2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

4.突然の招き(6)

「チハル。音楽を流しなさい」
命じられるままアンプに向かうチハルを目で追って、理事長が話を進める。
「チハルは使える奴だ。しかし、側近であることを利用して、私に流すMの情報に私情を交えた。その程度のことは、私の年になれば誰でも分かる。それがチハルには分からない。面白いことだ。だから私は、早くMに会いたいと思っていた」
「チハルは有能な秘書だと思います」
「それは私が決めることだよ。M、コスモスの取材はどうしてもしなくてはいけないことなのかね」
大きく見開かれた理事長の目が、Mの全身を覆い尽くしそうになった。
その時J・B・Lの巨大なスピーカーから、小さくピアノの音が流れ出した。バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻、プレリュード第一番の旋律だった。理事長は話をやめて目を閉じ、音に耳を澄ませる。

「バッハがお好きなのですか」
思わず尋ねたMの耳に、変わったテンポのプレリュードが響いていた。
「秩序が好きなのだよ」
また大きく見開いた目で、Mの瞳の底までのぞき込むようにして理事長が答えた。
「組み立てられた音の秩序のことですか」
「違う。音の躍動する原初の秩序だ」

ジャズ風に弾かれるバッハがMの耳をくすぐる。緊密に造形された音が、巨大なエネルギーを吸い込んで生々しく揺れている。
理事長の視線がMを通り越して、遠くに彷徨っていく。どう見ても音楽を楽しんでいる風情には見えない。茫洋とした視線の中で揺れ動く、迷いのようなものが、Mには見えた。
密かな誘いを受けたような気がして、下半身が疼く。しかし、何事もなかったように理事長の視線がMに戻り、陰気な声で話し始める。

「例えばMの専門とする福祉。躍動し、きらめいていくべき街に、死を待つばかりの老人が混在しているのは自然な状態だが、秩序とはほど遠いものなのだ。速やかに、新しい秩序を街に持ち込むべきだ。失われていくものは失われていくもので効率的にまとめ、創造するものは創造するもので効率よく一つにまとめ上げる。それが秩序というものだ。良くデザインされた秩序はそれ自体で文化になる。音楽のように美しい」
「具体的に言うと、特別養護老人ホームを組織的に建設して高齢者を収容し、巨大な病院で効率よく終末医療を提供する。残ってしまった者には訪問介護の手を差し伸べながら都市の再開発を進める。激変する環境に耐えられない者は逐次施設に収容していき、活力ある産業と創造的文化が花開く環境を整備する。そうすれば、超高齢化社会に続く疲れ切って混迷した社会を、いち早く効率的に乗り切ることができる、ということかしら」
「色気のない言い方だが、目に見える部分としては間違っていない。新しい秩序を作るべきなのだ。コスモス事業団には、その力がある」

「身勝手な独裁者の言い分と、どこが違うのですか」
「秩序とは美しいものなのだ」
「昔、ファシズムも美を賛美したと聞かされています」
「ことの渦中にあると全体が見えにくくなる。美を求めて、厳正なデザイン力を養うことは大切なことだ。何よりも、このままでは済まないことを認識さえすれば、現代人に残された手法は効率を求めることしかない。次世代に夢を託すようなお伽噺は、誰も信じはしまい」
理事長は時代の責任を一身に引き受けるかのように断言した。しかし、世界は覚醒した者のみで成り立っているわけではないと、Mは思う。

「でも、理事長は効率を信じ、秩序を求めている。現代のお伽噺のように」
「Mは何を信じているのだ」
理事長の視線が真っ直ぐMの視線を捕らえ、厳しい声で尋ねた。
Mの視線が足下に落ちる。
Mは信ずるに足りる何物も持っていない。対処療法と笑われそうな生き方しかしてこなかった。しかし、効率という有無をいわせぬ価値観を振りかざして、人をないがしろにしようとする驕りを許すわけにはいかないと思う。
「何も信じていません」
静かな声で答えた。
今度は理事長の視線が床に落ちた。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

最新記事
カレンダー
04 | 2011/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
free area
人気ブログランキングへ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR