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4.面会(7)

若い看守は腹を立てて獄舎に戻った。雑居房の看守に老人を引き渡してから走って管理センターに向かった。同僚の看守たちは面会の立ち会いに出払っているらしく、センターには誰もいない。日曜日は本当に忙しすぎると看守は嘆いた。大きく舌打ちをしてコンピューターの端末に面会データーを呼び出す。ディスプレーに浮かび上がった番号に間違いはなかった。しかし、もう老人は雑居房に戻してしまった。艶めかしい女と一緒に待っている次長の怒った顔が瞼に浮かんだ。
「受付の入力ミスさ」
低くつぶやいてキーボードを叩き、囚人番号を打ち直した。番号さえ分かっていれば簡単なことだった。昼日中に脱走の恐れがあるはずもない。面会人とのトラブルだけが日曜日の不祥事になる。有能に事務をこなすことが最優先だと思った。思った途端、受付の怠慢に腹が立った。ちらっと見た面会人の続柄と年齢が看守を嘲笑う。
「内妻、七十五歳だって。まったくあきれる」
若い看守は叩き付けるように実行キーを押してから独房棟に向かった。


ピアニストは狭い独房の床に正座して雨音に聞き入っている。昨夜から雨は降り続いていた。雨音はコンクリートの壁の手も届かぬ高みに空けられた窓から流れてくる。ショパンのプレリュード「雨だれ」の調べが聴覚を満たした。ピアニストにはもう風景の中に降る雨をイメージすることができない。雨はすべて耳の中で抽象化された音になって降る。心の中で、かつて存在していた風景が消えてからもう久しい。今は方形のコンクリートの壁がその日の気分によって伸縮するだけだった。目をつむるとMの姿が浮かぶ。目を開くとぽっかりと開いた漆黒の深淵だけが見えた。じっと目をつむり、Mの姿の中に降る雨音に耳を澄ませた。雨音に靴音が混じり、ピアニストの房に向かって来る。目を開くと鉄格子の前に黒い靴の先があった。見上げると新任の看守が一人で立っている。いつもは主任看守に従うだけの脇役しかできない男だった。

「面会だ。立て」
新任看守は主任の口調をまねてピアニストに呼び掛けた。見上げたピアニストの目に浮かんだ訝しさが見習い中の職業倫理に引っかかった。主任看守からはいつも、死刑囚の処遇には細心の注意を払えと言い聞かされていたのだ。だが、この忙しいのに主任は二時間の遅刻をすると言う。知ったことではないと新任看守は思う。規則に外れさえしなかったら判断に迷うことはないと思った。大きくうなずいてから胸を張り、鉄格子の錠を外した。
ピアニストは黙ったまま両手を前に差し出す。手錠をはめられ、腰縄を打たれて房外に連れ出されてから面会人に思いを馳せた。誰とも知れぬ面会人が恐ろしかった。看守に名を尋ねることもできない。小さな希望の火が灯ってしまった。係累の少ないピアニストに面会できるのは両親だけのはずだった。両親の面会はずっと拒絶してきた。だが、三年の刑期を終えたMは、もう出所して三週間になるはずだった。出所したら面会に来てくれと、一方的な手紙も出してあった。もちろん返事はない。刑務所にいるMに勝手に三十通の手紙を送り続けたが、一度も返事はなかった。それに、Mには面会の資格がない。しかし、心の底に灯った小さな希望の火は獄舎の廊下を歩むごとに大きくなった。エレベーターの中では炎となって燃え上がるほどに膨れ上がった。胸の動悸が早鐘のように高まる。手錠をかけられた両手で何度も顔の汗を拭った。身体は寒く、心の底だけが熱い。面会室のドアが開く前に目をつむってしまった。Mの姿が脳裏に浮かぶ。目をつむったまま看守に腰縄を曳かれて室内に踏み入る。

「ピアニスト」
恋い焦がれた声が耳を打った。ピアニストは大きく目を見開く。透明の間仕切りの向こうに現実のMがいた。椅子から腰を浮かせ、じっとピアニストを見つめている。いとおしく美しかった。灰色の囚衣の下でペニスが大きくいきり立ってくる。Mが欲しい。

Mを見つめるピアニストの目は、まるで子犬のようだ。繊細すぎる神経が剥き出しになったような、縋り付いてくる視線がまぶしかった。たまらずに目を伏せ、浮かしかけた腰を椅子に下ろした。ピアニストが目の前の丸椅子に座る。二人の間を透明なプラスチックの間仕切りが隔てている。
「会えてうれしい。M、来てくれて本当にありがとう。未だに信じられない。目の前でMが消えてしまうようで怖い。僕はこの瞬間だけを三年間待っていたんだ。ほら、僕はずっとピアノの練習をしている」
椅子に座った途端、ピアニストは機関銃のように言葉を打ち出した。手錠のかけられた両手を前にそろえ、懸命に見えない鍵盤を叩く。指先が美しく舞うと聴き慣れたショパンの響きがMの耳に甦った。
「ほら、ショパンのスケルッツォだよ。これからはMのためだけに弾く。僕にはピアノとMしか要らなかったと、ようやく気付いたんだ。どう、僕のピアノが、ショパンの調べが聞こえるかい」
「聞こえるわ。十分聞こえる」
掠れた声で答えたMの頬を涙が伝った。
「泣くことはないよ。僕にはMとピアノだけで十分だ。Mにやっと会えた。もう言うことはない」

ピアニストの激した声が面会室に響き渡ったとき、新任看守の背後のドアが大きく開いた。
「主任、どうしたんですか」
慌てて立ち上がった新任看守が、息をはずませて飛び込んできた主任看守を面食らった顔で振り返った。
「面会は中止だ。この女は身内ではない。騙されたんだ」
主任看守は乱暴にピアニストの肩をつかみ、椅子から立ち上がらせようとする。ピアニストは全身で抵抗した。つかまれた囚衣が音を立てて破れ、細く白い両肩が露出した。Mも驚いて立ち上がる。Mの肩を次長が強い力で押さえ付けた。
「M、Mが欲しい、僕はMのものだ。ずっと会っていたい」
立ち上がらされたピアニストが大声で叫んだ。あまりの勢いに二人の看守が息を呑んだ。その隙に全身を激しく揺すって二人の看守を振り払う。手錠をかけられた不自由な手で囚衣を膝まで下ろした。突き立ったペニスを誇らかにMに向け、再び吼えるように絶叫する。
プロフィール

アカマル

Author:アカマル
http://prima-m.com/
官能のプリマ全10章
上記サイトにて公開中。

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