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8.終焉(5)

ゲレンデヴァーゲンの運転は進太に任せ、チハルは蔵屋敷の庭から連れてきたクロマルを膝に抱いた。クロマルはセッターとシェルテーの雑種で、体型はシェルテーに似ている。精悍な猟犬というより、白いたてがみを持った愛玩犬に見える。だが、犬の臭覚は決して軽んじられない。チハルは膝の上に載ったクロマルに最低限の仕付けを施そうとした。始めは運転席の進太に気を取られていたクロマルが、チハルの気迫に押されて従うような素振りを見せた。これまでも、何回かクロマルを猟の真似事に連れ出したことはある。いつも進太が一緒だったから、それほどの役には立たなかったが、確かに猟犬の素質は見せていた。今度の仕事は猟から見ればよっぽど楽だ。ひたすら清美の臭線を追い続けてくれればいい。それも、たかだか二時間前の人が通らない山の中の臭線だ。きっとうまくいくと信じて、クロマルの頭を撫でた。
「ワンッ」
うれしそうにクロマルが一鳴きして、チハルに答えた。チハルの口元に精悍な笑いが広がる。人を狩り立てるのは初めての経験だった。

清美が逃亡した後の土蔵には、クロマルに匂いを覚えさせる品が溢れていた。チハルは清美の着ていた衣服を床に広げ、クロマルを呼び寄せた。真剣な表情で衣服を指し示し、長い鼻先にあてがった。すぐクロマルが興味をあらわす。牡のクロマルは、たとえ人でも雌が好きなようだ。特に黒いレースのブラジャーが気に入ったようで、しきりに尻尾を振って匂いを嗅いだ。頃合いを見て、チハルがブラジャーをスーツのポケットに隠した。クロマルは服地の上から匂いを嗅ぐ。ポケットからブラジャーを出すとうれしそうに吼えた。一緒に転がり出た散弾の青いシェルには見向きもしない。ブラジャーを床に引きずって素早く外に飛び出す。布切れを胸ポケットにしまって素知らぬ顔をしていると、クロマルはあっけに取られたように首を傾げた。続いてしきりに地面を嗅いで歩く。すぐに臭線を探り当て高々と尾を上げた。空を仰いで高鼻を掲げる。

「ヨシッ、イケッ」
すかさず進太が命令を下した。逃亡した清美の臭線を追ってクロマルが進む。進太が小走りに後を追った。クロマルの足が速くなったところで、チハルはゲレンデヴァーゲンを発進させた。二十メートルほどの間合いを置いて、ゆっくりクロマルと進太を追尾した。街道に向けてしばらく下ったところでクロマルと進太が立ち止まった。クロマルの吼え声が連続して響いた。チハルも車を降りて近付いていく。
「ほら、大手柄だよ。この犬を見直してしまった」
進太が感動の声で叫んで、黒い布切れを両手で広げた。
「キヨミ先生のショーツだよ。色っぽいだろう」
呼び掛ける進太の声が弾んでいる。心持ち頬が赤く染まっていた。確かに大胆な下着だったが、それを穿く清美は油断できないとチハルは思った。だが、清美の運も尽きたと改めて確信する。山へ逃げ込んで、犬に追われたらひとたまりもない。それも、逃げ込んで一時間も経っていないのだ。せいぜい五百メートルも追えばエンドマークだった。
「ここから山に入ったんだね。馬鹿なことをするもんだ。進太、クロマルに首輪を付けなさい。ゆっくり狩り立ててやる」
命じる声にも余裕が溢れていた。クロマルを先頭に、二人の猟師が山の中に分け入って行った。


ブリテッシュ・レーシンググリーンに塗られたMGFが、築三百年の屋敷に続く道をゆっくり走っていく。ハンドルはMが握っていた。荒れた路面を避けながら慎重に運転する。オープンにした車内に晩秋の風が巻き込んでくる。いくら日射しが強いからといって、午前十時を回ったばかりの風は冷たい。助手席に座る名淵が寒そうにスーツの襟を立てた。Mの口元に笑いが浮かぶ。サロン・ペインの駐車場でMGFのハンドルを握るように言われた時に、Mは迷わず車体をオープンにした。オープンにして走ったことのない名淵は、目を丸くして幌を巻き上げる動作を見つめていた。そのときの間抜けた顔が目に浮かんだ。

「そんなに楽しいのかい」
笑いを見咎めた名淵が憮然とした声を出した。
「いいえ、楽しくはないわ。この道に入るのを二十六年間避けていたのよ。楽しいはずがない。悪いことが待ち受けているような気がして、不安になってくるのが正直な心境よ」
笑いを納めて真剣な声で答えた。名淵が、はなじらんだ様子で肩をすくめた。白いマウンテンパーカーを着込んだMにも風の寒さが伝染する。大きくくしゃみをすると、今度は名淵が笑った。他愛ないやり取りが楽しかったが、不安は去らない。緩いカーブを曲がりきった先の直線道路に駐車してある黒塗りの車が見えた。巨大なカラスがうずくまっているような凶々しさを感じる。チハルが愛用するゲレンデヴァーゲンに間違いなかった。ベンツの四輪駆動車に乗る者は市にもいない。昨夜の叱責の声が甦った。あのときチハルは、進太が死の迷路を彷徨っていると言って責めたのだ。死を連想させる黒塗りの車体が見る間に大きくなる。擦れ違う時に車内を見上げたが、誰もいない。言い知れぬ不安だけが肥大する。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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