2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2.母子(1)

Mと進太はアパートの南側にある鉄の階段を並んで降りた。Mはサマーウールのアイボリーのスーツを着ている。胸元からのぞくブルーのシャツが、厚く垂れ込めている雲に明るく映えた。二人は北側の市道に回る。アパートの部屋は二階にしかなく、一階は道路に面してガレージになっていた。人が階段を上り下りして暮らし、一階には自動車が収まる。車なしでは暮らしにくい地方都市らしいレイアウトだった。

一番端の駐車スペースに真っ赤なMG・Fが止まっている。祐子から無理やりプレゼントされた車だったが、年式が古くなった割に走行距離は短かった。コスモス事業団の理事長の遺産の中でも、しょせんMしか使わなかった車なのだ。ありがたく使うことにしていた。黒い幌を巻き上げ、MG・Fをオープンにしてエンジンをかける。バックで右に曲がって路上に出たところで助手席に座る進太を見た。不審そうな目をしている進太のアパートは逆方向だった。胸の中で大きく溜息をつく。再びガレージに鼻先を突っ込み、逆にバックする。会社と反対方向に向かうことがおっくうでならない。嫌な予感がまた心をよぎる。思い切りアクセルを踏み込むとエンジンが吼え、鋭い加速感に全身が震えた。やっと平静な気分に戻れそうなところで進太のアパートに着いてしまう。道路の右端に駐車して、仕方なく路上に降り立つ。すぐ目の前がコンクリート造りの平屋のアパートだった。道路に面した壁面にドアが五つ並んでいる。古ぼけているがMの部屋より間取りは広い。2LDKのゆったりした造りだ。

「ただいま」
進太がドアを開き、小さな声で呼び掛けた。先ほどまでの元気がどこへ行ってしまったかと、いぶかりたくなるような陰鬱な態度だ。玄関の奥から返ってくる声はない。開いたドアに手を掛けたまま、進太が首を回してMを見上げる。今にも泣き出しそうな怯えた目だ。消え入りそうな声でMに訴える。
「お願いM、一緒に入って」
そのまま回れ右をして帰りたい気持ちを押し殺して、Mは進太の開けたドアから玄関に入った。

「こんにちは。睦月、お邪魔するわね」
ことさら明るく声を掛けた。
玄関から延びた短い廊下を渡って奥のリビングに向かう。Mの後に続く進太は、他人の家に忍び込んだように足音を殺している。藍染めの大きな暖簾を開けてリビングに踏み込むと、西側にキッチンを配した十畳の部屋が一目で見て取れた。南向きの掃き出し窓を背にして、睦月が食卓の椅子に座っている。テーブルの上にはコンビニエンス・ストアーの弁当が二つ並んで置いてあった。眉を吊り上げた睦月の視線がMの身体を突き抜け、背後の進太を見据えている。険悪な雰囲気が部屋中に満ちた。

「進太。朝から無断で出歩いて、人の背に隠れて帰ってくるのか」
鋭い怒声が部屋に響いた。Mの背に張り付いた小さな身体が震える。
「ママ、遅くなってごめんなさい」
観念したように身体を固くした進太がMの前に回って、うつむいたまま小さな声で謝った。
「さあ、早く手を洗ってらっしゃい。ママと一緒にお昼にしよう」
進太の姿を見た睦月の顔が急にほころび、明るい声で言った。
上目遣いに、食卓に載った弁当を見た進太の表情が歪む。Mの目の下で小さな肩先が震えた。二つ並んだ弁当はスパゲッティ・ミートソースだった。
「一人暮らしのMの家にいたんじゃ、お腹が空いたでしょう。早く食べよう」
うつむいたまま立ちつくす進太を訝しそうに見つめ、再び睦月が優しい母を演じる。Mに縁のない家庭の雰囲気を誇っているのだ。

「ママ、僕、お腹が空いてない」
消え入りそうな声で進太が答えた。緊張して怒らせた両肩がブルブルと震えている。一緒に立ちつくすMも居たたまれなくなる。
「睦月ごめんなさい。私がお昼をつくって食べさせてしまったの。進太は満腹で、とても食べられないはずよ」
進太に代わって答えたMの顔を睦月は見ようとしない。優しさを装った顔が途端に険悪になった。
「進太、自分で答えなさい。ママは進太のために無理をしてお弁当を買いに行ったのよ。あなたの好きなスパゲッティを選んだわ。ママの気持ちがこもっているんだから、少しでも食べなさい」
無理強いされた進太の全身が硬直し、うつむけた首を横に振った。
「何を食べたのよ」
再び睦月の怒声が部屋に響いた。
「スパゲティ・ミートソース」
進太の掠れた声が終わらないうちに睦月が立ち上がった。食卓のスパゲッティのパックをやにわにつかみ、進太に向かって力いっぱい投げ付ける。透明のセロファンでラップされたスパゲッティのパックが進太の薄い胸にあたり、貧相な音を立てて床に落ちた。

「進太、そんな身勝手はないでしょう。ママの愛情をないがしろにするなんて許せないわ。懲りるまで罰します。こっちに来て裸になりなさい」
意外に冷静な睦月の低い声が響いた。固く唇を噛んだ進太の身体から急に緊張が解ける。罰が決まれば後は耐えるしかない。肉体を襲う痛苦を耐えることに慣れきった進太の態度がMには悲しい。母と子の異常に緊密な時間がMの目の前で始まるのだ。この場を引き上げるきっかけをMは必死で探すが、隙を見せる睦月ではない。うつむいたまま一歩前に進んだ進太の頬に、睦月が強烈な平手打ちを見舞う。頬で鳴るかん高い音と同時に、小さな進太の身体が一メートルほど飛んで床に倒れた。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

最新記事
カレンダー
10 | 2011/11 | 12
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
free area
人気ブログランキングへ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR