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2.神ながらの道(3)

「ところで、どこまで行くつもりなのかね」
老人の問いが代わった。
「山地です」
短くMが答えた。
「死者は山地の者か」
「いいえ、強いて言えば鉱山の町にしか故人の居場所はありません」
老人はMから視線を外し、遠く南の方角を見つめた。しばらく間を置いてから再び口を開く。
「死者の遺灰は水瀬川に撒くがいい。死者の魂魄が川を通じて市と鉱山の町、そして都会を行き来するだろう。飽かずに待っていられる」
「何を待つのですか」
「エデン」

言い古された言葉にMは面食らった。葬儀社の社員が誇大妄想の老人に惑わされるわけにいかない。慌てて仕事に戻る気になった。遠く輝く水瀬川を見つめている老人に構わず、Mは光男を再び白布で覆い、担送車を寝台車の荷台に収納した。Mが立ち働く様子を、寝台車の傍らで老人がじっと見つめている。柔和な目が恐ろしいほど輝き、衣服を突き破った視線が素肌を舐め回しているような感じさえする。死者に神の道を説くという老人は、生きている者には粘り着くほどの執着を見せるようだ。

「さあ、行こうか」
仕事を終えたMに老人が呼び掛けて助手席に回った。勝手に寝台車のドアを開けて、済ました顔で先に乗り込む。老人の奇跡を一瞬とはいえ信じてしまった弱みがMをくすぐる。仕方なく老人を乗せたまま山地に向かう。布教への対応はピアニストたちに任せることに決めてしまった。

山裾にある美術館から命門学院中等部の裏門へと続く細道を慎重に運転して坂を下った。中等部の門の脇にパトカーが止まっているのが見える。警察官を認めた老人が背中を曲げてドアの陰に隠れた。老人の動作と先ほどの言動から、Mは詐欺師の匂いを嗅いだ。ことさらスピードを落としてパトカーの前を通り過ぎたが、制服警官の鋭い視線を浴びただけで停車は命じられなかった。そのまま直進して織姫通りへ左折する。後は山地まで、道はひとすじだった。

「先ほど、警官から身を隠しましたね」
山根川の渓谷に沿って続く山地の道に出たところで、Mは意地悪く老人に尋ねた。
「縁なき衆生と、ことを構えたくないからね」
「あなたは仏教にも造詣が深いのですね。神ながらの道とはどんな教えなのです」
問いを吟味するように沈黙した老人が、黒い柔道着から突き出た逞しい腕を胸の前で組んでから話し始める。
「私は人にオシショウと呼ばれている。教え諭すのが使命だからだ。だが決して教え導くのではない。人はすべて、自らの道は自らで決断すべきだからだ」
「当然のことだと思います」
Mが短く応え、先を促した。

「Mさんは、そういう仕事を続けて毎日が過ぎ去ることが苦痛ではないかね。過不足ない暮らしが退屈になることはないのか」
「私には結構面白い毎日です」
「それはMさんの意識が低いからだ。私に教えを請いに来る人たちは皆、世間的には羨ましい暮らしをし、その無意味さに気付いた人たちばかりだ。言ってみれば覚醒したのだ。この宇宙全体まで認識しようとする人間が、平々凡々たる日常に甘んじていることは、どう見ても不合理なのだ。たとえ気持ちを張り詰めた状態で仕事を続け、家族を愛し、友人と楽しく語り合おうとも、宇宙の果てから見たら空しいことだと思わないか。人として生きる意味がない。活力も想像力も貧困に過ぎる。決して真理など見えてはこない。どれほどの暮らしをしていようと、それが無意味なことであれば、その者は死者と同じだ。生きながらの死ほど耐えがたいものはない。だから私は神ながらの道を教えてやる。生ある物はいつしかすべてが滅ぶのだ。当たり前なことだ。これだけが否定できぬ真理だ。だから滅びの時に向けてこそ人は生きるべきなのだ。死者も同じだ。いっさいが滅びる時を待つしかない。私は、まず身体を鍛えることを勧める。鍛錬された美しい肉体もついには滅びる。惜しいことだ。この惜しくて惜しくてたまらない感情だけが滅びと等価になる。所詮滅びという物理的な作用に物理的な手段で対抗しても意味がない。創造も建設もすべて空しい。ひたすら滅びることを惜しみ、惜しまれる感情の集積だけが宇宙と等価になる。その状態がエデンに他ならない。Mさん、あなたは美しい。このまま滅びるのが惜しいほどに美しい。だが、あなたは惜しまれる努力をしていない。あなた自身惜しいとも思わないのだろう。愚かしいことだ。残念ながら生きながらの死を選び取っている」
長い説教が続いた。道を説く者はいつも空しいとMは思う。命は滅びても次の命が生まれてくる。その連綿と続く生の歴史を一代限りで退屈で無意味だという。やはり人の驕りだと確信した。

「私は毎日の暮らしに退屈もしていないし無意味だとも思わない。確かに行く末に不安もあるし不安定な生活だとも思う。でも、それだからといって四十歳になる身体を鍛え直してみようとは思わない。万が一、二十歳の肉体に戻れたとしても、それは化け物のようで、滅びることを惜しむどころか滅びてしまいたいと思うはずよ。私は宇宙と等価になるような世界の出現より、退屈に見える暮らしの再生を信じるわ」
オシショウの逞しい身体が小刻みに揺れた。もじゃもじゃした白い髭と髪が大きく膨れ上がる。

「Mさん、私は七十五歳になる。信じられるだろうか。化け物に見えるかね」
「お年の割に素敵な肉体だと思うわ。オシショウが私に言ってくれた言葉も同じ意味でうれしく聞かせてもらった」
「残念ながら意識が低すぎる。職を変わった方がいい。葬儀社はMさんには似合わない」
たとえ老人でも職業蔑視は許せないとMが身構えたとき、街道の先にドーム館へ続く横道の入り口が見えた。Mはブレーキを踏み、寝台車のタイヤをきしらせて街道を直角に曲がった。疎水沿いのピアニストの蔵屋敷を通り過ぎてから、ドーム館の建つ切り通しへ車を進める。タイメックスの文字盤は午前七時を告げていた。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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