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7.もう一つの拉致(1)

薄氷の張る寒い朝が四日続いていた。疎水の水際に最初の氷が張ったのは、進太が清美の待ち伏せを嫌ってドーム館を訪ねた翌朝だった。あの晩の帰り道で進太は、安易に清美を避けたことの報いを十分に受けた。ヘッドライトを装備していないレース用のモトクロス・バイクで下りる山道の恐怖は、もう二度と味わいたくはない。二段もギヤを落として情けないほど低速で坂を下るバイクの尻を、ゲレンデヴァーゲンのヘッドライトが煽りまくった。まるで狩り立てられているような気がする。真っ暗な山道を照らすために送ってくれるチハルの好意はありがたいが、追われる者の悲哀と焦りが脳裏を掠めた。お陰で進太は、二十分も続いたのろのろ運転にも関わらず、無様な格好で三回も転倒してしまったのだ。低速のため身体に怪我は無かったが、全身を覆った恥辱が胸に痛かった。結局次の晩に、進太は清美の説得に屈した。来週の後半には十二月を迎えるが、進太の気持ちは沈みきっている。月曜日の午後から三人のクラスメートに勉強を教えなければならなかった。

「クソッ、むかつく」
憎々しい声で言って、足元の小石を疎水に蹴り入れた。朝日に輝く水面が揺れ、波を被った薄氷が虹色に光って溶けた。三人の女の子に勉強を教えるのは面倒だが、決して苦痛ではない。確かに級友には受け入れられるだろう。それどころか、秀でた学力が敬われ、指導力が頼られ、人格が好かれ、容貌が愛されるだろうと思う。だが、それが何になるのかと進太は思う。級友たちに溶け込むことができない限り、これまでと変わるところはどこにもない。学校での位置も関係も変わらず、進太の色合いだけが変わる。それは衣装を替えるに等しい。望みもしない衣装に着替えて人前に立つのは、まるでピエロのようだ。それも強いられたピエロだった。耐え難い仕打ちだ。その仕打ちを受け入れてしまった自分が歯がゆくてならない。テストの答案のように消しゴムで消してしまいたくなる。せっかく書いた正解の答案を一生懸命消し、白紙で提出した保健体育のテストを思い出した。くーちゃんの顔が目に浮かんだ。大きな目元がキヨミ先生に似ていた。

「そうか、キヨミ先生を消せばいいんだ」
つぶやいてみると、全身の怒りが嘘のように去っていく。進太の口元に笑いが浮かんだ。背後から貧相なエンジン音が聞こえ、軽トラックが進太の横に並んだ。黒いサングラスをかけたMが運転席の窓から顔を突き出す。
「今夜は悪いけど、祐子と夕食を食べてアトリエに泊まるわ。帰りは土曜日の午後になると思うけど、いいわね」
早口でMが言った。黒いサングラスが朝日を反射してまぶしく光る。表情からは分からなかったが、進太は嘘の臭いを嗅いだ。チハルも今夜、祐子と一緒に市に泊まると言ったのだ。チハルに聞いたのは昨日の午後のことだ。山地で頻繁に警官の姿を見掛けるようになったので、歓楽街で憂さ晴らしをしてくると言っていた。だが、祐子は一人しかいない。Mとチハルが、祐子を囲んで三人で夜を過ごすとは思えない。どちらかが嘘をついているに違いなかった。

「いいよ、ゆっくりしてくれば。どうせ酒を飲むんだから、泊まってきた方がいいよ。最近の山地はパトカーが多い」
素知らぬ顔で進太が答えた。
「ありがとう。食料は冷蔵庫に満杯だから、好きなものを食べてね」
Mが言い残して軽トラックを発進させた。華やいだ声の余韻が進太の耳に残った。嘘を言ったのはMだと確信する。妙に艶めいた匂いが鼻を掠めた。精液の匂いに似ている。突然、Mの裸身が脳裏に浮かんだ。後ろ手に緊縛された裸身だ。よく見ようとすると顔が清美に変わった。恥じらいを浮かべた美しい表情だった。急激にペニスが硬くなってくる。素っ裸にした清美を監禁する妄想が進太の全身を支配した。後は消しゴムを用意するだけだ。何とかなるような予感がする。無性に清美に会いたくなった。進太は白いトレーナーにジーンズ姿で学校に向かった。とても登校する格好には見えない。バイクで行きたかったが、街道を行き来するパトカーを思い浮かべて断念した。警官たちが山地で消えた博子と白いパジェロを捜索していることを、進太はまだ知らない。

清美は教卓の椅子に座って窓の外を見ていた。二時限目の休み時間は始まったばかりだ。清美が担任する小学校五年生たちが校庭に飛び出してきた。風が立つ度に舞い落ちる銀杏の葉を宙で掴もうとして追い回す。遠く近く嬌声が響き渡る。毎年繰り返される秋の終わりの行事だ。のどかな光景だった。その子供たちに警察が事情聴取をしたのは、つい三日前のことだ。学校に警官が来るのは昨年の久美子の殺人事件以来、当たり前のようになっていた。落ち着いた静けさを誇っていた山地で、心が痛む事実だった。行方不明の女性と外国人の青年のことは、サッカー部に所属している二人の子供がよく覚えていた。だが、三週間以上も前のことだ。万一事件だとしたら、二人とも生きていないことは清美にも予想できた。殺伐とした雰囲気が美しい自然を浸食しているようで気が重くなる。せっかく説得することができた進太のことも気掛かりだった。同級生の補習は引き受けたものの、相変わらず不登校が続いているのだ。

「少し強引だったかな」
窓の外の校庭に向かってつぶやいてみると、人気のない教室の寒さが改めて肌に染みた。今朝聞いたカーラジオで、西高東低の冬型の気圧配置が緩み、週末にかけて温かい日が続くと予報していたことを思い出して苦笑してしまった。このまま真冬になってしまいそうだ。大げさに身震いすると外の景色が揺れた。金色に輝く銀杏の下を歩いてくる進太も揺れて見えた。予期せぬ姿を目にして、うれしさが込み上げてきたが、進太の格好はどう見ても登校するスタイルではない。それでも立ち上がって、校庭に面したガラス戸を開けた。途端に日射しの温かさが全身を覆った。天気予報が当たったようだ。何となく心が浮き立ってきて、上履きのまま外に出て進太を迎えた。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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