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5 演奏会(2)

首に掛けたカメラを両手で握ったまま、村木は一心に駆けた。
心地よい春の宵に関わらず、全身から汗が滴り落ちる。五分間ほど走り続けて、水瀬川に架かる鉄橋まで来た。ドウドウと渓谷にこだまする水音と、弦楽五重奏の華麗な音色が混然と混ざり合う。川風に乗って、微かに甘い花の香りがした。

鉄橋を渡りきった右手に、精錬所の門が聳えている。巨大な鉄扉は細く開かれたままだった。村木は身体を斜めにして門を通り抜け、構内に駆け込む。

五十メートルほど先に演奏会場の明かりが見えた。
モーツァルトの歓喜と悲嘆のアンサンブルは高く、低く、絶えることがないように音色を変え、執拗に繰り返されている。

ほっとして辺りを見回すと、月明かりに照らされた得体の知れぬ建屋や鉄骨の櫓が、闇の中に数知れず続いている。小さな家ほどもあるガスタンクの傾いた支柱の影に回り込み、ねじ曲がった太いパイプの横に身を寄せた。照明に浮かび上がる二本の桜からは五メートルの距離だ。
誰にも悟られる事はなかったが、目の前の演奏会は村木に背を向けていた。

半円を描くように座った弦楽五重奏団の中央に恩師の背中が見える。背筋をまっすぐに伸ばし、一心にチェロを操っている。
チェロの回りに居並ぶヴァイオリンもヴィオラも皆、髪の白くなった女性たちだ。
そのうちの三人は村木の恩師だった。第二ヴィオラを操る品の良い老婦人は町医者の奥さんだ。五人の白髪に桜の花びらが舞い懸かる。

花びらは、二本の老木の間に全裸で吊されたMが悶える度に、梢から散った。
村木の目に剥き出しの背中が見える。長い髪が首の右側から胸へ垂れ下がり、白くのぞいている細いうなじが苦しそうに揺れる。そのうなじに届きそうなほど高く、後ろ手にされた両手が交差され、黒い麻縄で痛々しく縛られている。時折固く握られた手が開き、細い指先が震えた。

村木は握りしめていたカメラを構え、ファインダーをのぞいた。ファインダーの中に広がる異様な美しさに負けないように、何回となくシャッターを切った。
アングルを変え、左側の桜の幹まで視野に入れたとき、急にカメラを持つ手の力が抜けた。
老木の幹の影に陶芸屋がたたずんでいたのだ。

「あっ、先輩。どうして先輩がいるんだ。やはりMと何かあったんだ」と声に出して一枚、シャッターを切り終わったとき、陶芸屋の背後から信じられないものが現れた。

素っ裸で後ろ手に縛られた緑化屋が、照明の中に歩み出てきたのだ。
弦楽五重奏曲第四番ト短調の第一楽章のエンディングが近付き、歓喜と悲嘆を交互に繰り返す主題が短く繰り返される中で、陶芸屋に腰縄の端を曳かれた緑化屋が、吊されたMに向かって胸を張って歩いて行く。

Mの前に立った緑化屋が、大きく開いた股間にすっと顔を埋める。
しばらくして「ウー、アー」という艶めかしい呻きが、小さくなった楽曲の音色を縫ってMの口から洩れた。
その異様な情景に向かって数回、白いストロボの閃光が走った。楽章最後の音を、ヴァイオリンがそっとおくのと同時だった。

静寂が戻った廃墟に、思わず駆け出した村木の靴音がこだまする。
カメラを握ったまま桜の下に走り出た村木の顔に、陶芸屋の右ストレートがきれいに決まった。カウンターパンチを浴びて地面に尻餅を付いてしまった村木が「俺じゃあないよ、俺じゃあないよ。俺はストロボなんて持ってないよ」と泣き声になって叫ぶ。
急に村木が主役となり、学校の文化祭で上演する喜劇のような場違いな情景が繰り広げられた。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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