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2 オートバイ(10)

バイクは慌てずにギアをシフトダウンさせていく。
カーブの曲がり鼻で二速、五千回転まで落とした。車速は約五十キロ。アウトから鋭く、インに切り込もうとした瞬間、路上に転がっているコーラの赤い缶が大きく目に飛び込んだ。
しかし、もう進入コースを変えることはできない。鋭く切った前輪が缶を踏み潰した。この微かなショックに後輪が連動し、大きくアウトに流れた。急激に襲った遠心力で、ペニスを握った映子の右手が離れる。背中に押し付けられた両乳房の感触が無くなり、車体から振り落とされた肉体の重さだけが、軽々としたハンドルに伝わってきた。
慌てて両手に力を入れる。前輪がブレーキでロックし、切られたクラッチが後輪の駆動力を奪った。後は、糸の切れたタコと同じだった。車体ごとバイクはガードレールに激突した。激突の反動で車体から振り落とされたバイクは、反対車線のガードレールまで飛ばされ、背中から腰を激しくぶつけた。

耳を圧していた激突音が消え去り、静寂が戻った。

不思議なことに、バイクに痛みはなかった。山側の車線の端に立った電柱に付けられた外灯が、青い光を路上に落としている。その電柱に縋り付くようにして倒れている映子の姿が見えた。スカートがまくれ上がり、白いショーツで隠された尻が艶めかしく見える。
ああ良かったと思い「エイコッ」と呼び掛けたが、返事はない。不安がこみ上げ、立ち上がって映子の無事を確かめに行こうとしたが、立てない。
立てないどころか下半身に何の感覚もない。仕方なく両手を使って這って行った。
不安と焦りに身を焦がして、絶え間なく映子の名を呼びながら、バイクはアスファルトの路上を這った。勃起したままのペニスが路面で擦れ、瞬時に爛れていく亀頭の先から、白濁した精液がだらだらと流れていた。しかし、バイクには何の感触もない。

やっとの思いで映子の足下まで這い寄り、手を伸ばして剥き出しになった尻を触った。暖かな体温を感じたが、思ったほどの弾力がない。慌てて這い上がって、横を向いた顔を覗き込んだ。
大きく見開かれた映子の左目が、虚ろにバイクを見ている。しかし、右目は無かった。目ばかりでなく頭も無い。完熟したザクロのように割り開かれた頭の片割れは、黒々とした毛髪と共に、コンクリート製の電柱に赤黒い血と一緒に張り付いていた。

バイクの全身を吐き気が襲った。何度も何度も、感覚のない下半身を引きずり、喘ぎながら吐いたが。苦い胃液の他には、何も出てこなかった。最後に、込み上げる嘔吐に耐えて、掠れた声で映子の名を呼んだ。当然、返事はない。
この事故を機に、バイクは脊椎の損傷によって自らの下半身と、映子を失った。夢を含め、一切を無くしたのだった。
「ワーッ」と大きく、バイクは叫び声を上げた。


リビングからバイクの叫びが聞こえた気がしたが、祐子は構わず湯に浸かっていた。
バイクと知り合ってからもう一年になる。出会いの時から拗ねた態度をしていたが、自分を偽らない言葉に好感が持てた。

バイクとの出会いは去年の夏の初め、マンションの前の煉瓦蔵がイベント会場としてオープンした時だった。こけら落としの演奏会に、両親と出掛けた夜のことだ。
赤い煉瓦の壁面で囲まれた場内で、アマチュアバンドがビートルズナンバーを演奏していた。両親が懐かしがって身体を揺するほど、乗りがいい演奏だった。
会場全体が盛り上がり、観客の一人が暑気に耐えかねて蔵の出入り口を大きく開け放した。心地よい夜風が場内を包み、演奏はますます熱を帯びる。
「ルーシー・ザ・スカイ・イズ・ダイヤモンド」の強烈なビートが始まってすぐ、開け放された出入り口から酒瓶が投げ込まれた。舞台の端で砕け散った瓶で会場が騒然となり、全員が出入り口を見た。

一台の車椅子が、月の光を浴びて中庭に止まっている。静まり返った会場全体に車椅子に乗った青年の絶叫が響き渡った。
「ウルセイ、家に病人がいるんだ、もっと静かにしろ」
声の主がバイクだった。呆気にとられている観客も両親もお構いなく、祐子は出入り口を閉めて、車椅子の前に立った。青年の清冽な気迫に引きつけられたのだ。
「ごめんなさい」
詫びる祐子にバイクは「お前に謝られる筋はない」と言ったのだ。その通りだった。
「あなたはどなた」と、嫌味たっぷりに尋ねた祐子に「俺はバイクだ。お前は映子だろう」と、あっさり答えた。
酒の匂いがぷんぷんしていた。
「私は祐子よ」と答え、車椅子を押して織姫通りに出た。思えば最悪の出会いだ。
だから、バイクの叫び声などに、今更驚いてはいられない。祐子は、心の底まで温まったと思えるまで湯に浸かってから上がった。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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