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3.商談(2)

「何名様が、どこで合宿なさるのですか」
努めて冷静な声でMが尋ねた。
「十五人。いや、今回は九人。だから、余計なスタッフ業務はさせられない。僕は今回の出し物に、芝居生命を賭けているんだ。すべての役者に、肉体表現の限界まで演じさせてみせる」
宙を見つめた沢田の口から素晴らしいバスがこぼれた途端、またMの耳の底で言葉が空疎な呪文に変わる。Mの気持ちを察した極月が、沢田の話を急いで引き取った。
「沢田さんのイメージでは、煉瓦蔵の周辺のアパートや民家などに分散して宿泊したいそうです。一か月間を煉瓦蔵を中心にした地域の中で暮らすことによって、演劇のインパクトを高めたいのだそうです。しかし、この暮らしはあくまでも擬似的なもので、人為的に創作して欲しいとのことです」
沢田の希望を代弁する極月の口元がまた笑っている。地に足の着いていない話はもう懲り懲りだった。極月と沢田のどちらへともなくMがつぶやく。
「具体的に言って欲しいですね」
「私見では、煉瓦蔵を中心にした地域をホテルのような感覚でアレンジして欲しいと言うことでしょう。ビジネスホテルに泊まるより、臨場感があります」
さり気なく極月が答えた。
「そうそう、ようは離れた旅館でなく、煉瓦蔵の近くにいたいってことですよ」
うんざりした顔で三人の会話を聞いていた水瀬社長が、ぶっきらぼうな声で間に入った。

「いや、劇団員には積極的に暮らして欲しい。周辺の人と打ち解けた生活をさせたい。近くの銭湯に行かせ、商店街で買い物もさせたい。稽古の期間中は、もちろん自炊をさせる。僕が劇団員に求めるのは、表現力としての肉体なんです」
強い口調で沢田が水瀬社長の言葉を遮った。あくまでも自分独自のイメージに固執するつもりのようだ。夢想を実現できる人材などいるはずがない。派遣した人材と劇団とのトラブルが目に見えるようだ。傷がつくのが分かっていて大事な商品を派遣することはできない。だが、水瀬社長の顔をつぶすわけにもいかなかった。即座にMは、自分自身で処理することに決定した。

「お申し出の件は、ただ人材を派遣して済むこととは思えません。どちらかというと環境をコーディネートする仕事です。費用はいくらか割高になりますが、劇団合宿の環境づくりとしてお引き受けしたいですね。よろしければ私が直接担当します。ただし、人材の派遣ではないので、いつも現場に人がいるというわけにはいきません。あくまでも、九人の劇団員で一か月の稽古合宿ができる環境の整備と管理をお引き受けします。いかがですか」
「僕は賛成です。かえって自然な暮らしが楽しめそうだ。何よりもMさんが担当してくれるなら安心できる」
沢田が身を乗り出して賛意を表明した。Mに向けられた大きな目が一段と燃え上がっている。白いものが混じった長めの髪が慌ただしく揺れた。早口のバスの語尾も甘く震えていた。沢田が納得したことで、水瀬産業には何の異議もない。かえって、やっかい払いができて、ほっとしたという雰囲気さえ社長のまわりに漂っている。今日の案件はすべて終了した。和やかな表情で席を立った三人をMは玄関へと見送る。

シーマの横で水瀬社長と短く言葉を交わしていた極月が戻ってきて、Mの横に立った。
「今日の仕事は終わったわ。社長の許可をもらったから、私はMと一緒に帰る。いいでしょう」
Mの都合も聞かずに極月が一方的に言って、走り出したシーマに頭を下げた。Mも慌てて頭を下げる。後部座席に座った沢田が無遠慮にMの全身を見つめていた。

「沢田って男、変わっているでしょう」
バイパスをしばらく走ってから、助手席の極月がMに声を掛けた。ずっと黙っているMの態度に、さすがの極月も気詰まりになったらしかった。
「あなたたちが連れてきたお客よ。私に押し付けておいて、変わっているもないもんだわ」
「Mに叱られるゆえんはないと思うわ。少なくとも、一か月で延べ九十三人の人材を派遣できる客を紹介したのだし、客の中には変わった人がいても不思議はない。私は、私の印象を確かめたかっただけよ」
Mのなじる言葉に極月が冷静に答えた。相変わらず明快な性格が今のMには新鮮に映る。ねちねちと絡みついてくる睦月とは正反対だ。この後待ち構えている睦月との対決の前に、極月に会えてよかったと心から思った。話し掛けられるまで黙っていたことが悔やまれてしまう。Mは素直に兜を脱いだ。

「そうね、私にも変わった人に見えたわ。沢田さんのことを、詳しく教えてちょうだい」
普段どおりのMの声を聞いて、固くなっていた極月の体がほぐれる。リラックスした答えがオープンにした車窓から流れていく。
「沢田正二、五十歳。劇団・真球の主宰者で演出家。旧財閥の御曹司の外孫で資産に恵まれているわ。これまでに国際演劇祭で五回の入選歴があり、今回は満を持してグランプリを狙う。実際はこんなことしか知らないの。ごめんね、無責任かな」
「どんなジャンルの演劇なの」
「アヴァンギャルドよ」
「なに、それ」
「知らないわよ。本人がそう言ったわ。前衛かなんかじゃないの。ヌードも出るそうだから。詳しいことはMが直接聞いてよ。きっと、うんざりするほど解説してくれるわ」
極月の無責任な声が、暮れかかったような暗鬱な空に消えていった。まだ四時を回ったばかりなのに、スモールランプを点灯した対向車も目立って増えてきた。季節が冬に戻ったような天気だが、気温だけがやけに蒸し暑い。水瀬川に架かる大橋を渡りきって市街地に入り、織姫通りに合流する信号でお定まりの渋滞に巻き込まれた。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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