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3.内職(4)

「南側の三室の壁をぶち抜いて、わしらの作業場に使っている。あとは無人だ。遠慮することはないぞ」
お菊さんが緊張を察して声を掛けた。
「さあ、中に入れ」
ノックもせずに右手のドアを開き、お菊さんが道を空けた。仕方なくMが先に部屋に入る。入った途端にきつい皮革の匂いが鼻を打った。四畳半の空間を三つ並べた細長い部屋に三つの腰高窓が等間隔で並んでいる。曇りガラスの入った窓から射し込む日射しを受けて、三人の老婆が座り机に向かって仕事をしていた。鳴り続けていたミシンの音がやみ、六つの目がMを見つめる。
「皆の衆、わしの部屋の前に越してきたMだ。よろしく頼みますぞ」
Mの後ろから、お菊さんが三人の老婆に声を掛けた。Mは慌ててささくれた古畳に正座して姿勢を正す。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。Mと言います。越して来たばかりで日が浅いため、不調法があろうかと思いますが、よろしくご指導ください」
深々と頭を下げて口上を述べると、窓際に座っていた老婆が大きな声を出した。
「耳が遠くなってよく聞こえん。もっと近くに来てくれ」
「年寄りは不便なもんだ。Mの声は小さくはないぞ」
大きな声でつぶやいたお菊さんがMを促し、並んで座る三人の前に導く。Mは座り直して、また頭を下げた。
「私は五日前、刑務所を出てきたばかりです。刑務所にいたことは今朝、見事にお菊さんに見破られてしまいました。別に隠そうと思って皆さんにご挨拶しなかったわけではありません。しばらく静かに暮らしたかっただけです。三年間、世間と交流がなかったので不安もありました。でもお菊さんが、富士見荘には昔ながらの暮らしが残っていると教えてくれました。お陰で私も、もう一度やり直す決心がつきました。働きたいとも思っています。今日は皆さんの仕事ぶりをたっぷり見せてください」

「若いのに素直で良い。何よりも見目がきれいだ」
耳が遠いと言っていた老婆が真っ先に口を開いた。相変わらず声が大きい。座り机の横に黒いなめし革が高く積んである。机の上には風呂敷ほどの大きさの黒皮が広げられている。はさみとカッターナイフで裁断作業をしていたらしい。手を休めたまま言葉を続ける。
「わしは米という。この地区に住み続けて八十四年になる。親子二代の女郎だ。この富士見荘はな、商売敵の郭じゃった。わしのいた郭はとうに潰れ、ずっと空き地のままだ。だが、そこの旦那は不思議なお人だったぞ。女郎ごときを厚生年金に入れてくれたのだからな。よその旦那衆はあきれておったという。郭が潰れた後も店を仕出し屋に替えて面倒を見てくれた。お陰で食うに困らぬ年金がもらえる。今では女郎も捨てたもんではないと思うぞ。当時であれば、お前はさぞかし高く売れただろうよ」
Mの年齢の二倍も生き抜いてきたお米さんは、値踏みするようにMを見つめてにっと笑った。一瞬背筋が寒くなったが、Mも負けずに微笑み返した。さすがのお菊さんが閉口したように溜息をつく。
「Mが刑務所の話なんか出すから、お米さんまで郭話を始める。他人が聞いていたら目を回すぞ。お梅さんは粋筋だから、次は品よく頼むよ」
色々な形に裁断した黒皮の縁を折り込んで電気鏝をかけていた老婆が手を休めて顔を上げた。

