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7.鋸屋根工場に語る(2)

黙ったままの祐子の目に、広々とした空間が映っている。床に並んだ十脚ほどの布張りの椅子も、奥に置かれた大きな机も、机の横の電動ベッドも皆、この空間では不安になりそうなほど小さく見える。まるで空間が中にいる人間を脅迫してくるようだ。
「怖いわ。一年前にチハルが案内してくれた工場とまるで違っている。あれほど温かくて、優しかった空間が消え失せてしまった。取り去った織機の跡だけが整然と残る、あの懐かしく悲しかった空間が見当たらない。古い温もりが、新しい環境に呑み込まれて悶えているような感じがする」

「ごめん。突然見せたから、祐子は戸惑っているだけだよ。鋸屋根工場の外観は何も変わっていない。エアコンだって壁の隙間に付けた。内装が変わっただけだよ。理事長がコスモスに命じて改装させたんだ。黙っていて悪かったけど、理事長に過分な金額で工場を買い取ってもらったんだ。お陰で母も都会の兄の元に行けた。理事長が工場を使うのも、作戦本部を置いている間だけだ。長くとも来年いっぱいさ。その後はまた、私が自由に使っていいことになっている。祐子は心配しなくていい」
チハルが慰めるように説得したが、祐子の視線は怯えたように空間を泳ぐ。最前まで星空が広がっていた北向きの長い窓に、醜く反射したライトの光が不吉な予感さえ運んでくる。

ようやく上がってきた室温にも関わらず、祐子の背を寒い風が撫でていった。
「さあ、仕事をしよう。祐子は理事長のベッドをメイクしてくれ。私はピアニストが用意したはずの医療器具を運び込む」
気分を変えるように大声で言ったチハルが、入り口の横にある小さなドアを開けて隣の棟に向かう。開かれたドアから凍り付きそうな冷気が入り込んだ。急に襲った寒さにぞっとして、祐子が首をすくめてのぞき込むと、今いる棟の二倍はある寒々とした空間が、天井から吊られたちっぽけな裸電球の光を浴びて広がっていた。右手に見える真新しい建材で造られた方形の突き出しが異様だったが、煤けたコンクリートを打ちっぱなしにした、懐かしい空間が残っている。織機の置かれてあった土台だけが一列に規則正しく並び、そこここに古ぼけた調度が転がっている。涙がこぼれそうなほど悲しく、乱暴な、人の温もりが冷気の中に感じられた。

「寒いから祐子は入らないでいい。早くベッドメイクを済ませてくれ」
古ぼけた木のテーブルから、銀色に輝くステンレスのコンテナを下ろそうとしたチハルが、手を止めて祐子を振り返って言った。
「私も手伝う」
大声で応えた祐子の声が、石の壁で囲まれた空間に美しく反響した。
急ぎ足で駆け寄る祐子の全身を冷気が包み込む。吐く息が白く染まった。チハルが両手で抱えたコンテナの右端を祐子がつかみ、二人で協力して重いコンテナを床に下ろす。

「時間がなくて、こっちまで改造できなかったんだ。でも広々と使える」
弁解するようにチハルが言った。
「前の工場が残っていてほっとしたわ。私はここを使いたいな。石の壁が気持ちを落ち着かせてくれるわ。それにしても寒い」
「祐子の好きでいいけど、冬だけは改造した棟を使った方がいい。そこに石油ストーブがあるけど、火の当たっている所しか温かくならない。背中は凍り付きそうなほどだよ。まるで牢屋だ」
チハルの明るい声が響き渡った。底に車輪を付けたコンテナを転がして部屋に向かう。段差のある床をコンテナを持ち上げて越え、二重になった戸とドアを急いで閉めた。

「参った。せっかく暖めた部屋が台無しになった」
大声で笑ったチハルが、そう言いながらもライダースーツを脱ぎ、真っ白なコスモスのユニホーム姿になった。手元のリモートコントロールで確認した室温は、十一度ある。祐子も赤いダウンジャケットを脱ぐ。ブラックジーンズの上に着た大きめの黒いセーターがよく似合っていた。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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