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3 演技者の記憶(3)

席に座り直した天田が、もの珍しそうに店内を見回す。ふくれっ面のバイクは黙ったまま正面を見据えている。
「凄いな。ピアニストがこの店のオーナーなのか」
「違うさ。ちゃんとママがいるよ。僕がこの街を紹介して、親父が少し資金を出しただけさ。僕はたまに、ピアノを弾きに来る」
「だって、お前は歯医者の勉強をしているんだろう」
「今は医科に替えた」
「お前の家は歯医者じゃないか」
「ピアニストが歯医者になる気になった。そして、今度は歯医者をやめて医者になることにしただけさ」
「勝手でいいな。婦人科か」
「天田ならな。僕は麻酔科を選んだ」
「ふーん。それが飲み屋と何の関係があるんだ」
「関係ないさ。バイトをしていた病院で、ママとチーフに知り合っただけさ。まあ、そんな話は後でいいよ。何か飲まないか。ここは飲み屋なんだ。ねえ、バイク。何で黙ったままなんだ。何が飲みたい」
「焼酎」
固い姿勢を崩さずにバイクが答えた。
「困ったな、置いてないよ。ウオッカでいいな。チーフ、ウオッカをボトルごとください。それから氷、」
「俺はウイスキー」
天田が大声でオーダーする。
言われるままの品を銀のトレーに乗せたチーフが、フロアのテーブルに運んで行って、戻って来た。


「あの子たちの話を聞いたんだけど、歯科医がこの店の資金を出したんですって」
カウンターに入ろうとしたチーフに小声で訊いた。
「ええ、そうです」
「シェーカーを振る手つきが気になっていたんだけど、ひょっとして三人とも、こういう仕事は初めてなの」
「ええ。ママは前からマネージャーだけど、私は役者。ナースは本物の看護婦をしていました」
チーフも小声で答えた。
やっとMは納得がいった。こうした店にしては、馴れ馴れしくない新鮮さが魅力だったが、全員が素人だったのだ。俄然、好奇心が湧いてきた。チーフに微笑み掛けてから、気楽な口調で訊ねてみる。

「どうして、こんな田舎に店を出したの」
「ママとピアニストの考えが一致したの。それから資金」
少しリラックスした口調でチーフが言った。
「Mさんって言いましたよね。何で、この店のことが気になるんですか」
「ピアニストと、その父親が関係しているからよ。とっても知りたいわ」
「Mさんは、お二人とどんな関係なんです」
「Mと呼び捨てにして。さっき聞いたと思うけど、私はピアニストの家に二か月ほど住んでいたことがあるの。家族全員と性的関係にあったわ」
チーフの目がきらりと光った。Mを通り越して遠くを見るような視線が、少し時間を置いて、また戻って来る。

「ごめんなさい。少し記憶を旅してしまった。こんな田舎で慣れない店を出した事情を、私の方からMに聞いてもらいたくなったわ。隣に掛けてもいい」
「もちろんいいわ」
にっこり笑って、チーフの目を見上げて答えた。
「その前に、これを見て」

チーフがシャツの襟元に両手を上げ、首に巻いた青いスカーフを解いた。
細い首筋の白い喉元に、赤黒いひきつれが走っている。
Mは目を見張って、その醜い一条の筋を見つめた。目を瞑ったら負けだと思い、冷静に肉のひきつれを見た。
白い肌に刻み込まれた痣は、縄痕に相違なかった。チーフの細い首がかつて、縄で吊されたのだ。
チーフの肉体と精神を蹂躙したはずの事件が、赤黒い肉のひきつれに浮かび上がるかのようだった。Mの胸の底から悲しみが込み上げ、次々に涙が溢れて頬を伝った。
涙で曇る視界の中でチーフの顔が微かに微笑み、カウンターから出るぼやけた背中が見えた。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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