「あたしは梅。七十五歳になるが、品のある話などありようもない。隣町でずっと囲われ者の暮らしをしてきただけ。それは旦那にはかわいがられた。生前に十分過ぎるほどの資産も金ももらった。でも、旦那が死んで本妻さんの気持ちが変わった。家に乗り込んできて、毎日毎晩あたしを責めた。旦那にもらった物を全部返せというんだ。素っ裸で縛り上げられ、尻に焼き鏝まで当てられたのだ。仕方なく、泣く泣く隠しておいた土地の権利書を出した。今度は預金通帳も出せと言って、また責める。一週間の地獄の責め苦で殺される寸前まで行ったとき、本妻さんが隙を見せた。身一つで逃げ出してここに隠れ住んだ。三十年前の話だ。あたしには粋でもなんでもない。じっと隠れ住んできただけだった。風の便りで本妻さんが死んだことを知ってから、まだ十年も経たない」
溜息の出るような話ばかり続く。Mは正座した足のしびれを感じた。だが、まだ一人残っている。お菊さんが元気に紹介した。

「さあ、しんがりは桜さんだ。桜さんは女学校を出ている。わしらの中では一番のインテリだ」
一番若く見える老婆の机の上には二台の頑丈そうなミシンが置いてあった。皮紐や皮帯をミシンで複雑に縫い合わせているのだ。一台は手回しのミシンだった。長い皮帯を手に持って静かな声で話し始めた。

「私は桜。まだ七十二歳だから一番若い。他の姉さんたちと違って経験も浅いわ。機屋の一人娘でずっと育ってきたのだもの、確かに女学校にも行けた。でも、あんなに大きかった機屋もあっけなく潰れたわ。真面目で小心だった両親は負債の大きさに絶望して一緒に自殺してしまった。私が三十歳の時よ。すべての相続を放棄した私は、借金から免れて洋裁を教えて食べてきた。たった一人で爪に灯をともすようにしてお金も貯めた。その金も初めての男が競艇場の沼にみんな沈めてしまった。私が五十歳の時よ。男は四十歳だったわ。やけくそになった私はお酒に溺れ、病気になって生活保護を受けたわ。凄く屈辱を感じたことを覚えている。でも、お金がないことは事実だった。そして、ずっとお金には縁がない。今でも豪奢な振り袖を着た若いころの私が夢に出てくる。貧乏には慣れたけど、お金に不自由しなかったころの夢からは未だに逃れられない。姉さんたちがいなければ、きっと生きられないわ」

最後の話も切なくやり切れなかった。歳を取るということは汚濁にまみれ、暮らしに疲れ果てるということかも知れないと思ってしまう。
「Mのお陰で、みんな若かった時を思い出してしまった。うんざりするほどの思い出だが、それでも今よりはましなのかも知れぬ。若いMが羨ましいぞ」
お菊さんの言葉につられて全員が羨望の眼差しでMを見た。Mのうなじが下がり頬が赤く染まった。刑務所を出てきたばかりの女に、この先どんな未来が待つというのか。むごい憧れが全身を覆う。もう財布には十五万円しかないのだ。強奪し損なった十五億円のコンテナの山が目に浮かんだ。死者と生者の影がまた目の前を掠めた。急いで気分の転換を図る。

「三人に詳しく自己紹介をしてもらったお陰で、お菊さんのことが一番分からなくなってしまったわ。私は強盗の罪で刑を受けたのだけど、お菊さんは何をしたの」
何気なく尋ねた言葉で部屋中が静まり返った。沈黙の中からお菊さんの掠れた声が浮かび上がる。
「わしは殺しだよ。憎い男の腹を三回刺して殺した。お米さんの前では言いたくないが、大事な乳飲み子を取り上げて、わしを女郎に売り飛ばそうとした男だ。そんなものは人でない。人でないものを殺して殺人とは、ちゃんちゃらおかしい。今でも後悔はしていない。あんな奴は何度でも殺してやる」
お菊さんの憎悪に燃えた目が宙の一点を見据えた。西日を浴びた部屋が冷たく凍り付く。四人の老女がくぐり抜けてきた男女の愛憎の淵が遊郭跡のアパート富士見荘に漆黒の闇を創っているようだ。Mは目がくらみそうになった。
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Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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