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- 2011/04/02/Sat 15:00
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- 第4章 -卒業-
「大丈夫かい、ナース」
非常ベルで駆け付けて来たピアニストが、息を切らせながら声を掛けた。
「大丈夫よ。自分で手首の骨を折って、つかの間だけど楽になれたわ。手首に副木を当てておいてちょうだい。明日、先生に処置してもらいましょう」
松葉杖を突いたまま呆然としていたチーフが、掠れた声を出した。
「可哀想。楽にして上げた方がいいわ。私なら堪えられない。麻酔はないの」
入院してから始めて発せられる言葉だった。喉につかえたような、聞き取りにくい言葉だった。
「あなたの場合と違って、この患者さんは死にたくないのよ。ひたすら死が迫って来るだけ。彼は生きていたいの、だからセックスにも反応するの。見ていて分かったでしょう。生への執着が、あんなに激甚な苦痛にも勝って性を求めるの。苦痛の呻きが、喘ぎ声に変わって、ペニスが十分に勃起する。逞しいほどよ。もう三日間も寝ていないのに、すがるように私の身体を求めるわ。きっと性が苦痛を癒すのよ」
自信溢れるナースの口調に応じて、豊かな乳房が揺れた。
「僕は麻酔科医の卵だけど、誰でも思ったように麻酔が効くわけじゃあない。ましてや専門の医師のいない普通の病院で、麻酔に頼った終末医療が理想通り行われることはないんだよ。ここではやはり、麻酔より人と人の間で通い合える癒しの方が役に立つんだ」
枕元に屈み込んだピアニストが、男の口から猿轡を外した。ナースが萎びきった男の口から、涎まみれのガーゼを取り出す。
「自分自身で舌を噛みきりたくなるほどの苦痛なの。病院の方針で猿轡をしているけれど、私もピアニストも疑問に思っているわ。素っ裸になって患者のペニスをくわえる看護法も、もちろん違反よ。誰もしないわ。私とピアニストしかいない深夜だけの秘密。でも、これは大切な看護だって思っているの。官能の高ぶりは、確実に苦悩を癒すわ。苦しみのまっただ中にいる人を、見捨てたくないとさえ思えば、何でもできる。それが、都会に出て来た私が、やっと悟った看護法よ。今夜はたまたま腕を折って、眠ることができたけど、こんな安らかな顔付きは、私の口の中で射精するときしか見せたことがないのよ」
「凄いわ」
場違いな大声で、感に堪えたようにママが言った。
「迫り来る死の苦痛と恐怖を、たとえ一時的にしろ、癒すことができるなんて凄いことだわ。きっと、心の痛みだって癒すことができる。死んだ宏志と違って、生きたいという欲望さえあれば、それに伴う痛みは、性で癒すことができるかもしれない。ねえ、チーフ。性的な演技は、私たちのお手の物じゃあない」
つかの間、末期ガンの痛苦から開放されて眠る、痩せこけた三十五歳の男を前に、ママの野望が花開いた。
カウンターの鏡の中でMの目が光った。
「ママはユニークなことを考えつくのね。同じショーでも目的が変わったってことか」
「そう。一方的に見せるのではなく、必要な人に参加してもらうわけ。ナースもピアニストも協力してくれることになったわ。ピアニストはまだ医者の卵だけど、ナースは看護婦の異端だもの。病院にいるより、この店にいた方が理想を実現できる。それに、ナースはこの地方の出身なんだ」
「呆れるほど単純な論理ね、単純明快が好きな私も二の足を踏みたくなるわ」
「どう、Mも協力しない」
「考えて置くわ。それで三十五歳の患者さんはどうなったの」
「死んだわ。二日後の深夜、ナースの豊満な裸身に抱かれて全身を痙攣させて死んで行った」
Mは、男の痛みが伝わってきそうな気がした。
本当の痛みに、性が何ほどの力を持っているのか、Mには疑問だった。