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10.現金強奪(3)

Mは慎重にパジェロを運転した。四人もガードマンの乗った車が不審に思われないかと不安だったが、日曜日の街路は渋滞もない。あっという間に水瀬川を渡ってバイパスに入った。十五分ほど走ると、西に下った平地の真ん中に午後の日を浴びて輝く湖面が見えた。不死熊沼の湖面だった。かつて熊が落ちても死なないほど小さかったか、水深が浅いためかは知れないが、不可解な名の沼の半分を競艇場が使用していた。今や湖面面積は約二十万平方メートルとも豪語している。水深は最長で十メートルしかない。沼の中心部を幅八十メートルのコンクリートで直線に埋め立て、一部七階建ての巨大な競艇ビルが建っていた。床面積一万平方メートルの三階建ての観覧席は長さ四百メートルに渡って沼に面している。なんとも巨大で威圧的な建造物だった。

Mは正面ゲートの前でパジェロを止めた。ここまで来る間に満車の駐車場を五つも通り越した。どこにも駐車できるスペースはなかった。仕方なくピアニストと弥生をゲート前で降ろす。現場での再会を約して更に先に進んだ。さしもの巨大施設が小さく見える所まで来てから、満車を承知で無料の駐車場に進入した。広大な駐車場は車で埋まっているが人の気配はない。黒塗りのベンツの前に堂々とパジェロを停めて地上に降り立つ。黒いバッグを肩から下げた卯月が横に並んだ。日は大きく西に傾いている。夕暮れ間近な赤い空が二人しかいない人間を照らしだした。Mはベレッタで膨らんだ胸ポケットからレイバンのサングラスを出してかけた。

競艇場の方角から風に乗って喚声が聞こえてくる。今日十一番目のレースが始まり、六艇のボートが出走したらしかった。一周六百メートルのコースを左回りに三周するのが競艇のルールだ。一分五十秒前後で勝敗が決まる。時速八十キロメートルの水上の勝負だった。何億円という金が、もうじき水底に消える。次は最終レースの優勝戦が待っているのだ。いやが上にも興奮が募るのだろう。四万五千人の大観衆がどよめき、怒濤のような喚声が轟く。続いて、ひときわ高い声で場内アナウンスがレースの着順を告げた。声に煽られるようにMと卯月の足も早まる。優勝戦の発券を締め切る時刻を告げるアナウンスのバックに、急にオーケストラの調べが重なる。ワグナーの楽劇、ニーベルングの指環の第一夜、第三幕の前奏曲「ワルキューレの騎行」が遠く近く響き渡った。荘重で重々しく、それでいて全身を高揚させる生き生きとしたリズムと旋律を兼ね備えた楽曲が人々の心を煽る。血沸き肉躍るレースの前に相応しい音楽だった。いましも茜色の雲の浮いた西の空から八人の軍神の乙女が天馬を駆って舞い降りてきそうだ。そして今、Mは戦場に向かっている。敗者に選別されるわけにはいかなかった。

西側ゲートの巨大なアーチが二人の目の前に迫った。ゲートの向こうからざわついた雰囲気と興奮した熱気が伝わってくる。行き交う人の数が急に増えた。二人の横を数人の男がゲートに向かって走っていく。場内アナウンスが発券締め切り十分前を告げ「ワルキューレの騎行」がフォルテッシモで鳴り響いた。Mと卯月はゲートの横の通用口から、門衛に敬礼しながら場内に入った。門衛は二人を見ようともしない。

ゆっくりした歩みで二人は競艇ビルに向かった。都会の高層ビルが横たわったような巨大な建造物の一番奥に七階建ての本部ビルがそびえている。ごった返す観覧席を避けて建物の裏へ回った。途端に深閑とした風景が拡がる。随所に設けられた監視カメラを意識して、二人は任務を帯びて部署に急ぐかのように足早に歩く。巨大な建物の向こうからまた歓声が上がった。優勝戦を戦う六艇のボートが湖面に姿を見せたらしかった。目前の本部ビルの非常階段の下に人影が見えた。二人が近付くと人影は頭上を指差してからビルの陰に消えた。仕草からピアニストと知れたが、素知らぬ顔で非常階段と四階の踊り場を確認する。ついでに水銀灯が打ち砕かれた四本の照明塔も確認した。ビルの東側から低いエンジン音が聞こえ、修太が運転する高所作業車が姿を見せた。すべて計画どおり、時間どおりに運んでいた。

Mと卯月は本部ビルの前に回った。巨大な観覧席に人が鈴なりになり、熱い眼差しでスタートの瞬間を見守っている。圧倒的な興奮が頂点まで上り詰め、六艇が発進すると同時に悲鳴と怒号、歓喜と悲哀、一切の感情が混じり合った喚声が場内を圧した。二分間にも満たない手に汗握る時間は瞬く間に消え失せ、場内が一瞬静まり返る。勝敗が決してレースは終わったのだ。紙吹雪のように外れ舟券が宙に舞う。先ほどまでとは打って変わり、冷たいくらい落ち着いた声で着順のアナウンスが流れた。だが聴く者は誰もいない。潮が引くように興奮した人の波が出口へと向かう。賭事に名残を惜しむ者などいるはずもない。今日一日で二十億円が水底に消えていったのだ。
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Author:アカマル
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官能のプリマ全10章
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