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2.事業団と医師(3)

目の前で見る秘書の白いスーツはウール地だが、襟がスタンドカラーになっている。お揃いの白のパンツはゆったりとしていて、どことなく外科医が着る白衣のような雰囲気がある。Mの視線を平然と受け止め、対座したまま話し出そうともしない。
「ひょっとして、あなたのスーツは制服なの」
沈黙を嫌って、Mが先に口を開いた。当然とでもいうように秘書がうなずく。
「コスモス事業団のユニホームです。それから、規則でお茶はお出しできません。すぐビジネスの話に入りましょう。コスモスは効率を大切にするのがモットーですから、お気を悪くしないでください」
「構わないわ。私もその方がいい。早速仕事の話をしましょう」

Mが同意すると、アーモンド型をした目がいたずらっぽく笑った。少女の面影さえ残る初々しい笑顔だ。その笑顔から、急にぞんざいな言葉が飛び出してくる。
「Mは仕事もできるんだね。ただの肉体派でなくて気に入ったよ。私はチハル。祐子と一緒に三年前、素っ裸のMと会ったことがある」
「ウーン」
思わずMはうなり声を上げてしまった。世の中は狭すぎる。
三年前のクラブ・ペインクリニックでピアニストと祐子の横に並び、天井から吊り下げられたMとチーフの二つの裸身に見入っていた、見知らぬ少女の姿を思い出した。その場には天田もいたのだから、先ほどの二人の親密な関係にも納得がいった。

「あの時の女の子がチハルだったのね。じゃあ、私の外見はすべて知っているわけだ」
自分でも冷静に言えたとMは思った。ユーモアさえ交えられたことに満足し、素知らぬ顔でチハルを見た。
チハルは、忘れていたことを思い出すように目をつむった。しかし、すぐ開かれた瞳の奥に、意地悪な感情が揺れているのがMの神経に障る。
「知っているさ。剥き出しの尻の間からのぞいていた性器も、ひくひく動いていた肛門も、全部この目で見た」
「そう。だからどうしたというの。過去の記憶を持ち出して交渉するのがコスモスのやりかたなの。フェアではないわ」
チハルの瞳で揺れる悪意と対決するように、Mが応えた。
「さすがMね。祐子がなびきたくなるのも分かる。でも、私が言ったことはすべて、ビジネスとは関係ない。個人的にMを知っているということ。それだけのことさ」
声と共に悪意が消え去り、代わって嫉妬の炎が燃え上がった。
光男の次は祐子かと思って、Mはうんざりする。この街では、動きにくいまでに関係が入り組んでしまっていると、嘆きたくもなる。Mは、自分の責任と人格だけで生きていくことの困難さに当惑した。年齢を重ねるということは、こうした煩瑣な関係に耐えていくことなのだろうかと思い、我慢できなくなる。大声を出して席を立ったら、さぞかし気分がすっきりするだろうと思った。かつての自分に戻れるかもしれない。

「コスモスへの取材に応じる前に、今朝の事故について合意したいと思います」
手の裏を返すようにチハルが、また秘書の仮面を被った。
「いいわ。始めてください」
疲労感を気取られないよう、Mも事務的に答えた。
「これから私の話すことが、コスモスの最終提案だと思ってください。まず、事故車は責任を持って修理します。修理している間の代車は、ご希望のものをコスモスが用意します。もし修理が不能の場合は、提供した車を事故車の代わりに差し上げることになりますから、慎重に選んでください。また万一、あなたの身体に後遺症が出て、事故との因果関係が類推できるときは、一切をコスモスが保証します。これには仕事の休業補償金も含まれます。今回の慰謝料は、十万円。即金で支払います。なお、謝罪については、あなたの専用駐車場への認識不足を勘案して、今朝の理事長の謝罪の言葉で代えます。以上ですが、異議がございますか」
恐らく、チハルが裁量できる範囲内の処理には違いないが、出来過ぎの提案と思われた。何よりも、トラブルを未然に防ぎたい気持ちがありありと出ている。これだけの権限を与えられたチハルは、有能な秘書なのだろう。

今後の取材を考えると、謝罪にこだわるのは得策ではなかった。社会の中に出て行けば、どこにでもそれなりの仕組みが用意されているのだ。仕方がなかった。
「ずいぶん丁重な申し出ね。さすがに、大コスモスと言うだけはある。不満だけれど、合意するわ」
「代車を指定してください」
チハルは不満の内容は聞かない。合意させれば、それがチハルの仕事なのだとMは思った。
「今の車と同程度の、同じ車種」
意地悪くMが答えた。
「それでは同じ物を返せということと同じです。合意はできませんね」
「では、コスモスが用意する車でいいわ」
「それでは、私が決めさせていただきます」
「いいわ」
チハルは少し間を置いてから、片目をつむって口を開く。

「二時間後に、MG・Fを届けさせます。色は赤」
Mがこの市で、三年前に乗っていたのと同じ車だった。チハルにしてやられたような気がしたが、文句があろうはずもない。MG・Fは好きな車だった。
「お願いするわ。でも、できるだけ修理は早くしてね。それから、慰謝料は辞退させてもらいます」
「承知しました」
晴れ晴れとした顔で言ったチハルが立ち上がり、Mに右手を差し出す。二十歳を過ぎたばかりと思われる、幼さの残るチハルに不似合いな仕草だが、後ろに控えるコスモス事業団の影が自然に見せてしまう。Mも立ち上がって手を握った。痛いほど握手されたが、報復する気にもなれない。素知らぬ顔で外の風景に見入った。ふと、ホンダ・ビートは修理に出されないのではないかと思った。体よく、車を人質に取られたような気がした。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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