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2.ワサビ田(5)

「へえ、進太はこの死体と知り合いなんだ。せっかく女の子が素っ裸で死んでくれたんだから、きれいな裸身を目に焼き付けておくんだね。いい供養になるよ」
チハルの非常識な言葉が耳を打った。
「うん、そうするよ」
声に出した進太が大きくうなずく。Mは開いた口が塞がらない。久美子の死体を前にしたチハルと進太には、いささかの感傷も感じられない。乾燥しきった冷気がMの全身を覆った。死者はただ、暮らしの中で戸惑っているように見える。後始末はMの仕事だった。その一点で死者はMにも見放された。

傷害致死罪で補導され、教護院に措置された前歴を持つ進太を、Mは表面に出したくなかった。進太がいない限り、チハルが出てくるのも辻褄が合わない。結局Mがただ一人の発見者として、事件を警察に通報することになってしまった。Mにも前科があるが、かえって警察の対応には慣れていると言えた。こうして事件の発端から些細な嘘が生まれ、Mと久美子の死体がワサビ田に残ることになった。

事件の後三か月ほどは、いつも静かな山地も捜査関係者や報道関係者の往来で騒がしかった。しかし、犯人が捕まるどころか見当さえもつかない有様だった。事件のあった日の前後は、市の高校のラグビー部が全国大会に向けた合宿を、蔵屋敷の上流にあるキャンプ場で行っていた。すでに卒業したOBや父母が終日行き来して人の出入りが激しかったことも捜査に災いした。殺害された少女が知恵遅れだったため、山地以外に住む変質者の犯行も疑われたのだ。一年が経とうとする今も、目立たないながら捜査は続けられているようだ。変質者の線を除いて、今もって疑われているのは第一発見者のMと、非行の前歴がある進太、そして久美子の父の三人だった。久美子は学校の西側に建つ、雇用促進住宅に住む父子家庭の一人娘だった。遺体の胸に乗せられた石が、肉親による供養を連想させるという記事が週刊誌に出ていた。一人娘を亡くした久美子の父も居たたまれなくなったのだろう。半年ほどして、身辺が落ち着くころに山地を出て、近くの市に転出してしまったらしかった。
すべてが無理に思い出してみなければならないほど、遠くなってしまった事件だった。忙しい日々の暮らしが殺人事件さえ風化させる。名淵に告げられなければMも、新聞の記事で読むまで、クーちゃんの一周忌のことを思い出さなかったはずだった。


Mがワサビ田の草取りを終えて蔵屋敷に帰ってきたときは、午前十一時を回っていた。名淵に会ったことが気に掛かり、最後の一枚の田に思いの外時間をとられてしまった。いつになく疲労も濃い。作業着のままソファーに腰を下ろした。まだ濡れているズボンの尻が不快感を募らせる。顔に浮いた汗を両手で拭い、ぼんやりと北向きの窓を見上げた。開け放たれた窓越しに、大きく枝葉を広げたケヤキが見える。濃緑の葉はそよとも動かず、部屋にこもった熱気が全身を包み込む。

「まずはシャワーね、クーラーも入れよう」
声に出してつぶやいてみたが腰が上がらない。乱雑な部屋の様子が妙に気に掛かる。蔵屋敷は、たかが二十畳ほどのワンルームだ。北隅にあるバスルームとトイレは歯科医がアトリエ用に設置したものだが、東向きに作ったキッチンはMと進太が住み始めてから設備した。独り暮らしの狭いキッチンに閉口していたMは、一度に大量の品が置けるように大型のキッチンセットを選んだ。そのセットの上も、周りの床もレジ袋に入れたままの食品や日用品で雑然としている。テキスタイルデザイナーをしている祐子が市街地のスーパーで買って、定期的に届けてくれる品だ。日常品の買い置きが嫌いなMにはありがたいことだが、なにぶん量が多い。かといって文句の言えないことがつらい。祐子は三人暮らしの最低量だと主張して憚らない。使い切れないMの方を、原始的だと言って責めるのだ。部屋の中央に置いた卓球台ほどもあるチークのテーブルの上も、読みかけの本や進太が食べ残した朝食の食器で溢れていた。目を細めて見ると、テーブルの表面に綿埃が浮いているのが見えた。この巨大なテーブルも、歯科医を含めた家族三人が揃って、それぞれの好みにあった作業ができるように設置したものだ。今でもアイデアは最高だと思うが、管理する者がいなかったのが致命的なミスだった。だが、Mが掃除をするのは毎週月曜日と決めてある。独りで暮らしだしてからずっと続けてきた三十年来の習慣だ。たまさか家族ができ、一緒に暮らすことになったからといって変えるつもりはない。もちろん当番制にするなら話は別だ。だが、個々の責任と人格が確立していない家族にあっては、共同生活は到底無理な話だった。もちろん祐子に掃除まで頼むわけにはいかなかった。
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Author:アカマル
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官能のプリマ全10章
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