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3.爆破(7)

「行くところまで行ってしまったわ」
ディスプレーをのぞき込んでいた祐子が疲れ切った声で言った。不思議に哀れみも悲しみもない乾燥しきった声だ。Mの肩が大きく落ちた。この街では人たちが皆、Mの前を素通りして行く。もう懲り懲りだと思った。

「さようなら、私は都会に帰る」
疲れ切った声で祐子に言った。
「イヤッ」
大声を出して祐子が泣き崩れる。黙って見下ろすMの前で祐子はさめざめと泣いた。やがて啜り上げながらも、しっかりした声で訴え掛ける。
「M、これまで色々なことがあっても私はまだ涙が涸れない。修太とピアニストは、きっと涙が涸れ果ててしまったのよ。ねえM、あの二人を見捨てないで欲しいの。Mは二日前、ピアニストも修太も一緒に暮らしたことがあると言ったわ。決してMに責任はないけれど、見捨てることだけはして欲しくない。そうでないと私、過去をすべて殺したくなる。Mに見捨てられた思いを抱いて生きていくことはできないわ。お願いM、修太とピアニストに、涙の味をもう一度思い出させて上げて」

またしても子供たちが縋り付いてくるとMは思った。しかし、Mは子供たちの保護者ではない。もう四十歳になる疲れ切った独りの女だ。身体の手入れすら怠ってきた間抜けな女が、肉体と精神を鍛え上げて信仰で武装した者に対抗できるとは思えなかった。

「祐子、私が何でもできると思うのは間違った考えよ。できないことの方が多いの。今度も私は、たまたま仕事で市に来ただけ。都会でひっそり暮らしている女に何ができるというの。よく目を開いて現実を見なさい」
「だって、Mにしか希望がない。私はMが好きだ。きっと修太もピアニストも、死んだ光男も、」

絶句して、再び机にうつ伏して泣き続ける祐子をMは見下ろす。まだ試練は続くようだった。端正な顔に諦めの笑みを浮かべ、Mはそっと泣きじゃくる祐子の背を撫でた。忘れていた官能の予感が下半身をくすぐる。過酷な明日に備えて今夜はまた裸で眠ろうと決心した。


二人はずっとテレビに釘付けになっていた。無惨に破壊された市役所の地階が何度も画面に映し出された。午後十時を回ると軽傷を負った警備員が画面に登場してインタビューに答え始めた。警察の事情聴取がやっと終わったらしくリラックスした表情だ。問われるままに、事件の様子を生々しく再現する。

「正午になるちょっと前、五分前だったかな。ガス会社から役所に電話があったんですよ。女の声でした。私が応対したんですが、市役所の地下でガス漏れの警報が鳴ったから、すぐ修理に来ると言うんです。それまでの五分間、ガス爆発の危険があるから絶対に地階に下りないでくれって警告されたんです。怖かったけど、警備員には事実を確認する義務がありますからね。同僚と二人で地階に行ってみることにしたんです。偉くなんてないですよ、ただの職業倫理です」
インタビュアーに向かって画面の中の警備員が誇らしく胸を張った。

「まず一階のエレベーターに行きました。でもエレベーターは四階に上がっている。階段を使って地下に下りていったんですよ。すると二人の男が踊り場に上がって来るんです。若い男に見えましたよ。同僚が脅しつけるように、誰だと大声で誰何したんです。泡を食って二人とも逃げて行くんです。もちろん私たちは追い掛けました。地階まで追って行って廊下に続く曲がり角まで来ると、一人の男が振り向いて大声で怒鳴りました。危険だ、爆発する、階段に戻れってね。それは真剣な声でした。先ほどのガス会社の警告を思い出し、ガス爆発の恐怖が背筋を掠めました。慌てて階段まで戻って床に伏せたんです。エレベーターの扉が開く音と同時に目の中を閃光が走り、顔が熱くなりました。後は消防士に助けられるまで気絶してましたよ。あの男のお陰で命拾いをしたようなもんです。まさか爆弾が仕掛けられたなんて、あの男たちが犯人だなんて、夢にも思いませんでしたね。今でもガス爆発のような気がします」

警備員は何回も繰り返し同じことを話した。頬の火傷を覆ったガーゼがなければ、ただのおじさんにしか見えない。身に迫った危機を、まだ正確に認識できていないようだった。だが、先ほど見てきた市役所の様子と合わせ、現場の生々しい状況は痛いほど二人に伝わってきた。とにかく爆発で二人が死んだのだ。警備員の話によれば、死者は二人組の男の爆破犯らしい。ピアニストと修太かも知れなかった。どす黒い不安がMと祐子の全身を覆った。疲れ切った身体と心をいたわり合うように一緒に風呂を使い、二人は裸のままベッドに横たわった。事件を知っているのかいないのか、街に行くと言って出たチハルはまだ戻って来ない。

Mはベッドに横たわってドームを見上げていた。眠れずに冴え渡った視界を流れ星が横切っていった。その瞬間、脳裏にオシショウとの出会いの場面が浮かび上がった。まれに見た流星が、奇跡を見たような不思議な気分を甦らせたのだ。正月明けの夜明け前に、なぜオシショウは水道山にいたのかと急に疑問がわいた。オシショウの背後に見えたスパニッシュ・コロニアル様式の瀟洒な建物が妙に気に掛かった。はっとして、隣で眠る祐子を振り返った。安らかな寝息を無視して乱暴に揺り起こす。

「祐子、中等部の先の水道山にある建物は使われているの」
「水道記念館ね。見学できるけれど冬季は閉鎖なの。管理人もいないわ」
寝ぼけ眼の祐子が、それでも正確に答えた。Mは左腕のタイメックスを見た。青く光る文字盤が午前一時を指している。ベッドから転がり落ちるようにして床に降りた。重く感じる裸身が我ながら憎々しい。素早く服を身に着け、祐子にもらったスカーフを首に巻いた。ドアの前まで行くと、ベッドで半身を起こした祐子が問い掛けてきた。

「M、こんな夜更けにどこへ行くの」
「心配しなくていいわ。ちょっと街まで散歩に行くだけ。都会に逃げるわけではないわ」
最後の言葉に安心した様子で横になった祐子を残して階段を下り、玄関を出た。深夜の冷気が全身に染みる。爽快だった。寒さを我慢してMG・Fをオープンにする。この時間なら、水道記念館まで三十分足らずで行けるはずだった。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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