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2 オートバイ(1)

老女の死後の手続きをする天田を残し、Mと祐子は老人ホームを後にして街に向かった。

雨は上がっていた。
夕闇の迫った道を、オープンにしたMG・Fが市街地へとスピードを上げる。思ったより長い時間を老人ホームで過ごしたのだ。
二人とも口を利かず、黙ってエンジンの音に身を任せていた。

週末で渋滞した市街地に入り、メインストリートの織姫通りと合流する信号で、Mは右折レーンに車を入れた。祐子の住むマンションと反対の方角だった。
「お茶を飲んでいこうよ。疲れてしまった」
「長い時間付き合わせてしまって、ごめんなさい。仕事は大丈夫なの」
「うちの新聞は日曜日が休刊だから、急いで記事を書く必要はないのよ。美術館の企画展の紹介は来週でいいの。ゆっくりお茶を飲みましょう」
「でも、私は制服のままだし、あまり気が進まないわ」
「命門学院の生徒だって、保護者同伴なら構わないはずよ。ぜひ、付き合って欲しいの」
「いいわ」
Mが強引なのは今に始まったことではない。祐子は、無理に明るい声を出して同意した。

信号の変わり目を捉えて機敏に右折したMG・Fはすぐ、通りを左折し、一方通行の狭い歓楽街に入って行った。
点り始めたネオンや看板灯が、原色の光を道の両側から投げ掛けてくる。今にも降り出すかと思える、陰気な天気に祟られた人出のない道を、スピードを上げて走った。

看板灯が疎らになったところで徐行して、Mがぽつりとつぶやく。
「祐子が私服なら、この店がいいんだけどね」
赤と黒を斜めに染め分けた鮮やかな看板灯の黒地の部分に、カタカナで「サロン・ペイン」と記されてあった。
「あの赤と黒は、昔のスペインのアナキストたちの旗なの。今日みたいなブルーな気分にぴったりのお店なのよ。思いっきりドライにしたマティーニが美味しいの。祐子は私服なら十分大人に見えるから、一緒に呑んでみたくなるね。でも、今日は山根川の畔の喫茶店に行こう」
思い切りアクセルを踏み締めると、一瞬背中がシートに張り付き、タイヤを鳴らして加速した。
祐子は、老女の死を見つめたMの気持ちを思いやってしまう。


大きな窓の外に闇が広がっている。闇の底を流れる山根川の水音は店内までは聞こえてこない。
祐子は正面に座ったMの目を見つめてからコーヒーカップに口を付けた。苦い味がふくいくとした香りと共に口一杯に広がる。老人ホームで嗅いだ腐ったタマネギの匂いがフッと、脳裏に浮かんだ。

「砂糖もミルクも入れないのね。それも私の真似」
話し掛けるMを無視して、祐子は直截に疑問を投げ付けていた。
「第一ヴァイオリンのお婆さんが亡くなったのに、なぜ、誰も涙を流さなかったのかしら。会ってすぐ死んでしまったのに。ねえM、どうしてなのかしら」

「祐子はどうして泣かなかったの」
「私は悲しくなかったの。正直に言うと、死ぬ前のお婆さんは醜く見えたわ。死んで醜さから開放されたとさえ思ったの。そんな自分の気持ちの方が悲しかった。残酷なことよね。本当に悲しい」
「きっと、祐子の気持ちが自然なのよ。お婆さんは死が迎えに来るのを待っていたのよ。いわば自然死。誰しも死から免れないのだから、お婆さんの死は極めて自然な出来事なの。お婆さんはそれを受容していたし、そのことを私たちも認識していた。人が生まれ、年を取り、寿命が来て死ぬ。当たり前のことに涙を流すことはないわ」
「でも、私は今悲しい」
「それは、お婆さんの死が悲しいのではなく、あなたの記憶が悲しみを呼んでいるのよ。あの夏の日の記憶が、あの時の第一ヴァイオリンを甦らせて惜しんでいるの。決してお婆さんの死が悲しいわけではないわ。あなたがさっき言ったように、お婆さんは死によって一切から開放されたのだから」
「そうかしら」
「あなたがさっき、はっきりと言ったのよ」
「私は分からなくなったの。また一人の死を見てしまったわ。多くの死があって、私の死もあるのね」
「祐子。訳の分からない観念をもてあそばない方がいいわ。死は誰しも免れないって言ったでしょう。でも、人の生き方にはたくさんの選択があるわ。死のことなど考えずに、あなたは生きることを考えなさい」

下を向いたまま祐子は、考えに浸っている風情だった。何の得にもならないとMは思う。かえって危険な兆候にも思われた。三年前の祐子は自閉症だったのだ。もう自らを閉ざさないとは、誰にも断言できることでなかった。

「私がまた、自閉症になると思う」
Mの気持ちを見透かしたように、祐子が顔を上げて言った。
「思わないわ。もう帰りましょう。両親が留守だからといって、帰りが遅くなるのは良くないわ」
レシートを持って立ち上がったMは、祐子を振り返らずにレジに向かった。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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