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6.それぞれの思い(6)

「ねえ、チハル。本当だよ。しつこいのを通り越して、もう異常の領域だよ。かわいい顔して鬼のようなことをするんだ。七日間も帰りを待ち受けられて説教される僕はたまったもんじゃない。今夜もきっと、キヨミ先生は自転車に乗って僕を待っているんだ。いい迷惑だよ。虐めより悪い。殺したくなる」
「くーちゃんのようにしたいんだ」
憎悪に満ちた進太の言葉に、チハルが顔も上げずに軽く答えた。チハルは半円形のドーム館の自室のベッドの上で、レミントンM1100の手入れをしている。機械オイルの匂いが部屋中に満ちていた。進太は部屋の中央に置いた革張りの椅子に所在なげに座っている。ドーム館の半分の権利を持つ祐子は、鋸屋根工場跡のアトリエと煉瓦蔵の前にあるマンションを拠点にしているため、半円形に区切った隣の部屋を使うことはなかった。元通りに壁を取り払ってもよかったのだが、チハルはあえて祐子と暮らしていたときのままにしていた。ベッドと椅子、それにパソコンしかない殺風景な部屋に不満もなかった。所在なげにしている進太にも不満はない。一時熱中したパソコンにも最近は触れることがない。やはり、アウトドアの活動が最高だと思う。住居の中は安心して休むだけの場所だった。チハルの暮らし振りがそれを証明している。進太は蔵屋敷より、チハルの部屋の方がよっぽど気が休まる。チハルも進太を疎んずることがない。今も、ベッドに胡座をかいて座ったチハルは素っ裸だった。進太の目を気にする素振りも見せない。だが、進太はチハルの前では、命じられない限り裸になれなかった。それは、わだかまりというより恥ずかしさが原因だった。劣等感といってもいい。進太の肉体が取り立てて醜いわけではなかったが、進太の目にはチハルの裸身が美しすぎた。チハルと均衡がとれない裸身を晒すのが耐えられなかったのだ。進太の気持ちが分かっているように、チハルは些細な干渉もしない。山地に帰ってきてからのチハルは進太の指針になっていた。七年前に動物園からキリンを強奪したときに見せてくれた力強さは一向に変わっていない。一層凄みを増した膂力が、毎日のように進太に目を見張らせてくれていた。

「くーちゃんとは少し違うんだ。あの子は黙って泣いていただけだから、耐えられなくなるまでに結構長い時間があった。でも、キヨミ先生は違う。怒ったり泣いたり、脅してはすかしたりで目まぐるしい。まるでチハルが嫌がらせを始めたみたいにエネルギッシュでパワフルなんだ。僕の力量では太刀打ちできないよ。もう限界だと思ったから、今夜はドーム館に避難してきたんだ。ねえ、どうしたらいいだろう。このままでは僕、本当に先生を殺してしまいそうだよ」
進太の泣き言がまた部屋に響いた。チハルは返事もせずに分解した銃を組み立てている。最後にスライドを引くと、かん高い金属音が響いてトリガーがセットされた。
「殺したければ殺してもいいのよ。ただし、自分が殺されることも受容することが条件。フェアな戦いなら、いつでも始末はしてあげる。後は進太が一人で決断するんだね」
突き放すようにチハルが言って、レミントンを頬付けにして構えた。真っ黒なドーム天井にまたたく星空に銃口を向ける。青白く輝く大犬座のシリウスを狙って引き金を引いた。カチッという乾いた音と共に、チハルの視界からシリウスが消えた。もう猟期は始まっている。まだ獲物はないが、明日はイノシシを狩りたいと痛烈に願った。


歯科医は母屋の二階の窓から疎水に架かった木橋を見下ろしていた。橋のたもとに立つ外灯が漆黒の闇をぼんやりと照らし出している。スタンドを立てた自転車の横に、若い女がずっとたたずんでいる。もう二十分は過ぎた。外気温が下がったためか、規則的に足踏みをして手を擦り会わせている。小柄な身体がやけに哀れに見えた。
「キヨミ先生にも困ったものだ」
声に出してつぶやいてから蔵屋敷に視線を巡らす。明かりの灯る高窓が見えた。Mは帰ってきているが、進太は先生が帰るまで戻らないだろうと思った。きっとドーム館のチハルのところで、清美が帰る時刻を見計らっているに違いなかった。歯科医には進太の気持ちが分からないではない。毎晩家の前で待ち構え、やりたくもない講師役を強要されるのでは、歯科医でもたまったものではない。若いころだったら、いい加減にしろと言って、教師を殴り倒したかも知れなかった。だが、進太には自信を持って決断し、実行する能力が欠けているように見える。清美の説教を毎晩聞き、申し出を断ることしかしない。断固とした態度を見せることができないのだ。Mが進太の代わりに清美に言ってやればいいと歯科医は思う。Mの態度はいつだって明確だ。人に誤解を与える余地を残さない。しかし、Mは故意に介入するのを避けているように見える。清美が毎晩進太の帰りを待ち受けていることは知っているはずなのに、話題にもしない。進太が相談してくるのを待っているのかも知れなかった。それほど、今の家族には対話がない。歯科医は大きな溜息をついて、再び清美を見下ろす。Mが外に出てくるとは思えないし、清美が蔵屋敷を訪ねるとも思えなかった。進太のバイクは定位置に見当たらないのだ。キヨミ先生はあくまで進太の帰りを待つつもりだろう。

「今夜は帰ってもらおう。事の是非はともかく、女性を夜の路上で待たせては申し分けなさすぎる」
独り言を言いながら、歯科医は母屋の急な階段を下っていった。久しく閉め切りにしてあった診療所の正面玄関に明かりを点けて、ドアを開けた。ドアの開く音と、急についた明かりが清美を驚かせたらしい。外に出てきた歯科医を怯えた顔で見つめた。
「驚かせて済まない。確か進太が小学校の時の担任の先生ですね。差し出がましいようだが、私の話を聞いて欲しい」
遠慮がちに声を掛けると緊張していた清美の表情が緩み、懐かしそうな顔になった。
「まあ、歯医者さん、お久しぶりです。私は先生がまだ校医さんをなさっていたころに山地に赴任してきたので、とてもお懐かしいです。お元気そうで安心しました」
うれしそうに話し掛けた清美の顔を、歯科医もよく覚えていた。新卒で小学校に赴任してきたばかりの清美を、歯科医は中学生と間違えた思い出もあった。少女のようだった清美が、今や美しい女に変わっている。相変わらず小柄だが、全身から漂ってくる雰囲気は十分に成熟した女の匂いがした。歯科医は目をしょぼつかせて相好を崩す。だが、今夜は懐旧に慕っている場合ではなかった。頬を引き締めて清美の顔を見つめ返した。

「先生が進太を心配してくれて、毎日家庭訪問をしてくれているのは私も知っています。ありがたいことだとも思っている。でも、今夜は私に免じてこのままお帰りください。進太は留守です。恐らく、先生が帰るまで戻りません。逃げ回らないようにするのは家庭の問題です。今夜はお帰りになって、日を改めてください」
「分かりました。私こそ夜分にご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。また明日の夕刻に参りますから、進太ちゃんにお伝えください」
深々と歯科医に頭を下げてから清美は帰っていった。自転車に跨って夜道を去っていく後ろ姿を見て、歯科医は大きく溜息をついた。清美は明日も来ると言ったのだ。熱心を通り越した執拗さに辟易してしまう。蔵屋敷に行ってMに事情を話し、交渉役を代わってもらうしかないと情けなく決断した。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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