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5.遠すぎる少年時代(1)

Mは一週間振りに、街へ続く渓谷沿いの道を下った。午後の日はすでに山陰に落ち、強い山風が路上を渡っていく。
オープンにしたMG・Fの後部から冷たい風が巻き込んでくるが、強力なヒーターのお陰で足下は熱いほどだ。冷気を十分に浴びた頭が、これからの予定の検証を迫る。
この市での予定滞在期間はもう終わろうとしていた。だがMに、都会に帰る気持ちはない。身を切り裂かれるようにして迷う、理事長を置いて帰る気にはなれなかった。

初めて理事長を訪問した日以来ずっと、Mは山地のドーム館で過ごしてきた。
忙しい理事長はそれでも夜毎、Mとの官能の時を過ごしていた。その理事長が、全身に押し寄せる激しい痛みを訴えたのは、二日前のことだった。
「こんな紛い物の部屋は、もううんざりだ。近々チハルの生家の鋸屋根工場に移る予定だ。一世を風靡した機屋の工場で、私はコスモスの指揮を執る。無駄に思える寄り道と、冷徹な効率とのせめぎ合いの謎も解明しておかねばならない。新しい文化の創造には効率が不可欠だ。だが、Mと過ごした官能の時間が、無駄であったとは思えない。しかし、効率的な官能などといえば、Mに笑われるだろう。見極めは難しい。私があやふやなままでは、効率を優先させた計画の発動など、とてもできはしない。自動的に走り出してしまった組織の恐ろしさは、私が一番よく知っている。無駄と思えたものはすべて、惜しげもなく圧殺してしまうだろう。困ったことだ。それにしても全身、痛みがひどすぎる。Mと居るときだけが安らぎだった。最期まで見届けて欲しい」

何物かに追い立てられる口調で、理事長は訴えたのだ。転移した癌が暴威を振るいだしたのだとMは思う。しかし、理事長はMとの官能の体験から、社会改造の計画を変えるかも知れないのだ。それは当然コスモス事業団の方向を左右する。Mは、個人として迷う理事長を見放すわけにはいかなかった。

人の苦痛を官能が癒すと言い切った、ピアニストとナースの言葉が脳裏を掠めた。しかし、Mは大きく首を振って否定する。Mがしていることは、組織的に計画された仕組みの中でのことではない。効率などは求める余地もなかった。理事長という個人とMという個人が、それぞれの責任と人格で歩み寄って官能を求め合っただけだ。決して癒しを求めたわけではなかった。

様々な思惑がMの周りから押し寄せてきそうな予感がする。そして今、Mは歓楽街へ向けてMG・Fを駆っている。
あの修太が鉱山の町を離れ、昨日からチーフの部屋に泊まっているのだ。修太がMに会いたがっているというチーフからの連絡を受けて、サロン・ペインを訪ねないわけにいかなかった。
理事長との密度の高い時間だけを生きるには、もうMを巡る関係は煩雑に過ぎていた。三十五年間の歴史が、Mをがんじがらめにしようとしているのだ。


「今晩は」
元気良く声を掛け、Mはサロン・ペインの自動ドアを通った。
「いらっしゃい、M」
カウンターの中から笑顔で応えたチーフは、相変わらず白い半袖シャツを着ている。今夜は赤いスカーフを首に巻いていた。時間が早いせいか、カウンターに座った小柄な男以外に客の姿はない。男というより、壁に張った大鏡に映った顔は少年のようだ。髪を短く刈った頭の下で、端正な顔立ちが目立つ。ドングリ眼と呼びたいほど大きな目と、小さく通った生意気な鼻筋に、微かな見覚えがあった。

「修太、」
小さく呼び掛けると、少年がスツールを回してMの方を向いた。涼しい目元が寂しそうに揺れる。
「今晩は、M。大きくなっていないのでびっくりしたろう。俺は身長が百五十九センチメートルしかないんだ。Mの背はどのくらいあったっけ」
探るような目をした修太のコンプレックスが、痛いほどMの胸に響く。あんなに陽気で腕白だった修太が、思春期のまっただ中にいるのだ。思わず目頭が熱くなってしまう。

「大きくなったじゃない。見違えてしまった。人の大きさは身長で計るものじゃないわ」
「Mの身長はいくつ」
苛立ちを込めた声で、修太が再び訊き返した。
「私は百七十センチメートル」
「いいよな。Mは国際サイズだもんな」
吐き捨てるように言った修太はスツールを回し、また背を向けてしまった。修太の苛立ちがMに移ってくる。六年振りに会った修太は、身長の話しかしない。たとえ、難しい年頃だとしても聞き流せることではなかった。
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アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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