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7.鋸屋根工場に語る(5)

「お待たせしました」
場違いなチハルの口上に続いて、理事長が姿を現した。ノーネクタイの白いシルクシャツの上に、アイボリーのシルクジャケット、パンツは黒のシルクといった絹づくめの装いだった。絹織物を織っていた鋸屋根工場にいるからといって、いささか悪趣味だと思ったが、Mもシルクニットを着ていた。苦笑が口を突いてしまう。
「M、今夜は初めて会う若い人が二人もいる。前からの友人も大切にしたいが、ご承知の通り、新しい人たちに夢を繋ぐのが私の楽しみなのだ。それほど残されてはいないMと過ごすための時間を、新しい人に割いてやりたいのだが、許してはくれないだろうか」
「私には理事長を独占する権利はないわ。どうぞ決断のままにしてください」
Mは即座に理事長に答えた。うまくこの場を取り仕切ったものだと思うが、決してチハルの入れ知恵ではないと思う。これは理事長の決断なのだ。多くの人たちの気持ちを踏みにじっていく機関車のレールが、鋸屋根の下に集まった人たちの手で、もうじき敷かれ始めるのだろうとMは思った。

チハルがドアを大きく開け放ち、Mの帰りを促す。
「ドアは開けなくてもいい。Mは帰りたくなったらいつでも勝手に帰ってくれ。わがままな言いようだが、必要なときに来てもらいたいのだ。できればしばらくの間、ドーム館にとどまって欲しい」
言葉が終わらないうちに、ピアニストが修太と連れだって理事長の前に進んだ。
「理事長、この少年は修太といいます。鉱山の町に住んでいますが、来春には工学部に進み、都市工学を専攻する予定です」
ピアニストの言葉を聞いた理事長の顔が、思わずほころぶ。
「修太です。新しい都市文化を創造するというコスモス事業団の主張に共感し、信じます。できる限り手伝います」
「コスモスは若い力を信じるし、必要としている。未来は君たちが造るのだ。思う存分コスモスを利用するがいい」
毅然とした理事長の言葉が響き渡ると、修太の頬がポッとピンクに染まった。

ピアニストと競い合うように、チハルが祐子を促して前に進む。
「いつも理事長に話していた祐子です。テキスタイルデザイナーになって、ここから文化を発信するのが夢です」
「祐子です」
恥ずかしそうに答えた祐子の全身に、理事長の視線が流れ、顔で止まった。
「君が祐子か、美しい。チハルが言っていた通りだ。夢の実現を信じているんだね」
「いいえ理事長、夢を信じているだけです」
即座に帰ってきた祐子の答えに、黙ったまま理事長がうなずく。
理事長の口元に、深奥から込み上げてきたような苦悩を、Mは見た。

そう、夢の実現など信じられなくて当たり前なのだとMは思う。信じられるとすれば、夢自体の存在しか有り得なかった。
Mは立ち上がってドアを開けた。そっと身体を通路に出して、後ろ手にドアを閉める。そのまま振り返りもせず、広い通路を玄関へ向かった。
広い空間を歩く自分の身体は、酷くちっぽけだとMは思った。そして恐らく、どこにいても人はちっぽけなはずだった。

驕りだけが、人を大きいと見誤らせる。
ドーム館へ戻ろうとMは思った。
もう、それほどの時間が残されていない理事長の希望に、添えられるだけのことはしたいと思った。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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