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6.それぞれの思い(3)

「仕方ないわ。とにかく、久しぶりの食事だから乾杯しましょう」
頑固な年寄りに辟易したといった顔で、極月が片目をつむった。二人でグラスを合わせてワインを飲んだ。Mはいつになく壮快な気分になる。濃密な関係が、安心できる地位を用意してくれるのだ。だが、だんだん居心地が悪くなってくる。たわいない話が続いたあげくに極月が問い掛けてきた。
「どう、パソコンのレッスンは進んでいるの。そろそろインターネットが始まるころよね」
「進んでいるもないもんだわ。あのマウスってやつが好きになれないのよ。私が使っていたころのコンピューターはキーボードの操作だけだったわ。今はキーボードから手を離してマウスを操作しなければならない。残念ながら私には手が二本しかないの。今のパソコンは手が三本ある人類が操作すべきよ。もう、やめたくなったわ」
日頃の不満がついMの口に上った。
「やはりMらしくない。今の時代では、パソコンに慣れていないと世捨て人になってしまうと言ったのはMでしょう。もう一度、市に出て社会復帰がしたいとも言ったわ。それを機械の操作が難しいから断念するなんて許せないわ。お金持ちのMはパソコン操作を就職の武器に使う必要はないのよ。即席の農婦を気取った隠居暮らしをやめて、時代の空気を感じ取れればいいの。そうすれば中学生の進太とも共通の話題ができる。ねえ、M。進太はチハルの好き放題に操られているんじゃない。もう一度進太を、健全な環境に取り戻すのが本当の狙いなんでしょう。情報化の時代に四輪駆動車を乗り回してハンティングの真似事をするなんて野蛮すぎる。進太には知的な好奇心が必要よ。これ以上チハルの影響力が強くなれば、本当に暴力志向に走ってしまうかも知れないわ。もっとしっかりしなくちゃ進太がかわいそうよ」
Mの言葉尻を捕らえて極月の説教が始まった。たとえ図星を指されても説教が好きな者はいない。毎日のようにキヨミ先生に説教をされているという進太の気持ちが分かるような気がした。

「分かったわ。午後の授業も始まっているから、私は帰る。ごちそうさま」
極月の気を逸らすようにMが言った。極月が慌てて左腕のカルチェの時計を見た。もう午後二時を回っている。思いの外早く時刻が過ぎたのだ。見回した店内には他に客はいない。極月が大きくうなずいて席を立った。Mも後に続いた。入口横のレジには誰もいない。アルバイトのウエートレスは遅い食事に行ったらしい。極月が声を掛けると、シェフの格好をした中年の男がキッチンから出てきた。博子の父に違いなかった。心持ち憔悴した目元が、山地の学校で見た博子の細い目とよく似ている。深々と頭を下げたシェフに送られて、極月がドアを開けた。Mがシェフを振り返る。

「あの、博子さんの事で、何か分かりましたか」
問い掛けたMを、驚いたようにシェフが見た。しかし、一瞬輝いた視線をすぐ床に落とした。空しい問い掛けに慣れきってしまった風情だ。
「ご心配をお掛けして申し訳ありません。残念ながら、まだ何の情報も入ってきません。今後ともよろしくお願いします」
消え入りそうな声でシェフが答えた。痛々しさがMの胸を突く。とっさに博子を見たことを告げたくなった。
「M、何か知ってるの」
極月が振り返ってMに尋ねた。半分開いたドアを片手で支えている。
「いえ、外のポスターが気になっただけ。早く見付かるといいですね」
極月とシェフに同時に答えて口をつぐんだ。くーちゃんの死体を発見したときと同じ事を、またしてしまったと後悔する。たまらなく名淵検事に会いたくなった。

名淵は検察支部の二階にある自席から、開け放された窓の外をぼんやりと眺めていた。やっと午後三時を回ったところだが、秋の日は短い。すっかり斜めになった日射しが夕暮れが近いことを知らせていた。検察支部は水瀬川を挟んで市街の対岸にある。国や県の合同庁舎から少しはずれ、裁判所支部の隣りに建つちっぽけな二階建ての庁舎だ。公判部の同僚はいつも忙しくしていたが、支部に派遣された特捜検事にこれといった仕事はない。山地の少女殺人事件の調査も終わり、派遣期限の月末を待たなくてもいつでも帰任できる態勢だった。だが、名淵には帰任する気はない。この市が持つ魔力のような魅力を、任期切れになる日まで愛用のライカM6で写し取っておきたかった。そして、できることならばMに、もう一度会いたいと思った。夏の終わりの官能の一夜のことが忘れられない。もし機会があれば、官能に身悶えするMの姿を何としてもカメラに収めたいと思う。三か月の任期で検察支部を回り、特別捜査の仕事をアピールする職務も閑職でしかない。だが、このまま退職して「やめ検弁護士」になる気にはなれない。全身を賭けた仕事がしたいと痛切に思う。

「検事さん、ご面会ですよ」
ドアを開けて入ってきた事務官が慇懃に言った。客の氏名も告げない無礼な態度に腹が立ったが、この検察支部では名淵は招かれざる客なのだ。無言のまま部屋を出て階下に向かった。階段を鉤の手に曲がったところで踊り場に出ると玄関ホールが見渡せた。薄暗いホールの無人の受付の前に、長い髪の女が立っている。ガラスドアから長く射し込む日の光で顔は暗い。白っぽいマウンテンパーカーの裾から伸びた脚が驚くほど長い。階段を降りてきた名淵を見上げて、うれしそうな声を出した。
「検事さん、突然お邪魔して申し訳ありません」
「あっ、Mさん、いらっしゃい。わざわざ、こんな所まで来てくれたんですか」
反射的に答えた声が、我ながら上擦っていると名淵は思った。逆光になったMに見られていると分かっても、つい表情が緩むのを押さえきれない。いつもの習慣で辺りを見回す。人影はなかった。でも、立ち話はしたくなかった。招じ入れる部屋を思い描いたが、検察支部には気の利いた部屋はない。ただ一つある応接室も、取調室のようで味気なかった。実際、名淵がいる間に取り調べで使ったこともある。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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