2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

1 鉱山の町(4)

小さな潜り戸から屋内に入り、外見からは不釣り合いなほど調度の整った洋室へと導かれた。ロココ風の布張りの椅子とテーブルを配した部屋の壁面は書棚が占め、隅に立て掛けられた黒く大きな楽器ケースが異彩を放っている。
「この町は初めてなのですか」
ゆったりとした布張りの椅子に深々と座って、老人が話しかける。
「僕はお茶を入れてきましょう」
勝手知った仕事を引き受けるように言って、村木が奥のドアに消えた。
「この先の観光地へ行くときに、何回か通り過ぎたことはありますが、町の中までお邪魔したのは初めてです」
「まあ、普通の人は皆、あなたと同じですよ。わざわざバイパスを降りて、ひなびた町を訪ねる物好きも多くはいません」
「初めて町に入ったのですが、やはり鉱山の影響が未だに強く残っていると感じました。私は町の観光パンフレットの制作を頼まれた広告会社のものなのですが、鉱山の扱いについて迷ってしまったんです。どうしても避けては通れないなって感じがしてしまうのです。けれど、村木さんを初め、町の人は、あまり鉱山に触れたくないようなんですね。あなたは村木さんの恩師だとお聞きしたので、教育者として鉱山のことをどう思っているか聞かせて欲しいのです。初対面で申し訳ないのですが、お寺に招かれたりすると、これもご縁のような気がしてしまいました」
「パンフレットの制作のために見えたのですか。それはご苦労様です。でも、鉱山のことはそんなに深刻に考えなくとも良いと思いますよ。誰だって知っていることですから、隠すことも宣伝することもない。ただ存在しているだけのものです。たとえ精錬所の残骸が残ろうが壊れようが、山に緑が戻ろうが戻るまいが、鉱山は歴史の中に存在し続けているのですよ」
淡々と語る老人の言葉にもMは、この町の疲労を感じてしまう。鉱毒にまつわる先入観が強すぎるのだろうとMは思った。

「ご住職の法話を聞いているような気分になってしまいました。学校では何を教えていたのですか」
年長者に対して礼を失した物言いだとは思ったが、あまりにも哲学的な答えが不満だったので、つい踏み込んで聞いてしまった。
「なるほど、坊主の説教に聞こえてしまいましたか。年は取りたくないものです。私は十年ほど前まで、この町の高校で美術と音楽を教えていたのですよ」
「えっ」
思わずMの口元から驚きの声が上がる。
「驚かれても仕方ないが、芸術を教えるのが本職なんです。住職をしていた父が死んだときから、坊主も引き受けるようになったんですよ」

「それでチェロが置いてあるのですね」
「そう、そうなんです」
今まで思慮深そうに構えていた僧侶の顔が崩れ、少年のように無邪気な笑顔がこぼれた。
「今でもお弾きになるんですか」
「弾きますとも。退職教員が集まって弦楽五重奏団を作っているのです。私はそこのコンサートマスターですよ」
誇らかに話す老人の顔は、既にアーチストの自信が満ちていた。
「何を演奏なさるのですか」
「モーツァルトです」
胸を張って答えた。
「素敵ですね。ぜひ聴かせて頂きたいわ」
「暖かくなったら演奏会を開きます。プログラムは弦楽五重奏曲第四番ト短調です。ぜひおいでください」
老人の顔がうれしさの中に埋もれた。


その時唐突に、入り口のドアがノックされた。
「恩師。お邪魔しますよ」
声と同時にドアが開き、紺のマウンテンパーカーの前をはだけた、がっしりとした体格の男が入って来た。パーカーの下は白のTシャツ一枚で、色のさめたブラックジーンズを穿いている。ジーンズの所々が黒い土で汚れていた。全身から外の冷気と、男の臭気を漂わせている。
「何だ陶芸屋か。つい先日湯飲みセットをもらったばかりだろう。しばらく注文はないよ」
いつの間にか僧侶の顔に戻った老人が、つまらなそうに応えた。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

最新記事
カレンダー
11 | 2010/12 | 01
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
free area
人気ブログランキングへ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR