2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

7.父の妄執(1)

「漁港と方角が違うよ」

朝市の準備に追われる商人たちの間を縫って、空港の方角に歩く祐子の背に晋介が呼び掛けました。
「漁港は公設で、部外者は立入禁止なの。霜月は仕事が終わった後、浜辺の桟橋に来てくれるのよ。それに、あなたに一緒に来てくれとは頼んでないわ。好きにしてくれていいのよ」
僕たちを振り返った祐子が、にべもなく答えました。ようやく明るくなってきた空が、祐子の厳しい表情を青白く染めています。
風向きが変わり、きつい潮の香りが鼻先を掠めました。横にいる晋介が肩をすくめます。くちごたえを呑み込むように息を吸い込み、足を早めて祐子を追い抜いていきました。首から吊ったライカが左右に揺れています。

「晋介が邪魔なら、そう言えばいいじゃないか。陰険な態度はみっともないよ」
祐子に並んで非難がましく注意しました。
「それは、進太がすることでしょう。昨日会ったばかりの子を、どこにでも連れてくるのは非常識よ」
明解な答えが返ってきました。祐子の言うとおりです。応えることができませんでした。黙ったまま歩き続け、祐子の言い分を反芻してみました。
確かに、僕が晋介を連れてきたのです。暗黙のうちに同行を期待し、熱望したような気さえします。これから会おうとしている霜月は、祐子の懐かしい同級生というだけではありません。死にたいと呼び掛けた祐子に青酸カリを売った、弥生の父の身近に暮らしているのです。今朝の訪問が僕たちに、どんな不測の事態を招き寄せるか分かりません。異常な展開が待ち受けていると思うのが普通でしょう。そして、祐子と同じ地平で暮らしてきた僕には、異常事態の発生に冷静に対処できる自信がなかったのです。
危険な予感が現実になったときに、頼れる保険が欲しいと願っていました。そこに、エネルギッシュでパワフルな、ニュートラルな存在として晋介があらわれたのです。頼りたくなるのは必然でした。そして、祐子も、僕と同じような予感を抱いているはずです。しかも、その実現を望んでいる。でも僕は、そんなことはまっぴらです。


海沿いの堰堤をしばらく歩いてから、運河を渡りました。
四車線の埃っぽい道路を横切ると、右手に大きな砂丘が広がっています。祐子が先頭に立って、ハマナスが植栽された砂丘を上っていきます。要所要所に写真を散りばめた霜月の案内図を、インターネットのメールで受け取っている祐子の足は、初めての土地でも自信たっぷりです。

小高い頂から見下ろした正面に、穏やかな海が広がっていました。狭い入り江は、海水浴場のように砂浜になっています。左手の山から顔を出した朝日が波頭で反射して、海面の至る所で輝いています。美しい景色でした。人影一つない、孤独な海です。
「霜月の船だわ」
歌うような声で、祐子がつぶやきました。入り江の右端から伸びた長い桟橋の先に、小さな漁船がもやっています。ヨットほどの大きさもない船は、広い海で頼りなく揺れています。舷側に並んでぶら下がった集魚用のランタンが大げさで、滑稽に見えます。
「ちっぽけな船だね」
晋介が、僕の気持ちを言葉にしました。
「イカ釣り船はあんなものよ。さあ、いきましょう」
根拠もなく断定した祐子が、走るようにして砂浜に下っていきます。僕と晋介は足下に注意して後に続きました。きれいに見えた砂浜は、至る所にゴミや産業廃棄物が投棄されていたのです。古タイヤや錆びた自転車、古雑誌、マットレスの他に小型の冷蔵庫までありました。汀には、朽ちてしまった古い桟橋の杭が放置されています。二本並んだ杭の列が沖に続いている様は、無惨な眺めでした。

「祐子、来たのか」
波の音に混じって、野太い声が浜辺に響き渡りました。初めて聞く霜月の声です。桟橋の先のイカ釣り船に、大きな人影が立っていました。
意外に身軽く桟橋に飛び移った男が、しきりに手を振っています。祐子も手を振って桟橋に駆け上がりました。僕たちもつられて足を早めます。板を連ねた桟橋は、かろうじて二人が並んで渡れる広さでした。三十メートル先で、祐子と霜月がうれしそうに抱き合っています。抱き上げられた祐子の足先で、白いサンダルが揺れています。

霜月は、レスラーのような体躯のおじさんでした。同い年の祐子がおばさんに見えないのですから、三十歳を過ぎた大人の対比は微妙なものです。重ねてきた年輪の大きさが残酷に映りました。晋介が素早くライカを構え、連続してシャッターを切りました。今日のレンズはエルマー90ミリです。

「海をバックに、いいコントラストだ。もらったね」
耳元で、晋介の興奮した声が響きました。思わず問い返します。
「美女と野獣ってことかい」
「違うよ。進太さんは古すぎる。性のコンポジションだよ。二人とも、いい味をだしていた」
もどかしい素振りで否定されてしまいました。ものを見るセンスを軽んじられたような気がしました。そっと目をつむって、二人の抱擁の瞬間を思い浮かべてみます。どこにも性的なものは感じられません。逆に、微笑ましいほどの幼さが目立っていました。牧歌的な構図です。
「どこが性的なんだい」
とぼけた質問をしたみたいです。晋介の足が止まってしまいました。
「崩壊を待つ喜びの予兆。性そのものじゃないか」
怒ったように晋介が答えました。突然聞く難解な言葉が、頭の芯に突き刺さりました。他人の考えていることは、本当に分からないものです。僕はあきれて、正面から晋介の顔を見つめてしまいました。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

最新記事
カレンダー
03 | 2012/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
free area
人気ブログランキングへ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR