2ntブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

4 渓谷(5)

次の日曜日の朝、緑化屋と町医者の奥さんが連れ立って陶芸屋のアトリエを訪ねて来た。
先週はMの救出騒ぎで、産廃処分場の問題を片付けることができなかったのだ。
緑化屋はダークスーツで身を固めていた。白いシャツの襟元を飾った、紺地にシルバーのストライプタイがまぶしい。今からでも中央官庁に出勤できるような身支度だった。これまで作業服かジーンズといった、くだけた格好ばかり見慣れていた陶芸屋の目には、改めて緑化屋の置かれた地位を知らされるようだ。

「そんなに見つめるな」
一声かけてアトリエに上がって来た緑化屋は、陶芸屋の前にゆったりと座った。
部屋の隅でつまらなそうにテレビゲームをしていた修太が、二人に挨拶もせず立ち上がり、奥の部屋に消えた。

「歓迎されてないみたいね」
つぶやくように言った町医者の奥さんが緑化屋の隣に腰を下ろす。
「先週のことを気にしているのか」
緑化屋が尋ねた。

「いや、そんなことはない」
陶芸屋は即座に答えたが、二人を前にして気まずさがないと言えば嘘になった。
「あの女の人は大丈夫だったの」
緊張した雰囲気の中で、奥さんが直截に尋ねた。陶芸屋の顔がやっとなごむ。
「ええ、元気なものです。Mっていいます。今は市に行っている」
「そう、Mさんっていうの。今も一緒にいるというのなら、あなたが乱暴をしたわけではないのね。安心したわ」
「いくら奥さんでも、怒りますよ。俺が女に乱暴するわけがないでしょう」
言ってから陶芸屋の頬が、さっと赤くなった。乱暴したのでなければ一体、俺は何をしたのだろうと思ってしまう。Mなら「好きなことをしただけよ」と涼しい顔で答えるだろうと思い。はっきり答えられぬ自分が我ながら情けなくなる。

「Mは今、産廃処分場反対のビラを作るために、市へ調査に行ってるんです。町の人たちにビラを配るそうですよ。行動的なことが好きなんです」
話題を変えようとして言った言葉に、奥さんが「まー、良く気が付くわね」と感動した声で応じた。

「町の人に、俺たちの考えを知ってもらうのはよいことだ。しかし、もう知事の許可を待っている段階だからな。やはり知事に働きかけるのが一番いい」
冷静な口調で断言した緑化屋が、手元の書類鞄を開けて厚く綴じたテキストを取り出す。
「産業廃棄物処理施設が生態系に与える悪影響と、排出水が河川を汚染する蓋然性についてまとめたものだ。今日、個人的に知事と会って渡してくるから、地元住民の反対要望書にサインをして印をついて欲しいんだ」

陶芸屋は、難しい言葉に煙に巻かれた気持ちがしたが、差し出された一枚の紙に見入った。良く読みはしないが、文末に並ぶはずの氏名が空欄になっているのは分かった。
「誰もサインしてないじゃないか」
「お前の後に俺がサインする」
「やはり、年長者の奥さんが先がいいな」
「奥さんはサインできない」
「えっ、元山地区には分校のセンセイを除けば三世帯しか住んでいないんだぜ。全員サインしなければまずいよ」
驚いて言いつのる陶芸屋の声に、太いエンジン音が重なった。車のドアを閉める金属音に続いて、玄関の引き戸が開けられた。
「ただいま」と言う、明るい声とともにMが入って来る。
「まあ、皆さんお揃いで深刻な顔しちゃって、落城前の鳩首会議みたいね。まだ、戦は始まったばかりなんだから、もっとリラックスしなければだめよ」
Mの陽気な声を無視するように、町医者の奥さんが話し始める。

「陶芸屋が言うことはもっともだと思うわ。私と孫の光男はこの地区に住んでいるのだし、産廃処分場の建設にも反対なのだから、サインするべきなのね。でも、どうしてもできないのよ。これは、亡くなった夫の遺志なの」
「先生は、あんなにこの渓谷が好きだったのにどうしてですか」
陶芸屋が反射的に聞き返した。
「確かに、町の診療所を閉鎖して、ここに住み着いたときから、私たち夫婦はこの谷が好きになったわ。でも、ここに来る前に、町では色々なことがあったの。あなたも少しは覚えているでしょうけど、鉱毒を巡ってたくさん争いがあったわ。夫は医者だったから、様々な思惑で利用されそうになったの。総合病院の初代院長にならないかという誘いもあった。でも、夫は医業以外、何一つしようとしなかったわ。医者は病気を治すことだけ考えていればいい、というのがあの人の口癖だった。暮らしについては、住んでいる人が自分自身で決めればいい。医者が影響力を行使すべきでない、ということなのね。だから、私も夫の遺志に従うことにしたの。今だって奥さんって呼ばれるくらいだもの。夫と縁が切れないのよ」
元山沢を杖を突いて散策する、穏やかな表情の在りし日の老医師の姿が目に浮かび、陶芸屋は目を伏せて黙り込んだ。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

最新記事
カレンダー
12 | 2011/01 | 02
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
free area
人気ブログランキングへ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR