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7.父の妄執(6)

屋敷に戻ってからも、校長さんの思い出話は続きました。
霜月が、十年間続けても尽きない話題だと言っていたのは、本当のようです。穏やかな表情で語る話は、聴く者を惹きつけます。さすがに長年の教諭生活で磨いた話術でした。けれど、僕たちが一番聞きたい青酸カリの話が始まるまでには、百年も待たなくてはならないような感じです。しきりに苛立ちが募ってきました。いつの間にか、日も傾きかけています。
堪えきれなくなった祐子が、切羽詰まった声で口を挟みました。

「校長さん、あなたに送っていただいた薬を、五錠飲みました。でも、運悪く、死ぬことができません」
いきなり核心に迫ったのです。しかし、校長さんはたじろぎません。なに食わぬ顔で僕たち三人の顔を見回しました。大きくうなずいてから、さり気なく口を開きました。
「皆さん、遠くからよくおいでになった。あいにく弥生が留守で申し訳ない。駅まで見送りに行くこともできません」
あっさりと、僕たちに辞去を促したのです。これでは子供の使いにもなりません。僕は慌てて身を乗り出しました。
「校長さんの思いは、もう十分分かりました。次は、祐子に青酸カリを売ったときの気持ちを聞かせてください。僕たちは、現実の話をお聞きしたいのです」
思わず声が高くなっていました。校長さんが大きく目を見開きました。穏やかだった表情が消え失せ、剣呑な色が浮かんでいます。

「これまで話したことが現実だよ。皆さんは、なぜ納得して帰ろうとしないのだろう。弥生の美しい思い出だけを抱いて帰ることもできるのに、押し殺していた憎しみに、わざわざ油を注ごうとする。因果な人たちだ。それなら、敢えて答えてやろう。薬を売ったのは、死に急ぎたいという馬鹿者を殺したかったからだ。当然、代価はいただく。あいにく弱虫すぎて死に損なったらしいから、もう一錠売ってやってもいい」
苦い物を吐き出すように、校長さんが答えました。見開いた目に憎しみが溢れています。隣りに座っている祐子の肩が、ぶるぶると震えだします。

「でも、でも、私の悲しみを理解してくださったから、だから、薬を譲ってくれたのでしょう」
校長さんの変身を認めたくないように、祐子が未練たっぷりの声で言いつのりました。上擦った声です。
「何を言う。お前ごときに、一人娘に先立たれた親の悲しみが分かるか。死にたいのは私で、けして、お前ではない。死ぬに死ねずに、悲しみの極まりに沈んだ私に、勝手な世迷いごとを送り付けて死を願うとは、何様のつもりだ。有り余る憎しみを抑圧し、やっと弥生と生きられるようになった私の平穏を乱すことなど、だれにも許さぬ」
祐子を睨み付けて答えた声は、冷え冷えとしていました。校長さんの心の中で保たれていた平穏と憎しみのバランスが、一挙に崩壊していく予感がしました。ひょっとすると、この日が来るのをひそかに待ち望んでいたのかも知れません。凍てついた声の底に、暗い喜びの響きが混じっています。

僕の喉元に、祐子に警告しようとする、声にならない叫びが込み上げてきました。しかし祐子は、なおも声を振り絞って、校長さんに理解を求めました。
「分かるわ。分かります。私も、大切なものを失い続けてきたのです。愛をなくし、友情をなくし、自分の分身として夢を繋いだMさえ、私を置いてどこかへ行ってしまいました。もう、生きる希望がない。だから、だから青酸カリを送ってくださったお父さんに会いに来たのです。どうぞ、死の希望を与えてください」
縋り付かんばかりに訴えた祐子を、校長さんは蔑んだ目で見据えました。腹の底に溜まっていた言葉を吐き出すように、背筋を伸ばして口を開きます。

「どうやら、十五年間耐えてきた憎しみを解き放つ日が来たらしい。だが、こんな愚か者が私を救いに来るとは皮肉なものだ。私はお前が話していたMも、ピアニストのこともよく知っている。死の直前に弥生が送ってきた手紙に、すべてが書かれていた。弥生はMの友情と、ピアニストの愛に包まれて幸福だと告げていた。その幸せに殉じたいと、希望を書き連ねていたんだ。残酷なことだ。父を捨て、よこしまな希望に殉じるというのだ。何が幸せだ。そんなものはこの世にない。ひたすら生きる、人の営みの異称が幸せという言葉だ。この海炭市で、私と二人で生きる限りは無縁なものだ。死の知らせを聞いた私の全身を、憎しみが覆った。そう、悲しみや悲哀でなく憎悪だった。憎い、本当に憎い。幸せという絵空事が、弥生の生を奪い去った。私も死にたかった。しかし、溢れんばかりの憎しみを抱いては、とても人は死ねるものではない。私は弥生の元へ行くこともできず、憎しみを圧殺して追憶と共に生きる道を選んだ。いや、それしか道がなかったのだ。十五年を経て、平穏を装いきったと思ったとき、愚かしい便りが届いた。安っぽい死への感傷を訴える、お前の言葉が引き金を引いた。封印してきた憎悪の琴線を切断したんだ。死にたい奴は殺してやる。だから、金を取って青酸カリを送ってやった。ひと思いに死ねばいいのだ。それが、死に損なったあげくに、今度は私に会いに来るという。とんだ大馬鹿者だ。それでも、平穏に帰ってもらおうと努めていたのに、お前たちは、積もり積もった私の憎悪を足蹴にした。絶対に許さん」
全身から放射された憎悪が、僕たちを凍り付かせました。祐子の顔面が蒼白になり、唇がわなないています。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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