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7 煉瓦蔵の裏で(2)

去って行くMG・Fのテールランプを見送った後も、祐子はマンションのエレベーターホールに向かわなかった。じっと、通りの向かいに佇む巨大な煉瓦蔵を見つめていた。分厚い煉瓦を通り越し、裏にあるというバイクの家を一心に思い描いた。

今夜バイクに会わなければ、もう会うことが出来ないかもしれないと思った。
ヒシヒシと周りから押し寄せて来る高くて厚い壁はもう、皮膚に張り付くところまで迫っている。もしかしたら既に、身動きが出来なくなっているのかも知れなかった。少なくとも、後回しには出来ない。明日では間に合わない。一切の出口が閉ざされ、壁を打ち破ることも、潜り抜けることも、迂回することもできなくなるかも知れない。

今夜私は、サロン・ペインに行き、新聞社でMとも会ったのだ。後は自分自身の行動しかない。
祐子は、黒々としたシルエットを路上に映す、煉瓦蔵の巨大な壁を見据えたまま織姫通りを横断した。

右手に重厚な煉瓦の壁が続く路地に足を踏み入れる。
幅が一メートルちょっとの狭い路地だ。左手は高さ二メートルの黒い板塀が続いている。天井だけが開いたトンネルに入って行く気分だった。見上げると、頭上に細長く切り取られた夜空が見える。熱く湿った大気の中で、赤い星が瞬いていた。

二十メートルほど路地を歩くと道が途絶える。正面を塞ぐコンクリート塀の前で、直角に折れる。
右手に続く煉瓦蔵の背後が途切れたところに、こじんまりとした門があった。左右どちらの門柱にも表札はない。
家を間違えたのだろうかと、弱気な考えが浮かんだが、一軒しかない屋敷を間違うはずもない。気を引き締めて門をくぐり、茂り放題の植え込みをかき分けて玄関の前に立った。しかし、玄関の戸はビクともしない。小さな声でバイクの名を呼んでみたが、応答のあるはずもない。大声を出すのは憚られる雰囲気だった。

気を取り直し、足下の土に刻みつけられた車椅子の轍を追って、南に面した庭に回る。大きな平屋建ての屋敷が全体を現す。しかし、庭に面した廊下には、しっかり雨戸が立てられている。仕方なく、一番奥に突き出している勝手口に向かった。月明かりの他には、隣の家の庭に立つ外灯の光しか射さない。暑く暗い大気が白い服をグレーに染め上げてしまうようだ。

勝手口と見えたところは、風呂場だった。使われなくなった外の焚き口の横に潜り戸がある。
「風呂場の横の潜り戸が開いたままなんだ」と、サロン・ペインの自動ドアの前で、ピアニストが囁いた意味不明の言葉が甦った。

祐子の行動を予期したように符合する言葉に驚いたが、別に疑問は感じなかった。とにかくバイクに会わなければ、これからの道はないと、固く心に決めていた。
ごく自然に潜り戸に手を掛け、力を入れて手前に引いた。ギィーと音を立てて戸が動いた。ピアニストの言ったとおり戸は開いていた。


「祐子、ほんとに祐子なのか」
風呂場の奥の闇の中から、バイクのうわずった声が響いた。
「ええ、私よ」
潜り戸に半身を入れたまま祐子が答える。
「よく来てくれたね、祐子。何度も電話をしたんだ。足下に気を付けて上がってくれよ」
急に風呂場の電気がついた。小さな照明だったが、十分明るく感じた。広い風呂場だった。畳一畳分ほどはある木の湯舟の前に、高い簀の子の洗い場があった。廊下から板が渡してあり、車椅子のバイクが入れるように作ってある。簀の子の隅には車止めも用意してあった。下は打ちっ放しのコンクリートだ。
「風呂場から人を迎えるのは、今日二回目だよ」
「えっ、誰が来たの」
簀の子に渡した板まで出て来たバイクが、うれしそうな声で言ったが。問い返した祐子には答えず、廊下に上がるように促す。
靴を脱ごうと背を向けた祐子が小首を傾げ、またバイクを振り返った。開けた潜り戸から侵入した外気が室内の空気と混ざり、妙な臭いを嗅いだと思ったのだ。
最近、同じ臭いを嗅いだ記憶が、鼻の奥に残っていたが思い出せない。
「バイク、何か臭わない。変な臭いよ」
「古い家だから黴の臭いかな。それとも暫く風呂に入らないせいかな」
「いやね。お風呂に入らなければ汗臭くなるわ」
言ってしまってから、バイクのプライドを傷つけてしまったようで、心が痛んだ。耐えられないほどの臭いではない。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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