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7.父の妄執(5)

砂丘と山に挟まれた高台に、校長さんの屋敷はありました。弥生の生家です。桟橋から歩いて、十分の距離しかありません。浜から見通せる位置にありますが、海に向かって植えられた樹木が平屋の屋敷を山に紛れさせていたのです。
縁側からは、樹幹越しに入り江が望めました。雪に覆われた冬の海炭市を知らない僕には快適な住居に思えます。案内してきた霜月は、夕方の出航まで一眠りすると言い残して裏の離れへ去って行ってしまいました。足がふらつくほどの酔いでは文句も言えません。
広い座敷に、僕たち三人が取り残されました。しっかりした建材を使った豪奢な造りの部屋ですが、山地の屋敷に比べると天井が低く、窓も狭いような気がします。きっと、冬の寒冷が、その様な造りを強いているのでしょう。過酷な風土がしのばれます。

部屋の中央に、どっしりした樫材の座卓が置いてありました。卓の上には大きなクリスタルの灰皿と卓上ライターが載っています。晋介が煙草を吸い出しそうで心配です。
床の間の席を開けて、三人で座りました。古い屋敷は人に緊張を強います。三人とも背筋を正して、じっと襖が開くのを待っていました。しかし、弥生のお父さんは、意に反して海の方からやってきました。
縁側の前に立った校長さんは背が高く、知性的な物腰の人です。七十歳近いとは、とても思えません。端正で柔和な表情をしていました。祐子に青酸カリを売った人物のイメージからは、遠く外れています。

「皆さん、遠くからよくおいでになった。弥生の父です。娘が喜ぶので、校長と呼んでください。さあ、堅苦しい挨拶は抜きにして、さっそく弥生の生地をご案内しますよ。十分しのんでやってください」
縁先に立ったまま、校長さんが呼び掛けました。長年教師を務めてきただけあって、人を逸らさない、よく通るバリトンです。しかし、初対面です。座敷に座った僕たちの方が面食らってしまいました。

膝をただして、丁寧に頭を下げて名乗りを上げる祐子をまねて、僕と晋介もぎこちなく挨拶しました。校長さんは笑顔でうなずいて庭に誘います。さすがにネクタイはしていませんが、薄茶の背広を着た長身は貫禄があります。右手に持った、赤い灯油缶が不似合いでした。
「お言葉に甘えさせていただきます」
校長さんのペースに巻き込まれたように祐子が答え、立ち上がって庭に下りました。どことなく慌ただしい雰囲気が気に掛かりましたが、僕たちも後に続きました。

「重そうですから、お持ちしましょう」
僕は、十八リットルの灯油缶に手を伸ばして、声をかけました。夏に向かって、まだ灯油が必要なのかと思いましたが、老人に重い荷物を持たしておくわけにいきません。
「いや、これは必要になったら使うものだよ。持ち歩くことはないんだ」
笑顔で答えた校長さんが、灯油缶を縁側に置きました。
「さあ、出掛けましょう。狭い地域だから、すぐ回れますよ」
校長さんの号令と共に、三人で後に従います。まるで小学校の遠足のような雰囲気です。でもこれは、弥生の生地を訪ねる巡礼の旅なのです。足が重くなってきます。

弥生が生まれ育った集落は、完璧に荒廃していました。昆布漁の網元をしていた分限者の生家だけが、かろうじて残ったと言っても過言ではありません。細道の辻々に廃屋が取り残されていました。山地や鉱山の町で見慣れた光景と同じでした。失われてしまった暮らしのにおいだけが、通り過ぎる者の心を圧迫するのです。そんな僕たちの気持ちにお構いなく、校長さんはユーモアたっぷりに、弥生の幼少時のエピソードを解説します。

春を待って裸足で遊び回ったという海浜、名もない草花を愛でて摘んだという草原、そして吹雪かれたあげくにたどり着いたという社。集落から続く通学路を僕たちは歩きました。長い長い道のりです。岬に連なる低い山並みの頂上に出てしまいました。
「ほら、あれが弥生の通う学校だよ」
校長さんの声が響きました。
目の下に広大なキャンパスが広がっています。十一階建ての鉄筋コンクリートの校舎が目を圧しました。もう、説明など要りません。霜月の言っていた、私立の工業大学に相違ありません。木造の小学校を予想していた僕たちの期待は、見事に裏切られました。幼い弥生が唐突に消え失せ、あり得たかも知れない校長さんの夢が立ちあらわれたのです。全身に疲労が立ちこめます。

「弥生が生きていたら、教授になっていたかも知れないのね」
しんみりした声で、祐子がつぶやきました。
「そう、夕方にならないと帰らない。屋敷に戻りましょう」
校長さんが自慢そうな声で答えて、僕たちを促しました。
正午を回った日の光がまぶしいくらいですが、まるで白日夢を見ているようです。背筋がぞっとしました。夕日に染まって大学から帰ってくる、血のように真っ赤な弥生の姿が目に浮かびました。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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