掛けられた鏡に映る顔を見つめる。
我ながら隙のない格好だが、疲労が滲み出ている感じがする。もう、中央を離れてから三年になるのだ。このまま禿げ山と一緒に朽ち果てるのだろうかと思ってしまう。ダークスーツに身を固め、官庁街を足早に歩き回っていた日々のことが頭を掠める。妻と娘の顔が脳裏に浮かんだ。二人の顔を打ち消そうと頭を左右に振る。鏡に映った顔の横でパソコンのディスプレーが、深海でもつれ合って舞う二頭の三角形の魚のようなスクリーンセイバーに変わるのが見えた。
スイッチを切るのを忘れたと思ったが、構わずドアを開けて外に出る。
寒風が頬に痛い。
緑化屋の姿を認めたパイロットがヘリのエンジンをスタートさせる。自然がもたらす静寂を破り、ジェットエンジンの爆音が再び周囲を圧する。毎日行われる儀式だった。もっとも、大仰なジェットヘリが醸し出す威圧感が、人に儀式に立ち会うような厳粛な気持ちを抱かせているに過ぎなかったが、彼は十分そのことを認識していた。美しい自然を甦らすために人間が使う、尊大な乗り物に過ぎないと思っていた。
緑化屋は苦笑いして、足元の小石を蹴った。
ヘリポートの方角に転がって行く小石の先で、急速な勢いで彼に向かってスピンターンして来る白いベンツが視野一杯に膨れ上がった。ヘリの爆音に消され、エンジン音は聞こえなかった。音もなく眼前に迫る巨大な車体に身がすくんだ。足が震え、背筋を冷たいものが掠めた。
轢き殺されるかもしれないと思った瞬間、白い車体がきしみ、緑化屋の一メートル前でベンツが止まった。必死にロックした車輪がスリップし、舞い上がった砂埃が緑化屋と車体を包み込んだ。