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8.海辺の情景(1)

今朝見たときと、海はまるで変わっていました。
連続して沖から押し寄せる波で、狭い入り江はラッシュアワーのようです。斜光を浴びた波頭が海面の至るところで重なり合い、黄金色にきらめいています。次々に波が砕け、潮の飛沫が虹色に染まりました。桟橋の先にもやった霜月のイカ釣り船が、激しく上下動を繰り返しています。
浜に立つと、絶対的な潮の圧力が怒濤となって打ち寄せて来るようで、めまいがしそうになります。汀から沖に向かって続いている杭の列は、既に半数が水没してしまっていました。

日の光が乱反射する波間に、小さい人影が見えます。死を求めて海に入っていった祐子の姿です。人影といっても、かろうじて肩から先が海面から露出しているだけです。大波が押し寄せる度に、逆光になった頭が波間に沈みます。砂浜に立つ僕たちから、三十メートルほど沖に出た地点でした。

「本当に死ぬ気みたいだ。入水自殺の方が彼女にはぴったりだ」
横に並んだ晋介が感動の声を上げました。まぶしさに眉をひそめてライカを構えます。剥き出しの夕日を浴びた全身が、オレンジ色に輝いています。
「死ねやしないさ。僕にも経験がある」
思わずつぶやいてしまいました。意識したわけではないのですが、晋介の感動に水を浴びせるのに十分なほど、乾ききった声になっていました。横顔に張り付いてくる視線を妙に意識してしまいます。でも、今は恥ずかしい体験を話すシーンではありません。死のうと決意したときは、だれでも真剣なのです。たとえ知っていても、結果を告げるのは祐子への冒涜のような気がしました。僕は沈黙に耐えます。

「なぜ、死ねないのさ」
晋介が大きな声で問い掛けてきました。答えざるを得ません。
「生への本能だよ。いくら海中に潜っても、息苦しさのあまり浮かび上がってしまうんだ。何回試みても同じさ。やがて心も身体もぼろぼろに疲れ切って、虚しく水から上がってくる。その後が勝負だ。僕は改めてチャレンジできなかった。人間には、死へ向かう本能なんかないんだよ。見ていれば分かるさ」
突き放した声で答えましたが、晋介の返事はありません。神妙な顔をして打ち寄せる大波の先を見つめています。祐子の全身が水中に没しました。僕たちは息を呑んで海原を注視します。しばらく経つと、波間に裸の尻が浮き上がりました。激しい潮の流れが、破れた衣服も剥ぎ取ってしまったようです。苦しそうに身悶えした尻が再び海中に没します。すぐさま肩まで浮上して、大きく息を吸い込みました。後は、何度試みても、無惨な事実を繰り返すだけでした。残酷な眺めです。

「かわいそうだね。生きている方がよっぽど楽だ。滑稽だよ」
吐き出すように晋介が言って、視線を沖に移しました。盛り上がった水平線のすぐ上に大きな夕日が燃えています。
「でっかい夕日だ。負けたね。俺の街の夕日よりスケールが大きい。でも、一色だけだよ。変化したって、赤以外は、オレンジとパープルくらいしかないんだよ。海辺は単純なんだ。俺の夕日は違うぜ。ねえ、進太さん、違うんだよ」
賞賛の声が侮蔑に変わり、協賛を求めてきました。目の前で、必死に死に至る道を模索している祐子が聞いたら、目を丸くするでしょう。しかし、人の生き死になど、こんなものなのかも知れません。だれもが一つのことに関心を持っているわけではないのです。すぐ側で繰り広げられている生死の格闘を、簡単に相対化してしまう晋介の想像力は強靱なものです。

「あれ、もう上がってきたよ」
晋介の視線は目まぐるしく変わるようです。僕も巨大な夕日から目を落としました。オレンジ一色に染め上げられた海をバックに、黒い人影が歩いてきます。虹色の潮の泡を蹴って海から上がってきた祐子は、まるで疲れ果てたビーナスのようです。よろよろとした歩みが均整のとれた裸身に似合いません。逆光になった黒い顔の中で、見開かれた目だけが妖しく燃えています。
僕は引き寄せられるように汀に進みました。輝く後光を背負った裸身が目の前で悽愴な美を放射しています。轟々と鳴り響く波の音に混じってライカのシャッター音が連続しました。晋介の貪欲な目が一瞬のきらめきをフィルムに焼き付けたのです。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
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