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4 渓谷(6)

「奥さんは医者ではないでしょう。今は、この地区の住民の一人なんでしょう。亡くなった人の思惑などに縛られていないで、自分の責任と人格で選択するべきだわ」
手に持った分厚いデザイン資料を床に置いて、Mが言い切った。
「Mさんというんですってね。まだ紹介もされていないのに失礼だけれど、あなたのように自由に決断できる女性はそれほどいないのよ」
奥さんも、はっきり言い切った。

「今からでも遅くないわ。奥さんも自由に決断できる女になればいい」
「随分乱暴な意見だと思うわ。人にはそれぞれが生きていく上で背負ってきた規範というものがある。そう簡単に手放すことができるものでないのよ」
「規範があろうと、法律があろうと、生きていくのは自分一人の仕事でしょう。独りでも生きるんだと決意すれば、どんな規範からも自由になれます。所詮、人が作ったものですから、決心さえすれば人が自由にできると思いますよ」

「自由にも色々あるわ。ひょっとして先週の事件も、あなたが自由に演出したことなのかしら。裸になるのは自由だけれど、びっくりさせるのは困り者よ」
奥さんが、興味深そうに尋ねた。
「ああ、逆さまになって渓谷と一体になったことね。あれは、陶芸屋と修太、そして私の共同作業よ」
「危険だとは思わなかったの」
「肉体の危険を冒さないで、自分の決心を検証することはできません」
「そう。私などが考えもつかなかった新しい女性が生まれてきているのね。楽しくなるわ。でも、だからといって、私はあなたのように自由に決断することはできない。私は私の規範を選ぶわ」
「そうでしょうね。別に強制はしない。私はサインするわ。今はこの谷の住民なんだから、真っ先にね」
Mは素早く陶芸屋のそばに行き、紙片を取って座り込む。ウエストバックからボールペンを取り出し、素早くサインし押印した。

「いいのか」
慌てて問い掛ける陶芸屋に「ま、いいだろう」と答える緑化屋。
「当たり前よ」と、Mの声が被さる。
奥さんを除く三人が署名捺印を済ませた。

県知事に会いに行く緑化屋と、奥さんを送ってMと陶芸屋も外に出た。
明るい光と、さわやかな風が全員を包み込む。奥さんと話す陶芸屋のそばから抜け出し、緑化屋がMと並んだ。

「Mさん。縛られるのがお好きなようだけど、」
言葉を詰まらせる緑化屋に頓着せず「好きよ」と短くMが答える。
「あの、縛ることは好きじゃないの」
ダークスーツに身を固めた頬を真っ赤に染め、小さな声で尋ねた。
「裸の男を縛り上げるのも大好き」

楽しそうに笑って答えるMの顔を、緑化屋がのぞき込む。朝の光を浴びた瞳の中に、ぽっと点る赤い火が見えた。縄で縛られる感触が緑化屋の全身に甦る。背筋を熱い予感が走り去った。Mに縛られてみたいと心の底から熱望した。

白いステーションワゴンの助手席のドアを大きく開けたまま、緑化屋とMを待っていた奥さんが浮き立つような声を出した。

「Mさん。今、陶芸屋と話していたんだけど、弦楽五重奏団の花見コンサートにご招待するわ。ぜひ、皆さんで来てください」
「あのモーツァルト。奥さんも演奏するんですか」
「ええ、私は、ゲストの第二ヴィオラなの。コンサートマスターのチェロには私から言っておくから、ぜひ来てくださいね。夜桜見物を兼ねた個人的なコンサートだから、何か新しい決心があれば、遠慮せずに検証してくださって結構よ」
「ええ、弦楽五重奏曲第四番ト短調と、爛漫の桜に相応しい自己検証をするわ」楽しそうなMの声が、山並みに流れていった。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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