2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2.ワサビ田(11)

「チーフ、Mさんと仕事の話がしたいんだ。今夜の客は僕たちだけだから、少しの間席を外して欲しい」
名淵がさり気なくチーフに呼び掛けた。カウンターの中のチーフが無表情な顔でMを見つめる。Mは何の反応も見せない。チーフの解釈に返事を委ねたような突き放した態度だ。即座にチーフがうなずく。
「今夜のMは、やはりMらしくないわ。私が判断する筋じゃないけど席を外すわ。それから検事さん、店でMを逮捕するのだけは勘弁してね。じゃあ、ごゆっくり」
少し怒った声でチーフが言ってカウンターを出た。フロアの隅のボックス席に向かう。投げ捨てた下手なジョークだけがシェリーに混ざった。

「特捜検事と言っても、僕のいる地検では一人きりです。時流に乗って聞こえはいいけど、窓際族のようなものです」
声を落として話し始めた名淵が、Mの横顔を見て反応をうかがう。Mは黙ったままシェリーを口に運んだ。再び前を向き、独り言のように話を続ける。
「犯罪に遭っても警察官や検事が事件にしてくれない時、市民が異議を訴えることができる機関があるんですよ。検察審議会というんですが、その審議会に山地で殺害された少女の父が訴えたんです。犯人が分かっているのに警察が検挙しないというんです。犯人も名指ししています。進太君だと言っている」

「嘘です。嘘に決まってる」
Mが大声で叫んだ。手に持ったグラスからシェリーがこぼれた。声にびっくりしたチーフがボックス席から立ち上がり掛ける。
「興奮しないでください。まず事実を知って欲しいんです。反応はその後でも遅くない」
名淵が右手を伸ばし、なだめるようにMの肩を抱いた。固く構えた剥き出しの肩に温かな手の感触が沁み入る。小さくうなずくと名淵が話を続けた。

「嘘かも知れないし、真実かも知れない。残酷なようだが、それを調べるのが僕の仕事です。役所ではよくあることなんだが、審議会の結論が出る前に秘密で事前調査をすることになった。その役が窓際族の僕に回ってきたというわけです。だから、役所の記録に残されたことはすべて調べた。進太君の補導の記録も、Mさんの過去の記録も読みました。でも興味本位じゃない。真実を確かめるのが僕の仕事です。そのための資料に過ぎません。そして今朝、遺体が発見された現場に行ってMさんと会った。説明が足りなかったことはお詫びします。でも、資料を読み、現場を見たことで疑問も持った。Mさんの証言に関わることです」

名淵の声が止まった。Mの全身が緊張する。肩に回された名淵の手を振り払いたかったが気力が失せた。そっと生唾を呑み込む。すぐさま名淵が切り込んできた。
「Mさん、一人で遺体を発見したというのは嘘ですね。進太君もいたのでしょう。鑑識が撮った写真を見ると遺体は目をつむっている。とくに水底に沈んでいる写真では、かろうじて少女と分かる程度です。あの年頃の子の成長は早い。死ぬ二年前に会ったきりのMさんが、一目で久美子と断定したのが僕は不思議だった。今朝初めて現場を見て、ずいぶん草深い寂しい所だと分かった。水の流れも速く水面が揺れていた。水底に沈んでいる顔を見ただけで、Mさんが遺体を特定できたはずがない。進太君もいたんですね」

Mの全身から力が抜けていった。このままスツールから滑り落ちると思ったとき、肩に回された腕が脇に入り身体を支えた。姑息な嘘がばれないはずはないのだ。あの朝、警察に通報した電話で、水貯まりで久美子が水死していると告げたのはMだった。動転していた頭が、進太に告げられた名前を秘匿することを忘れさせたのだ。しかし、Mはそのことを悔やむ気になれない。進太とチハルが一緒にいた事実を隠した浅知恵を恥じた。恥じた瞬間、晴れ晴れとした気持ちになった。萎えていた気力が甦ってくる。Mはこれまで、すべての真実を直視したところで生きてきたことに思い当たった。平穏な暮らしに慣れ、つい魔が差してしまったとしか思えなかった。今からでも取り返しがつくだろうかと、不安が首をもたげてきたが、背筋を伸ばして踏みとどまる。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

最新記事
カレンダー
12 | 2012/01 | 02
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
free area
人気ブログランキングへ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR